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インタビュー

VSロッシの名勝負。09年カタルニアGPをロレンソが回顧「あの頃は若く傲慢だった」

2009年のカタルニアGPではホルヘ・ロレンソとバレンティーノ・ロッシによる素晴らしいバトルが繰り広げられた。今も語られる同レースでのオーバーテイクを、引退したロレンソが振り返った。

Valentino Rossi, Yamaha Factory Racing, Jorge Lorenzo, Yamaha Factory Racing

写真:: Gold and Goose / Motorsport Images

 ホルヘ・ロレンソとバレンティーノ・ロッシというライダーの名は、MotoGPの歴史において非常に重要なものだ。彼らは今でこそ、マルク・マルケス(レプソル・ホンダ)の支配を打ち破るためにヤマハで協力しているが、過去には同じチームながらガレージに壁を築くという、激しいライバル関係にあった。

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 その中でも印象的な瞬間のひとつに、2009年のカタルニアGPが挙げられる。ロレンソとロッシは最終ラップに至るまで争いを繰り広げ、最終ラップで先頭に立っていたロレンソを、ロッシは最終コーナーで見事にパス。そのまま優勝を手にした。

 スペクタクルに満ちたこのレースは史上最高のレースのひとつと数えられているほどだ。

 イギリスのスポーツチャンネル『BT Sports』の番組“The best races”では、このレースが取り扱われ、ロレンソはかつてのバトルについて、敗因や当時の心境を語った。

「ああいった作戦は予想していなかったところがあったけど、予想していた部分もあった」

「当時、僕はちょっと頑固すぎた。走行ラインを閉じるのがは少し怖くて、レースを通じて同じラインを維持していた。彼が何をしてくるのかが分からなかったし、それを利用されたんだ」

「思い返すとその2年前、ケーシー・ストーナーのときもそうだった。彼(ロッシ)はそういった動きをそれまでにもしていたから、できると分かっていたんだ。彼はそれを再びやってみせ、僕は負けた」

 ロレンソはこうしたバトルにおいて、それぞれのライダーの経験の積み重ねと、強みの違いが結果につながったと考えている。

「当時の僕はまだ22歳で、今のような経験はなかった。バレンティーノはもう30歳で、多くの経験を積んでいた。正直に言うと、普通の状況でも彼は僕よりブレーキングで常に優れていた」

「僕はドゥカティに移籍した時に、どうすればとても深いブレーキングができるのかを理解した。でもヤマハ時代は、彼は僕よりもブレーキングがハードで、そこからアドバンテージを得ていたんだ」

「ブレーキングよりもコーナリングスピードの方がより強力だけど、彼にはそのアドバンテージがあったから、それを使っていた」

「僕がもう数メートル離れてコーナーへ入っていたらどうなっていただろうか。誰にも分からないけど、おそらく僕はオーバーテイクされず、優勝していただろう。それか僕が異なるラインで走っていたかもしれない。でもそれは誰にも分からない」

若い頃は限界なんて無いと思っていた……

 ロレンソは2008年にMotoGPへデビューすると、それ以来ロッシとトラック内外で舌戦を含む様々なバトルを繰り広げてきた。彼は若い時には恐れるものなど存在しなかったと当時を振り返っている。

「250ccクラスからMotoGPクラスへステップアップした時、コース内でもコース外でもかなり不遜だった。1年目は何でもできると思っていて、僕の頭には限界というものが存在しなかった」

「最初の3〜4戦、ミシュランタイヤは信じられないくらい良かったし、バイクには快適さを感じていて限界なんて無いようだった」

「僕の才能とバイク、そして競争力のあるタイヤで、最初のレースからポールポジションを獲って、2戦目でも再現してみせた。そして3戦目で勝利して、僕には何も恐れるものがなかった」

「それを公の場で話すと、誰かが傲慢だと言ったんだ。僕にとって“アイドル”のようなライダーはいないと言っていたし、バレンティーノも僕のアイドルだとは思っていなかった……ちょっと傲慢だったかもしれないね」

「そして確かに彼のファンや、一般の人はこうした発言を聞き慣れていなかっただろうから、受け入れられなかったんだろう。でも僕は頭の中でそう考えていて、限界なんて無いと思っていた。だからああした並外れた結果を出せたんだと思う。でも中国やル・マン、ムジェロでのアクシデントが転機になって、僕の考えは少し変わって、地に足をつけるようになったんだ」

 多くのファンが2009年のカタルニアGPを記憶に刻みつけているが、ロレンソとしては当時のチャンピオンシップのレベルが拮抗していたために起きたことだと分析しているようだ。

「僕は当事者だからそれを語る適切な人間じゃないけど、多くの人があのレースは素晴らしかった、壮観だったと言うなら、それは当時のチャンピオンシップでの僕らのレベルが非常に近かったからだろう」

「あのレースでの勝利は、それ以降のタイトル争いにおいて重要だったんだ。残念ながら僕は負けてしまって、勝ったバレンティーノにとっては幸運だった。これでチャンピオンシップの方向は少し変わった。なぜならバレンティーノはいいスタートを切っていたけど、ル・マンでは転倒して、そこでは僕が勝っていたからね」

「モントメロ(カタルニア)に着いた時、僕らのポイントは殆ど同ポイントで、ケーシーも接近していた。僕とバレンティーノは同じマシンでどのセッションも似たようなタイムを記録していたから、レースでは逃げることはできず、秒単位のマージンなんて得ることはできなかった」

「僕はプッシュしたけど、逃げられなかった。バレンティーノも同じだ。誰が勝者になるかを知る方法は、最終コーナーを待つしかなかったのさ」

 

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