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「チップ・ガナッシに復讐したわけじゃない」佐藤琢磨インディ500”2勝目”インタビュー

今年のインディ500を制し、同レース通算2勝目を挙げた佐藤琢磨(レイホール・レターマン・ラニガン)がmotorsport.comアメリカ版の取材に応じ、今回の勝利は、2012年に敗れたチップ・ガナッシに対する復讐だったと考えてはいないと語った。

Takuma Sato with the Borg-Warner Trophy at Tryon Theatre

Takuma Sato with the Borg-Warner Trophy at Tryon Theatre

Scott R LePage / Motorsport Images

 佐藤琢磨(レイホール・レターマン・ラニガン)は今年、世界三大レースのうちの1戦にも数えられるインディ500に優勝。この勝利は、佐藤にとって同レース通算2勝目ということになり、歴史的に見ても、複数回このレースを勝っているドライバーは少ないことから、快挙として注目を集めた。

 しかしもしかしたら、今回の勝利がインディ500の3勝目になっていた可能性もゼロではない。2012年のインディ500、最終ラップの1コーナーで、2番手を走っていた佐藤琢磨が、首位を行くチップ・ガナッシのダリオ・フランキッティにオーバーテイクを仕掛けたのだ。当然、フランキッティはこれを牽制。接触を避けようとした佐藤はイン側のホワイトラインに乗ってしまい、グリップを失い……スピン。ウォールに激突してしまったのだ。佐藤のインディ500初制覇は、この時は叶わなかった。

 

Photo by: Scott R LePage / Motorsport Images

 佐藤はその後、A.J.フォイト・エンタープライズを経て、2017年にアンドレッティ・オートスポートに移籍。その年のインディ500では、念願の初優勝を飾った。そして2018年にレイホール・レターマン・ラニガンに戻った佐藤は、今年2勝目を手にした。

 レイホール・レターマン・ラニガンで手にした、インディ500の勝利。奇しくも2位には、2012年当時に佐藤から勝利をもぎ取ったチップ・ガナッシのマシンをドライブする、スコット・ディクソンが入った。

 motorsport.comアメリカ版のインタビューに応じた佐藤は、今年挙げた2勝目は、因縁の相手とも言えたチップ・ガナッシを下したということよりも、寸前のところで勝利を逃したレイホール・レターマン・ラニガンに勝利をもたらしたことに意味があると語った。

「決して、ガナッシに対する復讐などではありませんよ」

 佐藤は、そう笑みを浮かべながら語った。

「純粋に満足したということでした。2012年の199周目以降に起きたことと比較して、今年チームとオーナーたちがピットでどう感じたのか、それを想像すれば、純粋に満足しました。当時、ボビー(レイホール)は僕を抱きしめ、僕のことをとても誇りに思うと言ってくれました。マイク(ラニガン)は、勝利を求めてガナッシに挑んだ姿勢は大好きだと言ってくれました。チームの全員が、僕の姿勢を支えてくれたんです。でも結局、僕は仕事を成し遂げることはできませんでした。勝てなかったんです。それは間違いのない事実でした。負けてから、彼らがどのくらい落ち込んだのかを、想像することができました」

「でも今回、僕は再び彼らのマシンをドライブし、インディ500を勝つために戦い、そして実際に勝つというまた別のチャンスがありました。彼らがどれほど素晴らしい気分になっているか、想像することができたんです。それは、2012年の時とは全く違います。僕はそのことをとても嬉しく思い、ヴィクトリー・サークルで、彼らと、そしてチームの全員と共に祝いました。純粋な意味で満足ですよ」

■決定的な動き

 今年のインディ500で佐藤が記録したリードラップは、27周である。この数字は、インディ500を初めて制した2017年の17周よりも、10周多い数である。ただ、2位となったディクソンの111周と比べれば、あまりにも少ない周回数だと言うことができよう。

 また、レース終盤の動きにも疑問がある。ディクソンは佐藤よりも1周遅く最後のピットストップを行なった。そのため、ディクソンのマシンには佐藤よりも1周分多い燃料が搭載されており、その分フルパワーで走ることができたはずだ。もしレースの最後までイエローコーションが出されなければ、ディクソンが勝っていたはずだという人も、まだ多くいる。なおディクソンは、2008年に自身初のインディ500制覇を成し遂げた後、12年間勝利にたどり着いていない。

 佐藤は200周レースの185周目に、ザック・ビーチ(アンドレッティ)を抜いて首位に立った。先頭を走るマシンほど、空気抵抗を受けるために多くの燃料を消費する傾向にある。そしてその前、172周目にはディクソンを抜き、実質的な首位(ビーチはあともう一回ピットインしなければ、レースを走りきれないのは明白だった)に浮上していたのだ。しかし佐藤は、燃料に対する懸念はなかったと語る。

「僕たちは愚かじゃないですから」

 そう語る佐藤は、その後ディクソンからの攻撃を、複数回にわたって抑えた。

「何が起きるか分からないから、前に出るチャンスがあれば、その時に前に出ておかなければいけないことは分かっていました」

「確かに、燃料はギリギリでした。でも、それは誰でも一緒なんです。30周のスティントでも、燃料を節約する必要があります。ディクソンの場合は31周、僕は32周でした。でもそれまでの170周で、どれだけの燃料を使うのかを測定し、リスクを冒すことができると考えたんです」

Sato's Rahal Letterman Lanigan Honda passes Scott Dixon (Chip Ganassi Racing Honda) for the lead on Lap 185.

Sato's Rahal Letterman Lanigan Honda passes Scott Dixon (Chip Ganassi Racing Honda) for the lead on Lap 185.

Photo by: Barry Cantrell / Motorsport Images

「もし最後のストップの時、僕が少ししか燃料を補給していなかったのなら、彼がピットストップを終えた時に、なんで彼の方が前に出ることができたんでしょうか? 僕は彼の後ろでじっとして燃料を節約し、必要な時に備えました。でも最終スティントに入る前、僕らは必要な全ての数字を把握していて、最後まで走り切れると分かっていたんです」

「確かに、燃料はギリギリでした。でも、最後3周、ベストなパワーを発揮するために必要な、フルリッチ(燃料を最も濃くする状態)にできる十分な燃料は残っていました。最後のスティントが始まるとすぐ、僕は燃料を節約しました。その後、スコットを抜くために、パワーベストにしました。抜いた後には、すぐに再び燃料を節約したんです」

「燃料を節約するためには、色々な方法があります。例えばトラフィックの状況は、僕らにとって助けになりました。でも、十分な燃料があったんです。最後の3周がイエローコーションにならなくても、問題なかったはずです。ディクソンと最後まで激しくレースするのに、十分な燃料があったはずです」

■予選が、インディ500での2勝目へ向けた良い指標に?

For Sato in 2020, a spot on the outside of the front row in qualifying was a snapshot of his raceday potential.

For Sato in 2020, a spot on the outside of the front row in qualifying was a snapshot of his raceday potential.

Photo by: Gavin Baker / Motorsport Images

 佐藤は今年のインディ500を、3番グリッドからスタートした。しかし予選の段階で、決勝に向けた手応えを感じていたという。

 インディ500の予選ポールデイ走行”ファスト9”は、4周の連続走行の平均で順位を競う。この結果、今年のファスト9で最速だったのは、アンドレッティのマルコ・アンドレッティ。2番手にはディクソンがつけ、3番手が佐藤だった。

 佐藤は上位ふたりに差をつけられたものの、実は最も一貫性のあるタイムを並べていた……つまり、タイムの下落幅が小さかったのだ。これは、決勝に向けての好材料であるとみられた。

「予選で示されたように、一貫性のあるマシンを持っているということを知るのが、僕らにとってはとても重要でした」

 そう佐藤は言う。

「もちろん予選では、スピードだけが求められます。純粋なスピードです。その点で僕らは、少しがっかりしたと思います。どんな時でも、最速でありたいですからね。マルコとスコットのピークスピードには、追いつくことはできませんでした」

「でも、そのスピードが発揮できないなら、別のモノで戦う必要があります。それは一貫性でした。フリー走行では、風向きを感じ、予選に必要なギヤとセッティングを学びました。そしてフロントロウにつけるために十分な力があること、アンドレッティとガナッシの他のマシンを打ち負かすことができるということを、学ぶことができました。それまでは2列目につけるのが最大限だと思っていたので、フロントロウを目指して戦略を立てることができたのは、十分に満足できることでした」

「4周にわたって一貫したラップを走ることができるということは、レースに向けて強いマシンを手にしていると知るための、鍵だったと思っています。他のマシンは、予選の1周目から4周目にかけて、タイヤの性能が落ちていました。でも僕のタイヤは、長く性能を発揮してくれていたんです」

■コース、そして自宅での”お祝い”

 

Photo by: Scott R LePage / Motorsport Images

 佐藤琢磨の2回目のインディ500勝利が1回目と違うところ、それは新型コロナウイルスの影響により、スタンドにはファンがいなかったということだ。通常ならば数十万人もの人が訪れるビッグイベントだが、今年はそれを実現することはできなかった。

「気分は違いますよね」

 そう佐藤は語った。

「孤独だし、悲しく感じます。このスポーツにとって大事な日には、皆さんの雰囲気とエネルギーが必要なんです。インディ500が、世界最大レベルのスポーツイベントであることは、よく知られています。レースでも、他のスポーツでも、それに匹敵するようなモノはないんです。だから、観客がいないというのはとても悲しいことです」

「しかしその一方で、僕らはみんな、状況がどれだけ難しいかを理解しています。だからこれほど難しい時期にレースができたことを嬉しく思い、インディに感謝する必要があるかもしれません。今、世界中の多くのアスリートが、活躍の場を失っています。活躍する機会がないんです。インディカーと、ロジャー・ペンスキーに心から感謝しています。観客はいませんでしたが、それでもレースをすることはできたんですから」

「1回目の勝利も2回目の勝利も、感情的な部分では大満足でした。でももちろん、環境はとても違っていました」

 日本での反応が、1回目の勝利よりも大きかったことについて、佐藤は喜ばしく思っているようだ。

「僕が最初にインディ500に勝ったことで、日本の人たちは、レースについてあまり知らない人でさえも、このレースに勝つのがどれだけ大きなことなのかを認識してくれていました。だから今回は、より多くの人がテレビでレースを見てくれたと聞いています」

 そう佐藤は語る。

「このパンデミックによって、スポーツイベントは今年かなり少なくなりました。そういうこともあって、2回目の勝利は、1回目以上に大きなニュースになったと思います」

 なお新型コロナウイルスの影響により、東京オリンピックも1年延期されることになった。インディ500で2勝目を挙げたことで、佐藤も聖火ランナーを務めることになるのだろうか?

「実は、今年聖火ランナーを務めることになる予定でした。そうなれば、大変名誉なことです」

「2021年に東京でオリンピックを開催するために働いている全ての人たちに、敬意を表したいと思います。スケジュール的に何が可能か、そして来年になっても、渡航制限がかかっているかもしれません。まだ、わかりません。もちろん、セレモニーに出席できたら、素晴らしいことだと思います」

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