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グラハム・ヒルに佐藤琢磨……インディ500を制した12人のF1ドライバーたち

インディ500は「モータースポーツ界最高のスペクタクル」と呼ばれる程の大舞台。このレースに挑み、優勝した12人のF1ドライバーをご紹介しよう。

Takuma Sato, Rahal Letterman Lanigan Racing Honda Winner Portraits

写真:: Barry Cantrell / Motorsport Images

ロジャー・ウォード – 1959, 1962

  • F1スタート数: 12 (1951 – 1960, 1963)
  • F1タイトル数: 0
  • インディ500スタート数: 15 (1951 – 1964, 1966)
  • インディ500勝利数: 2 (1959, 1962)

 1911年に始まったインディ500は、1950年から1960年までの間F1世界選手権の1戦としてカレンダーに組み込まれていた。そのため、インディ500にしか出場しなかったチームとドライバーも、F1側のランキング表に載ることになる。そしてインディ500で好成績を収めれば、F1シーズンで苦戦していたドライバーを打ち負かすこともできるのだ。 

 1959年シーズンに、インディ500とアメリカGPの2戦のみに出場していたロジャー・ウォードがその一例。インディ500を制し8ポイントを獲得、最終的なF1ドライバーズランキングは10位だった。一方で、アメリカでの2戦を欠場し他の7戦に出場したグラハム・ヒルは、この年無得点に終わっている。 

 もちろん、ウォードはUSACチャンピオンシップカー(現インディカー)のドライバーであり、グランプリレースにはスポット参戦をしていただけに過ぎないというのが実情だ。記録上ウォードはF1に12回出走しているが、うち10回はインディ500でのモノで、残り2戦は1959年と1963年に出場したF1アメリカGPだ。 

 セブリングで行なわれた1959年のアメリカGPでウォードは、2速ギヤボックスのダートコース用ミゼットカーレースで参戦したが、20周目にクラッチトラブルでリタイアを喫した。 

 ウォードは1962年に再びインディ500を制し、翌1963年にワトキンスグレンで開催されたF1アメリカGPに出走。今度はBRM製のV8エンジンを搭載したロータス『24』を駆り、21台中17番手からスタートしたものの、再びギヤボックスのトラブルでリタイアとなっている。 

 F1では不運が続いたものの、ウォードは USACチャンピオンシップでは1959年と1962年にタイトルを獲得。1959年から1964年までの6シーズン連続で、トップ3入りを果たすなど、成功を収めている。 

Roger Ward

Roger Ward

Photo by: IndyCar Series

ジム・クラーク - 1965

  • F1スタート数: 72 (1960 – 1968)
  • F1タイトル数: 2 (1963, 1965)
  • インディ500スタート数: 5 (1963 – 1967)
  • インディ500勝利数: 1 (1965)

 F1で2度世界チャンピオンに輝いたジム・クラークは、名実ともに史上最高のドライバーのひとりと評されており、F1での71.4%(1963年)という驚異的な年間リードラップ記録は未だ破られていない。 

 その才能はF1に留まることなく、1968年にホッケンハイムでのレースで命を落とすまでに、1964年から1975年までニュージーランドとオーストラリアで開催されていたタスマンシリーズで3度タイトルを獲得し、インディ500では1勝を挙げている。 

 クラークはF1に参戦する傍ら、1963年から1967年にかけて USACチャンピオンシップにスポット参戦。毎年インディ500には欠かさず参加し、初年度にパーネリ・ジョーンズに次ぐ2位を獲得。翌年はポールポジションを獲得するも、タイヤ脱落によってサスペンションが破損したことでリタイアを喫した。 

 1965年はA.J・フォイトに次ぐ予選2番手を獲得。決勝レースでは首位に立つと、200周中190周をリードしインディ500初制覇。クラークは同年にF1でもチャンピオンを獲得するという快挙を成し遂げている。 

 翌年にもクラークはインディ500に挑戦し、予選ではマリオ・アンドレッティに次ぐ2番手につけたものの、決勝レースでは2度のスピンを喫しヒルに次ぐ2位でチェッカーとなった。 

 全33台のうち11台がオープニングラップでのクラッシュで姿を消し、ヒルのチームメイトとして参戦していたジャッキー・スチュワートは、参戦初年度ながらもレース最終盤にトップを周回していたが油圧トラブルによりマシンをコース脇に止めることに……結果7台のみが完走というレースになった。 

Jim Clark, Lotus 38-Ford

Jim Clark, Lotus 38-Ford

Photo by: Dave Friedman / Motorsport Images

グラハム・ヒル - 1966

  • F1スタート数: 176 (1958 – 1975)
  • F1タイトル数: 2 (1962, 1968)
  • インディ500スタート数: 3 (1966 - 1968)
  • インディ500勝利数: 1 (1966)

 ヒルは、現時点でも世界三大レースであるル・マン24時間レース、インディ500、F1モナコGP全てを制し、”トリプル・クラウン”を達成した唯一のドライバーだ。ル・マンとインディ500でそれぞれ1勝を挙げた一方、モナコGPでは計5勝……モナコでの最多勝利数はアイルトン・セナの6回に次いで、ミハエル・シューマッハーとタイの2位であり、”Mr.モナコ”の異名を持つ。 

 ヒルは1966年の初挑戦でインディ500制覇を果たしたものの、この勝利には異論も付きまとった。メコン・レーシングのヒルが優勝した一方で、2位となったクラークのロータスも優勝したと思っていたのだ。 

 というのもクラークはスピンを喫しながらもレースを続行……その1周がクラークの周回数に加算されていないのではないかという説があったのだ。ただ、クラークやロータス側から正式な抗議がなかったため、ヒルの勝利が確定した。 

Graham Hill, Lola T90 Ford

Graham Hill, Lola T90 Ford

Photo by: Motorsport Images

マリオ・アンドレッティ – 1969

  • F1スタート数: 128 (1968 – 1972, 1974 – 1982)
  • F1タイトル数: 1 (1978)
  • インディ500スタート数: 29 (1965 – 1978, 1980 – 1994)
  • インディ500勝利数: 1 (1969)

 アンドレッティはF1参戦よりも4年前にインディ500へ初挑戦。その出場回数は29回と、4度のインディ500優勝を誇るフォイトについで2番目に多い。 

 アンドレッティは1966年と1967年、そこから20年後の1987年にポールポジションを獲得し、ポールポジション間の最多レース数記録も保持している。 

 1969年のインディ500では、アンドレッティは予選2番手からスタート。ピットストップでチームメカニックを倒したりウォールにヒットしかけたりするなどはあったものの、200周中116周をリードし、F1でも活躍したダン・ガーニーに2分以上の差をつけてトップチェッカーを受けた。 

 アンドレッティはUSACで1965年、1966年、1968年にタイトルを獲得し、F1へ本格的に転向。1978年にはロータスのグラウンドエフェクトカー『78』、『79』を駆り、F1でタイトルを獲得した。 

 アンドレッティは1982年から再びアメリカに戻り、USACからCARTへイニシアチブが移ったインディカーに参戦。1984年にUSAC時代も含め4度目のタイトルを獲得した。1987年のインディ500ではエンジントラブルが出るまではレースを支配するなど、インディ500では力強いレース運びを何度か見せたものの、勝利には手が届かなかった。そのため1969年のインディ500が、息子のマイケル、孫のマルコも含め、アンドレッティ家としては唯一の勝利となっている。 

Mario Andretti

Mario Andretti

Photo by: IndyCar Series

マーク・ダナヒュー - 1972

  • F1スタート数: 14 (1971, 1974 – 1975)
  • F1タイトル数: 0
  • インディ500スタート数: 5 (1969 – 1973)
  • インディ500勝利数: 1 (1972)

 マーク・ダナヒューは1968年から1973年までUSACに参戦。インディ500には5度出走し、その全戦で1〜2列目からスタートしている。4度目の挑戦となった1972年のインディ500では、ペンスキーのマクラーレン『M16』を駆り優勝。マクラーレンにインディ500初勝利を届けた。 

 USACシリーズではこのインディ500勝利を含め計3度勝利を挙げており、USACでのキャリア終盤にはNASCARにもスポット参戦し1勝を収めている。 

 1971年以降は、ペンスキーからF1にスポット参戦。1975年にフル参戦を果たすも、オーストラリアGPのフリー走行でパンクにより大クラッシュ。その後遺症により、ダナヒューは38歳という若さでこの世を去った。 

Roger Penske; Mark Donohue

Roger Penske; Mark Donohue

Photo by: IndyCar Series

ダニー・サリバン - 1985

  • F1スタート数: 15 (1983)
  • F1タイトル数: 0
  • インディ500スタート数: 12 (1982, 1984 – 1995)
  • インディ500勝利数: 1 (1985)

 ダニー・サリバンは、1983年シーズンにティレルからF1参戦。モナコGPでは1ポイントを獲得するも、単年でF1を離れインディカーに本格参戦を果たす。CART時代のインディカーで、170戦中17戦で優勝を挙げた。 

 そのうち1勝はインディ500での勝利だ。インディ500に12回参戦中8回がリタイアに終わったものの、1985年の制覇は華々しいモノだった。決勝レースでは首位のマリオ・アンドレッティに迫ったものの、サリバンはマシンコントロールを失い360度のスピン……しかし幸運にもウォールにヒットすることなく追撃を続け140周目にトップに立つと、そのままトップチェッカーを受けた。 

Danny Sullivan

Danny Sullivan

Photo by: IndyCar Series

エマーソン・フィッティパルディ – 1989, 1993

  • F1スタート数: 144 (1970 – 1980)
  • F1タイトル数: 2 (1972, 1974)
  • インディ500スタート数: 11 (1984 – 1995)
  • インディ500勝利数: 2 (1989, 1993)

 エマーソン・フィッティパルディが、F1界でいかに有名であるかは言うまでもない。計14勝と35回の表彰台を獲得し、1972年と1974年にF1世界チャンピオンに輝いた。ブラジル人ドライバーとしては、セナ、ネルソン・ピケに次ぐ3番目に成功したF1ドライバーである。 

 11シーズン近くF1を戦った後、フィッティパルディは現役を一度退いたものの、1984年のCARTで復帰。1989年シーズンはパトリック・レーシングでシリーズタイトルを獲得。この年は、インディ500でアル・アンサーJr.と激しいトップ争いを繰り広げたことが広く知られている。 

 フィッティパルディはレース200周のうち158周をリードしたものの、最終盤にアンサーJr.とデッドヒートに。198周目に両者は接触しアンサーJr.がウォールに激突しリタイア……フィッティパルディも大きくマシンがスライドしたものの損傷はなく、イエローフラッグが降られる中インディ500初制覇を遂げた。 

 その後フィッティパルディはペンスキーに移籍し、1993年のインディ500でナイジェル・マンセルを交わし2勝目を挙げる。ただこの時、インディ500勝者の伝統である牛乳ではなく、実家のオレンジジュースを飲んだことで多くのバッシングを受けた。 

Emerson Fittipaldi, Team Penske

Emerson Fittipaldi, Team Penske

Photo by: Sutton Images

ジャック・ビルヌーブ – 1995

  • F1スタート数: 163 (1996 – 2006)
  • F1タイトル数: 1 (1997)
  • インディ500スタート数: 3 (1994 - 1995, 2014)
  • インディ500勝利数: 1 (1995)

 ジャック・ビルヌーブは、1994年にCARTデビュー。最初のシーズンからインディ500で2位、ロード・アメリカではアンサーJr.やフィッティパルディなどとのバトルを制し初優勝。そして翌年のインディ500で勝利を収めることになる。 

 ただその勝利は、彼のF1キャリアと同様に、論争やドラマがなかった訳ではなかった。レース38周目、コース上に散らばったデブリをマーシャルが改修すべくペースカーが出動。しかし、ビルヌーブは本人が知らないうちに首位を走っており、ペースカーの後ろに並ぶことなく2度ペースカーを追い越した。これにより再スタート時に、2周のペナルティが科され27番手まで転落した。 

 ただペースカーの問題はこれだけではなかった。189周目に再びペースカー出動となると、ビルヌーブはスコット・グッドイヤーの後ろ2番手につけた。 

 190周目の再スタートを前に、グッドイヤーはペースを落としてペースカーとの差を開いた後、加速を開始。ビルヌーブもこれに続き2台は、コントロールラインに向けて3番手以下を引き離しにかかった……が、ペースカーはまだコース上を走っている状態だった。 

 ペースカーがピットへ戻る前に追いついてしまうと判断したビルヌーブはスピードを落としたものの、グッドイヤーは加速を止めず最終コーナーの真ん中でペースカーをパス。これによりグッドイヤーに黒旗が振られたが、彼はその裁定を無視……オフィシャルはグッドイヤーの採点をストップした。 

 その結果、ビルヌーブが優勝。カナダ人として初優勝、そして現時点で唯一のインディ500勝者となっている。彼はこの年のCARTのタイトルも引き下げ、F1へ転向した。

 F1デビュー戦ではいきなりポールポジションを獲得し、翌年にはフェラーリのシューマッハーとの激闘を制し、世界チャンピオンに上り詰めた。

Jacques Villeneuve, Team Green

Jacques Villeneuve, Team Green

Photo by: Sutton Images

エディ・チーバー – 1998

  • F1スタート数: 132 (1978, 1980 – 1989)
  • F1タイトル数: 0
  • インディ500スタート数: 14 (1990 – 2002, 2006)
  • インディ500勝利数: 1 (1998)

 エディ・チーバーは、F1で132戦出走。予選落ちを喫したレースも含めさらに11戦に出場している。キャリアを通して9度の表彰台を獲得し、F1界の大物をチームメイトに持つケースが多かった。1982年にジャック・ラフィット、1983にはアラン・プロスト、1984年と翌1985年はリカルド・パトレーゼとコンビを組んだ。1983年のランキング7位が最高成績とF1では大きな成功を収めることはできなかったものの、アメリカ転向後は輝きを見せた。 

 1990年シーズンからCARTフル参戦を開始し、CARTから分裂したインディ・レーシング・リーグ(IRL/現インディカー)が発足した1996年からはIRLに移行(インディ500もIRLへ移動)。翌年ウォルト・ディズニーワールドで開催されたインディ200でシリーズ初優勝。1998年にはインディ500で優勝を果たした。 

 IRLでは、1997年から2001年までの前シーズンで勝利を挙げ、1996年と翌1997年、2000年はランキング3位に入っている。 

Eddie Cheever, Jr.

Eddie Cheever, Jr.

Photo by: IndyCar Series

ファン・パブロ・モントーヤ – 2000, 2015

  • F1スタート数: 94 (2001 – 2006)
  • F1タイトル数: 0
  • インディ500スタート数: 5 (2000, 2014 – 2017)
  • インディ500勝利数: 2 (2000, 2015)

 ファン・パブロ・モントーヤも、F1キャリア前にアメリカで成功を収めたドライバーの一人。コロンビア人のモントーヤは、1999年にCARTデビューを果たしその年にチャンピオンを獲得し、2000年にはIRLのインディ500にスポット参戦。レース200周のうち167周をリードするという圧倒的なレース運びを見せインディ500を制覇した。参戦初年度でのインディ500優勝は、1966年のヒル以来の快挙だった。 

 この活躍もあり翌2001年にはウイリアムズからF1デビューし、イタリアGPで初優勝を挙げた。マクラーレン移籍後も含めF1で計7勝を挙げ、2002年と2003年にランキング3位を獲得した。 

 2006年のアメリカGPを最後にF1を去ったモントーヤは、数シーズンに渡りNASCARなどに参戦。2014年からはペンスキーからインディカー・シリーズに復帰し、翌年のインディ500では序盤のアクシデントで下位に沈むも、後方から追い上げチームメイトのウィル・パワーとのバトルを制し、0.1秒差でインディ500で2勝目を挙げた。15年ぶりの制覇は、現時点で最も期間が空いた勝利となっている。 

 2022年のインディ500にはマクラーレンSPから参戦を果たす。 

Juan Pablo Montoya

Juan Pablo Montoya

Photo by: IndyCar Series

アレクサンダー・ロッシ – 2016

  • F1スタート数: 5 (2015)
  • F1タイトル数: 0
  • インディ500スタート数: 5 (2016 - 2020)
  • インディ500勝利数: 1 (2016)

 アレクサンダー・ロッシは、2015年シーズン終盤からマノーでF1デビュー。その年はGP2(現FIA F2)参戦中であり、残り7戦のうち併催のない5戦でF1マシンをドライブした。 

 ただ不運にもマノーのマシンは戦えるレベルのパフォーマンスがなく無得点に終わるも、チームメイトでフル参戦のウィル・スティーブンスに対して5戦4勝している。 

 2016年からインディカーに転向したロッシは輝きを見せ、初挑戦のインディ500で勝利。史上10人目のインディ500ルーキーウィナーとなった。 

 このレースでは、残り10周というところで上位陣が最終スティントに向けピットへ入る中、ロッシのストラテジストを務めたブライアン・ハータはロッシにステイアウトさせるというギャンブルに出た。 

 燃料をセーブして走らせるという作戦は成功し、ホワイトフラッグが振られた残り1周時点であった20秒のリードはチェッカー時点で4.4秒まで縮められたものの、見事逃げ切った。 

 インディ500ではこれまで2勝目こそ達成できていないものの、しばしば見せ場を作っており、2019年はシモン・パジェノー、佐藤琢磨らと激しい争いを繰り広げ2位。2020年はペナルティを受け、クラッシュでリタイアするまでは優勝争いを展開。2022年のインディ500で2勝目を狙う。 

Alexander Rossi, Andretti Autosport Honda

Alexander Rossi, Andretti Autosport Honda

Photo by: Barry Cantrell / Motorsport Images

佐藤琢磨 – 2017, 2020

  • F1スタート数: 90 (2002 – 2008)
  • F1タイトル数: 0
  • インディ500スタート数: 11 (2010 – 2020)
  • インディ500勝利数: 2 (2017, 2020)

 佐藤は2002年にジョーダンからF1デビュー。2004年のアメリカGPでは3位表彰台を獲得するも、2006年から在籍したスーパー・アグリがシーズン途中でF1撤退を発表したことでF1のシートを失った。 

 2010年からインディカーに活躍の舞台を移し、レイホール・レターマン・ラニガン・レーシング(RLLR)から臨んだ2012年のインディ500では、ダリオ・フランキッティと優勝争いを展開。最終ラップでフランキッティのインに飛び込むもスピンを喫しウォールに叩きつけられた……しかし、あくまでも勝ちにこだわる彼の姿勢が人々を魅了した。 

 翌年A.J.フォイト・エンタープライズに移籍し、ロングビーチで自身初、そして日本人としてインディカー・シリーズで勝利を挙げるものの、その後の4年間で表彰台2回と鳴かず飛ばずに終わった。 

 転機となったのは2017年。この年佐藤は強豪アンドレッティ・オートスポートに移籍し、インディ500を2列目からスタートし、史上最多の15人がレースをリードするなど混戦のトップ争いに留まった。レース最終盤は、ペンスキーのエリオ・カストロネベスとの優勝争いを0.201秒という僅差で制し、日本人初のインディ500勝者となった。 

 2018年からは古巣のRLLRに復帰。2020年のインディ500では、チップ・ガナッシのスコット・ディクソンをコース上で抜き去り、燃料が枯渇しかけながらもコーションの助けもあり2勝目。史上20人目のインディ500複数回ウィナーとなった。 

 2022年シーズン、佐藤はデイル・コイン・レーシング with RWRから参戦。プラクティスでは連日最速タイムをマークし、予選10番手から決勝レースを迎える。 

Takuma Sato with the Borg-Warner Trophy at Tryon Theatre

Takuma Sato with the Borg-Warner Trophy at Tryon Theatre

Photo by: Scott R LePage / Motorsport Images

 モントーヤとロッシ、佐藤の他にも、今年のインディ500のグリッドには初制覇を狙う”F1組”がいる。 

 チップ・ガナッシからは、4度目のインディ500挑戦となるマーカス・エリクソン。F1ではケータハム、ザウバーと渡り歩いたが、戦闘力のあるマシンには巡り会えず、2019年からインディカーへ転向した。昨年はデトロイトでインディカー初優勝、5戦後のナッシュビルで2勝目を挙げている。今年のインディ500は2列目5番手と好位置からのスタートとなる。 

 一方、インディ500の”ルーキー”となるのがロマン・グロージャン。F1ではロータス在籍時に計10回の表彰台を記録したものの、2016年から在籍したハースではマシンの戦闘力不足もありグリッド後方を走ることが多かった。2020年はチームの財政難もあり、シーズン末での放出が決定した。 

 2021年は活躍の場をインディカーに移し、デイル・コインで初年度からポールポジションや表彰台を獲得。昨年はロードコースとストリートコースでのレースにのみ参加してきたが、アンドレッティへ移籍した今年はオーバルを含め”フル参戦”となる。今回のインディ500が初挑戦ではあるものの、予選で3列目9番手を獲得した。 

 
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