全日本F3が私を育ててくれた……三浦愛、感謝の気持ちを胸に2020年は次のステップへ
2019年いっぱいで終了した全日本F3選手権。このカテゴリーで唯一の女性ドライバーとして活躍し、通算6シーズンを戦った三浦愛が、“全日本F3”に対する想いを語った。

41年に渡る歴史に幕を閉じた全日本F3選手権。これまでエイドリアン・スーティルやマーカス・エリクソンをはじめ国内外のトップカテゴリーで活躍する多くのドライバーを輩出してきたシリーズだった。2020年からは「全日本スーパーフォーミュラ・ライツ選手権」としてシリーズ名称を変え新たなスタートを切るのだが、やはり伝統ある「全日本F3」という名前がなくなってしまうことに寂しさを覚える関係者やファンも少なくないだろう。
その全日本F3選手権でただひとりの女性ドライバーとして活躍し、F3-Nを含めて6シーズンに渡って戦い続けた三浦愛もまた、このカテゴリーには特別な想いがあるという。そして全日本F3という名前がなくなるのと同時に、自身のレーシングドライバーキャリアにおいても、“ひとつの区切り”を迎えることになると明かした。

三浦愛(THREEBOND RACING)
Photo by: Tomohiro Yoshita
全日本F3という名前が消えることへの“寂しさ”
「全日本F3は名だたるドライバーが育って、結果を出してトップカテゴリーへステップアップしていったレースです。そのシリーズがこうして終わってしまうというのは、やっぱり寂しいですね」
「これからは『自分は全日本F3で育ってきたんです』と言っても、今はその名称のレースがない……となってしまいますからね。全日本F3を知っている人ならまだしも、知らない人に話してもすぐに伝わらなくなるのが……寂しいです」
全日本F3選手権が終わることについて、そう語った三浦。彼女が初めてこのカテゴリーに出会ったのは、まだスーパーFJに参戦していた頃だったという。
「最初カートをやっていた時は、ただ漠然と『F1を目指します!』という感じでした。でも4輪に上がってスーパーFJを走っている時に、同じチームで昔走っていた人がF3にスポット参戦するということになって鈴鹿にレースを観に行きました」
「もちろんスーパーFJと比べても華やかな雰囲気だったし、自分がカートの時から知っている先輩ドライバーたちがそこで戦っているし、マシンの性能差で勝負が決まるのではなく、ドライバーやチームがガチンコでやっているところを肌で感じることができました。それが全日本F3の世界に惹きこまれた瞬間でしたし、自分の中でこのレースに出ることが目標になった一番最初のきっかけでした」

三浦愛(EXEDY B-MAX F317)
Photo by: Tomohiro Yoshita
全日本F3=自分が目指すべき場所
その後、三浦はフォーミュラ・チャレンジ・ジャパン(FCJ)を経て2014年に全日本F3選手権のF3-Nクラスにステップアップ。デビューラウンドとなった鈴鹿での第2戦でいきなりクラス優勝を果たす活躍を見せた。2016年には全日本選手権クラス(Cクラス)へステップアップ。2017年には女性ドライバーとしてはシリーズ史上最上位となる4位を獲得した。
昨年は名門ThreeBond Racingに移籍しさらなる飛躍を目指したが、シーズン中のアクシデントで負傷し7レース欠場。シーズンを通してポイントを獲得することができない不本意なシーズンとなった。
結局、Cクラスで戦った4年間で表彰台獲得は叶わなかったが、F3-Nクラスを含めた6シーズンでひとりのレーシングドライバーとして大きな成長を遂げられたと、三浦は語った。
「どのカテゴリーでも勝つことはすごく難しいことではあるんですけど、特にF3のマシンは性能が良すぎる分、それだけシビアだなと感じました。それはF3の魅力的な部分のひとつであるとともに、“ドライバー・エンジニア泣かせ”な部分もあります。例えば鈴鹿みたいなコースだと、攻めがいがすごくあるんですけど、それをマスターするのはかなり難しいです。楽しいと感じる面がある一方で、“超”難しい面もありました」
「あと、F3を経験したことで自信もつきましたし、FCJをやっていた頃から考えると自分の考え方やレースへの取り組み方、人格すらも変わるくらい……本当に私はF3で育ててもらったという感じですね」
「他のカテゴリーでも同じことが言えるかもしれませんが、私の目指している“レーシングドライバー”としての技術だったりスキルの部分というのは、F3で培ったものが大きいなと思います」

三浦愛(EXEDY B-MAX F317)
Photo by: Tomohiro Yoshita
不安と戦い続けた全日本F3での6シーズン
そう語る三浦だが、F3以上の国内レースで参戦していた唯一の女性ドライバーだったことが良くも悪くも反響を呼び、常に不安や葛藤と戦う6シーズンだったという。
「毎日のように不安でしたね。自信を持てと言われるけど、自分が走っているカテゴリーとマシンが素晴らしすぎて、大変なところもありました」
「もちろん“女性だから”と言い訳するのは嫌だったから、精一杯ついていかなきゃいけなかったですが、本当についていけるのかという部分では、不安しかなかったです」
「その中でも常に結果を出したいという気持ちだったので、不安、葛藤、必死……そういう6年間でしたね」
そう語った三浦だが、こうして自身が苦しい時もこうして全日本F3の舞台で戦い続けてこられたのも長年そばでサポートし続けてくれたEXEDYのおかげだと、改めて感謝の気持ちを述べた。
「スーパーFJに乗っていた頃は(F3は)雲の上の存在でしかなくて、自分がまさか本当に行けるとは思っていなかったけど、でもどこかで『F3に行くんだ』という気持ちはありました。私の場合は環境にも恵まれてEXEDYがサポートしてくれたおかげで順調にスーパーFJからFCJ、F4を経てF3にステップアップできました」
「私も決して毎年当たり前のように参戦できていたわけではありませんが、そうだとしても6年間こうして走り続けられていたというのは、EXEDYさんがあってこそでした。いちドライバーとしても、三浦愛としても、女性ドライバーとしても、色んな記録を作ってこられて、色んな方に応援してもらえるようになったのはEXEDYさんのおかげです。本当に感謝しています」

三浦愛(THREEBOND RACING)
Photo by: Tomohiro Yoshita
レーシングドライバーとして“新たな挑戦が待っている2020年
全日本F3選手権が終了し、新たに「全日本スーパーフォーミュラ・ライツ選手権」が始まることになる2020年。三浦も昨年いっぱいで“ひとつの区切り”をつけることになった。スーパーFJの頃から続いていたEXEDYのサポートプログラムから離れ、今までとは全く異なる体制でレース参戦をしていくという。
1月上旬に行なわれた東京オートサロンの時点ではまだ体制発表ができる状態ではないと語った三浦。スーパーフォーミュラ・ライツをはじめ、様々なカテゴリーへの参戦を目指して交渉中のようだが、新たな目標をしっかり持って前に進もうとしていた。
「これからEXEDYが支援から離れたとしても、ドライバーとして格を下げることなく、そしてスタイルは変えずに、女性ドライバーとして色んな道を切り開いて行きたいなと思っています」
「今は正直シートは何も決まっていません。でも今年参戦するのがフォーミュラであれ、ツーリングカーのレースであれ『三浦愛はここまで落ちてしまったか……』という姿は見せたくないですし、自分が今まで築いてきたスタイルを保ちながらレースをしていきたいなと思っています」
「あとは……やっぱり子供たちの未来というか、何かモータースポーツに携わりたいと思ってくれている若い子たちの目標だったり、憧れのような存在になることが、今の自分のひとつの目標ですね」

三浦愛(EXEDY B-MAX F317)
Photo by: Tomohiro Yoshita
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