ホームのファンにお別れを。ドヴィツィオーゾ、シーズン途中の引退決断「満面の笑みで終わろう」
アンドレア・ドヴィツィオーゾは、9月のサンマリノGPをもってMotoGPのキャリアを終えるという”難しい決断”を下した理由を説明した。
写真:: Gold and Goose / Motorsport Images
アンドレア・ドヴィツィオーゾ(RNFヤマハ)が9月のサンマリノGPを最後にMotoGPを引退すると発表した。彼はシーズン途中での引退を決断した理由について、ホームレースで別れを告げたいと語った。
MotoGPで15回の優勝経験を持つドヴィツィオーゾは、2020年シーズンでドゥカティを離れた後、2021年シーズン後半からペトロナス・ヤマハSRT(現RNF)に加入。しかしその後は大苦戦を強いられている。
ドヴィツィオーゾはレースを楽しめていないことから、引退を決断。9月にミサノで行なわれるサンマリノGPで、ホームのファンに自分の言葉で別れを告げたいと考えている。
「ヤマハとチームのみんなに感謝したい。彼らは僕のことを理解し、多大なサポートをしてくれたんだ」
「それは僕にとってとても重要なことだった」
「僕は自分の状況について、リラックスして話すことができるよ。20年も(世界選手権を)戦ってきた後で、このような決断を下すのは大変なんだ。でも大丈夫。リラックスして、決断を下す時だ」
「ライダーである以上、プラクティスやレースで自分の思うような位置にいないとき、頭の中ではいろいろなことを考え始め、そして今がその瞬間だということに気づくものだ。それが決断した理由だ」
「今だから言えるけど、ライダーとして色々なことを考えすぎるのは、あまり良いことじゃない。競争力を感じられないと、レースだけに集中できずに、そういうことを考えすぎてしまうんだ」
「この決断をするために、僕はミサノを正しいレース、最後のレース、最後のホームレースにしようと考え始めたんだ。そして友人やファンのみんなと一緒に、満面の笑みでパーティーをしながら終わろうと思っていた」
ドヴィツィオーゾは、2008年にMotoGPにステップアップ。当時はホンダのバイクに乗っていた。2012年にテック3でヤマハのバイクに乗った後、ドゥカティのファクトリーチームに加わった。
ドヴィツィオーゾは、昨年のミサノでヤマハのバイクを久しぶりに走らせた時から、マシンの特性が自分のライディングスタイルと相容れないことを認識していたという。そして競争力を高めるため「いろいろなことを試しすぎた」と感じているようだ。
「僕がバイクに飛び乗った時、初めのうちはバイクのベース部分を感じていた。すぐに、そのグリップに少し驚いたよ。いつも言っていることだけどね」
「それが最大の特徴だったと感じた。そして僕の乗り方は、このマシンのポテンシャルを活かすためのベストな乗り方ではなかったんだ。実際、ファビオ(クアルタラロ)はこのバイクで競争力を発揮しているし、タイトル争いができるポテンシャルがあると示しているからね」
「チームやラモン(フォルカダ/クルーチーフ)、ヤマハと一緒になって、いろいろなことを試してきた。たぶん、それが多すぎたんだ。それが重要なことだとは思っていない。大きな変更をしても、影響が大きかったわけではないからね」
「僕のライディングスタイル、コースへのアプローチの仕方と、ヤマハの特性がうまくマッチしていないことが分かっただけなんだ」
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