80年代の熱狂から観客動員ガタ落ちの鈴鹿8耐……だからといって“オワコン”なのか?
8月4~6日に行なわれた第44回鈴鹿8時間耐久ロードレース。週末の観客動員数は4万2000人となったことで、心配する声も聞かれている。熱狂を極めた1980年代と比較すると確かにその動員数は心もとなくも見えてしまうかもしれないが、果たして本当に鈴鹿8耐は“終わった”コンテンツなのだろうか?
2023年鈴鹿8時間耐久ロードレースの観客動員数は、4万2000人(金曜:3500、土曜:13500、日曜:25000)だった。この数字はまちがいなく、少ない。ちなみに、感染対策を講じて3年ぶりに開催した昨年の観客数は、3日間合計で4万4000人。昨年からの漸減をどう評価するかはともかく、この2年の成績はメガスポーツイベントの興行実績としては厳しい数字だろう。
2019年の発表は決勝日のみでも6万5500人だったので、新型コロナウイルス感染症による休止が明けたこの2年は、休止前よりも大きく落ち込んでいることがわかる。決勝日の観客数について見てみると、2010年は5万6000人、2011年は5万5500人で、そこから2010年代終盤に少し盛り返したものの、2年の休止期間を経て現在の数字に至っている。パンデミック休止後の落ち込みはともかくとしても、この10数年の動員数は総じてじわじわと右肩下がり傾向の低空飛行がずっと続いている。
コロナ直前の2019年の動員数は109,000人だった。
Photo by: Mobility Land
この近年の動員数を、バイクブーム真っ最中だった1980年代の15~16万人(決勝日)という圧倒的な人数と比較して嘆いてみたところで、それはただ昔を懐かしむ虚しい作業にしかならないだろう(ちなみに、MotoGPの人気が高い欧州や東南アジアでも、決勝日のみの来場者数で15万人に到達する会場はない)。
1980年代といえば、コミックマーケット(※同人誌即売会)は晴海の見本市会場に2~3万人が集まる規模のイベントで、FUJI ROCKやサマソニなどの夏フェスもまだ始まっていない。そんな時代に、8耐は真夏の大型娯楽イベントとして広く世間一般の注目を集める大きなブランド価値を持っていた。その訴求効果が15~16万人という大きな数字となって表れていたわけだが、観客席やスタンド裏の混雑具合を見れば、実際の入場者数はこの公式発表よりもはるかに多かったはず、という声は今もよく聞く。余談になるが、初開催以降いつも安定して18~19万人を集客するタイ・ブリーラムのMotoGPの観客たちの盛り上がりを見ていると、1980年代の8耐に近い熱気を感じることがある。
1990年代に入ると日本経済はバブル景気が崩壊し、全国の様々な場所にじわじわと不況の影が忍び寄りつつあったが、それでも8耐は依然として華々しい雰囲気を維持していた。国内4メーカーは威信を賭けたフルファクトリー体制を整えて、そこに世界のトップライダーたちが参戦し、日本を代表する数々の大企業も続々とタイトルスポンサーについていた。
やがて動員数が10万人を切るようになり、危機感が少しずつ口にされはじめたのが90年代中後半頃だっただろうか。90年代末のあるとき、決勝日の午前にあるチーム関係者とピットレーンで立ち話をしていると、最終コーナー側を示して、「ほら、いまはあそこに空席があるんだよ」と指摘していたことを思い出す。つまり、かつてならびっしりと満員だったシケインから最終コーナーのスタンド席はもはや人で埋まっていない、という事実が、当時の関係者の焦りを呼んだ、ということだろう。
おそらくはこの動員減を食い止めるためのテコ入れ策だったのだろう、ある年には芸術方面にも造詣が深い人気アーティストをイベントプロデューサーとして招き、土曜の前夜祭ではグランドスタンド前に特設ステージを設けて、大々的なコンサートを実施した。また、今でいうリアリティショーの前身のようなテレビ番組で、若者たちの8耐挑戦を一大企画として取り上げたこともあった。
これらの対策がどれほど新しいファン層拡大に貢献したのかは、しっかりとした事後検証がおそらくされていないため、いまも曖昧なままになっている。だが、その後も観客動員数の長期低落傾向に歯止めはかからず、7万人から5万数千人のあたりで推移していった事実が、これらの対策の効果を結果的に示しているといえそうだ。
ピットウォーク
Photo by: Kusudo Aki
それも当然の話で、スポーツイベントの会場にわざわざ人々が足を運ぶのは、競技のダイナミズムや様々なエモーションをその場にいることで強く共有できるからにほかならない。競技の核心部分とかけ離れたカンフル剤や一時的に目を惹くだけのコンテンツでは、レースそのものの魅力が伝わらず、魅力が伝わらなければそれを契機に持続的なファンが定着することもない。
やはり地道であっても、様々なチャネルを駆使してその競技の醍醐味を実直に伝えていくことが、長い目で見たときには最も効果がある方法なのだろう。
そう考えると、今の8耐は、4万人から6万数千人という観客動員数が人気の適正規模、ということなのかもしれない。数字を見れば1980年代の半分から三分の一程度で、それだけを取り上げて、「8耐はすでにオワコン(編注:終わったコンテンツの略。ブームを過ぎて旬ではなくなったことを揶揄する意味合いのスラング)」と揶揄するのは簡単だ。だが、1980年頃と40年後の現在では、二輪車の市場規模も違えば、娯楽の選択肢数も違う。これがたとえば、参加選手も関係者も来場者も20世紀から変わらぬ顔ぶれで高齢化が進む一方なのであれば、「時代から取り残されたイベント」と嘲笑されてもしかたがないだろう。
しかし、今年の8耐で表彰台に登壇した9選手の平均年齢は、28.4歳だ(註:その後、2位のTOHO Racingがタンク容量違反で失格処分になった)。若い世代のライダーたちが台頭していることは、この数字によくあらわれている。
Photo by: Kusudo Aki
観客層に関しては、年齢や世代等の統計データがあるわけではないのでなんともいえないが、木曜から日曜までパドックやスタンド裏などを歩いて見て回った印象では、若者たちのグループから幼い子どもを連れた夫婦、そして年配のオールドファンに至るまでバラエティが豊かで、ケニー・ロバーツとケビン・シュワンツで煮込んだオールドファンばかり、といったふうではけっししてなかった。その意味では、「オワコン」どころか、その魅力を掴み取る新しい感受性や関心を持った人々の流入は、その多寡はともかくとしても、今も確実に続いているといえそうだ。
とはいえ、観客動員数が逓減を続けるよりは、少しずつではあっても年々増えていったほうがよいことはいうまでもない。それを実現するためには、関係各方面が他力本願に頼るのではなく、〈人・金・モノ・時間・情報〉の資源を惜しまずしっかりと投入すること。それに尽きるだろう。これはスポーツや娯楽に限らず、ビジネスの活性化や競争力強化を図る際の鉄則だ。
夢のような特効薬や魔法の杖はどこにもない。8耐ならではの魅力を時間をかけて訴求し続け、その魅力に虜になってしまうファンを次々と作り出せる誠実なプロモーションを、バイクに乗る人に対しても乗らない人に対しても、たとえ愚直でも粘り強く続けていくことだ。
たとえば日曜12時のNHKのど自慢が70数年ものあいだ一定数の老若男女にずっと支持され続けているように、8耐の魅力もそれがわかる人々に着実に届きつづければ、暑い盛りの夏の風物詩的存在として、これからも長く愛され続けてゆくにちがいない。フランス・ボルドール24時間は100年以上の伝統を持つ。鈴鹿8耐が50周年という歴史の里程標に到達するまでは、あと4年。そのときの来場者数は、現在よりも増加しているだろうか。
記事をシェアもしくは保存
Subscribe and access Motorsport.com with your ad-blocker.
フォーミュラ 1 から MotoGP まで、私たちはパドックから直接報告します。あなたと同じように私たちのスポーツが大好きだからです。 専門的なジャーナリズムを提供し続けるために、当社のウェブサイトでは広告を使用しています。 それでも、広告なしのウェブサイトをお楽しみいただき、引き続き広告ブロッカーをご利用いただける機会を提供したいと考えています。