【MotoGPコラム】“46”がMotoGPから去った日……現役引退レースの「明るい終わり方」にロッシの象徴を見る
2021年のMotoGP第18戦バレンシアGPを最後に、バレンティーノ・ロッシが現役引退した。ふたりといないこの伝説的なライダーの”ラストダンス”は、レースウィークを通じて彼のために用意されたグランプリだったと言えるだろう。
第18戦バレンシアGPは、なにもかもがバレンティーノ・ロッシを中心として進んでいったウィークだった。大会前の各種事前イベントが行われる木曜を皮切りに、走行がスタートする金曜、予選の土曜、そしていよいよグランドフィナーレの決勝レースが行われる日曜日、と時間が進むに従って、ロッシを送り出すための様々なものごとが、パドックのあちらこちらで着々と準備されていった。
走行が始まる前の木曜には、26年間の現役活動を終えることに関する特別記者会見が行われた。会見場にはMotoGPクラスの全ライダーたちも出席し、最前列に座って、質疑応答の一部始終に立ち会った。そして、会見が終了すると、選手たちは全員が壇上にあがってロッシと並び、記念撮影。そのあと、ひとりひとりが入れ替わり立ち替わり抱擁を交わして、二輪ロードレース界のスーパースターに敬意を表した。
バレンティーノ・ロッシを囲むMotoGPライダーたち
たとえば新チャンピオンのファビオ・クアルタラロは、ロッシが125ccクラスにデビューを果たした26年前の1996年3月には、まだ生まれてもいない。彼らがものごころついたときからすでに、ロッシは世界の頂点に君臨する英雄だった。ハグを交わす選手たちの表情からは、レースファンの子供時代に憧れの人物とツーショットを撮ってもらったときに戻ったかのような、なにか素朴な喜びのようなものも窺えた。このときの様子は、MotoGPの公式サイトでライブ配信されていたので、中継をオンラインで見た日本のレースファンの方々もきっと少なからずいたことだろう。
パドックのもっとも最終コーナー寄りの場所には、9回の世界タイトルを獲得した歴代チャンピオンマシンが展示された。その少し向こう側のピットビルディングの壁には、全パドック関係者が寄せ書きをするための、大きな横長パネルが掲示された。
さらにその向こう、最終コーナー立ち上がりのアウト側にあるビルは、レストランなどが収容されているが、ここではパドック側に向いた壁一面に、写実的なロッシの表情がポーレート風に描かれ、日を追うごとに着々と完成へ近づいていった。この絵を描いたのは、アクスカラーズという名のアーティストだ。
金曜の夜になると、ホンダ、ヤマハ、ドゥカティ、アプリリア等、過去にロッシが関わってきたチームのピットガレージ裏で、トレーラーヘッドのサイドミラー部分にボードが飾られた。これらのボードには、各メーカーやチームで彼がチャンピオンを獲得し、あるいは活動してきた軌跡がイラストとともに簡潔に紹介されている。
【ギャラリー】ロッシの壁画、歴代チャンピオンマシンEtc……
……と、このようにレースウィークが進むに従って、数々のデコレーションや展示があちらこちらで着々と整えられていった。祝祭感、という言葉だとやや雰囲気が異なるかもしれないが、バレンシアサーキットのパドックにいる皆が、バレンティーノ・ロッシの引退を明るく愉しく盛り上げようと様々な工夫を懲らしていった。
思い返せば、ここバレンシアサーキットでは、過去にもロッシが深く関わり合う様々な出来事があった。だが、その多くはけっしてポジティブなものではなかった。
たとえば2003年最終戦。このときの週末も、ロッシは特別記者会見を実施した。会見、といっても記者席との質疑応答があったわけではない。すでに公然の秘密になっていた、ホンダ離脱を公式に発表する場だったからだ。
このときロッシは、あらかじめ用意された紙を手に、文面をただ淡々と読み上げるのみだった。このレースを最後にホンダを離脱することと、それまでの感謝を述べる簡潔な内容だったが、会見場は取材陣やチーム関係者などですし詰め状態だった。ヤマハへ移ることはすでに広く知られていたものの、この段階で移籍先はまだ公表されていない。段取りとして、この会見があった直後に、ヤマハ側が正式にロッシ移籍を発表したような記憶がある。そして、このメーカー移籍に際して、ホンダは年内のシーズンオフテストを許可しない、という措置をとったため、このときのバレンシアは妙にぎくしゃくした雰囲気も漂っていた。
その翌年、ヤマハ移籍初レースの南アフリカGPで優勝し、秋には移籍初年度のタイトル獲得、という離れ業を演じてみせたのは周知のとおり。2005年も連覇。2006年のタイトル決定戦は、このバレンシアに持ち越された。
ホンダのニッキー・ヘイデンとタイトルを争っていたロッシは、2コーナーでフロントを切れこませて転倒した。このとき、大勢のイタリア取材陣からあがった大きな落胆のどよめきは、いまも耳の奥に残っている。
2011年最終戦は、ロッシ最愛の後輩マルコ・シモンチェッリの追悼レースでもあり、辛さ、哀しさ、痛々しさといった雰囲気が週末のバレンシアサーキットを覆った。
2015年は、マルク・マルケスとの確執が頂点に達し、さまざまな出来事が最悪の伏線になって、最終戦バレンシアで悪い意味でのピークに達した。このときは、ホンダとヤマハの企業間の軋轢のような状態にも発展し、このうえなく気まずく、坐りの悪い雰囲気がパドックを支配した。4位でゴールしたロッシはチャンピオン争いに敗れ、ランキング2位でシーズンを終えた。
このように振り返ってみると、ロッシ自身が「バレンシアサーキットとの相性はあまり良くない」というのも、たしかに納得できる。
しかし、それら過去のあまり冴えない印象はすべて、今回の最終戦で一気にポジティブな方向へ転化し、昇華されていったような感がある。
彼の引退を愉しく盛り上げようとする展示や催しなどの仕掛けは、すべて、バレンティーノ・ロッシの最後の〈花道〉を明るく演出した。チェッカーフラッグを振ったのは、ロッシが自らのヒーローであることを公言してはばからないロナウド。ゴールラインを通過した選手たちは、皆が2コーナーにバイクを止めて待ち受け、現役最後の決勝レースを走り終えた英雄を祝福した。皆が笑顔でオマージュを贈った。ロッシ自身も皆と唄い騒ぎ、湿っぽさはかけらもない。
2021年の最終戦バレンシアGPは、二輪ロードレースの歴史にとって、ひょっとしたら最も重要な歴史的一日だったのかもしれない。しかし、それはとことん陽気で明るい終わり方をした。そしてそれこそが、バレンティーノ・ロッシという稀有な人物像を、なによりもよく象徴しているのだろう。
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