3年越しの夢がようやく叶った……満を持して来日のラウル・ハイマン、スーパーフォーミュラ1年目から“背水の陣”で挑む
2022年にHPDのスカラシップを獲得したラウル・ハイマンは、長い月日を要したものの、2020年に新型コロナウイルスの世界的蔓延始まった時に逃した日本でのレースの機会をようやく手にしようとしている。
Raoul Hyman, B-Max Racing Team
Motorsport.com / Japan
先日行なわれたホンダのモータースポーツ活動計画発表会の中で、ひときわ大きな笑みを浮かべていたドライバーがいた。彼こそが来季B-Max Racingからスーパーフォーミュラに参戦するラウル・ハイマン。日本でレースがしたいという目標を掲げながらも長らく叶わず、特に2020年からの2シーズンは一切レーシングカーに乗ることができなかったのだから、その喜びもひとしおだ。
ハイマンは2022年にフォーミュラ・リージョナル・アメリカズ(FRアメリカズ)でチャンピオンに輝いたことで、ホンダの米国部門であるホンダ・パフォーマンス・デベロップメント(HPD)からスカラシップを獲得。スーパーフォーミュラ参戦が叶った。
実はハイマン、コロナ禍がなければ2020年にB-Max Racingからスーパーフォーミュラ・ライツにデビューしていたはずだった。実際、2019年の冬には鈴鹿でテストに参加している。しかしパンデミックの影響で日本に入国できなくなり、彼のキャリアは宙に浮いた。
そんな中で手にしたFRアメリカズ参戦のチャンス。タイトルを獲得すれば日本行きの道が開かれることは分かっていたが、失敗すればレースキャリアが終わりかねないことも理解していた。
「2年半もレースカーに乗れないと、今の自分がいかに恵まれた環境にいるかがよく分かるよ」
ホンダの発表会前、motorsport.comに対してそう語ったハイマン。コロナ禍以降は日本への入国条件などを毎日のようにwebサイトで確認する日々だったという。そしてついに来日が叶って迎えた発表会で「私の名前はラウル・ハイマンです。イギリスから来ました。26歳です。日本語は難しいですけど、英語で話します」と流暢な日本語で話す姿は、彼の聡明さとユーモアを示すと共に、彼の日本への思いの強さを体現しているかのようだった。
「鈴鹿でスーパーフォーミュラのマシンに初めて乗ったり、こうやって東京にいることさえも現実じゃないみたいだ。もっと頑張ろうという気になる」
日本行きのチャンスを得られない間、2シーズンは欧米でもレースをすることがなかったハイマン。「色々コンタクトを取っていたけど、『これだ!』というチャンスがなかった」と振り返る。曰く、チャロウズからFIA F3に参戦して苦戦した2019年の経験から、やや慎重になっていたのだという。
2019年のFIA F3は厳しい1年となり、最高成績は9位となった。
「チャロウズでの1年を通して、レースに出るならチャンピオンを狙えるチームでないといけないと改めて思わされた」
「FIA F3やユーロフォーミュラ・オープンのチームから声がかかり、良いオファーもあったけど、そもそもそれを受けるだけの資金がなかったし、それにゲスト参戦や勝てない状況でレースをしても得られるものはないと思っていた」
「今年のニューオリンズでの(FRアメリカズの)テストまでの2年間、僕はレーシングカーに乗ったこともなければ、サーキットにも行っていなかった。本当にキツい2年間だった」
そしてFRアメリカズに参戦するにあたっても、チャンピオン獲得でスカラシップを得られることは理解していたが、だからこそ勝てるシリーズ、勝てる体制であるかどうかをしっかり吟味した上で参戦を決めた。「誤解を恐れずに言えば、そうなればあとは自分次第だからね」とハイマンは言う。
2年半という大きなブランクを経てFRアメリカズに参戦したハイマンだが、18戦11勝という圧倒的な成績でチャンピオンに輝いた。そして今、フォーミュラ・リージョナルと比べて2倍のパワー、3倍のダウンフォースを誇るスーパーフォーミュラのマシンと対峙している。
先日鈴鹿で行なわれた合同/ルーキーテストで初めてスーパーフォーミュラのマシンを走らせたハイマンは、SF19の速さについて次のように表現している。
「鈴鹿のS字に入って行く時、これまでの(レースで経験した)どのストレートよりも速かった」
昨年、F3からFRレベルに戻ったことが賢明な選択だったことが証明された。
テストにはB-MAX Racingから参加したが、ハイマンが乗ることとなったマシンはチームの元に届いたばかりという状態で、彼にとっては”シェイクダウン”のような2日間となった。ただルーキーにとっては、スーパーフォーミュラが来季から新たな空力パッケージを投入した『SF23』を導入することで、ベテラン勢の多いシリーズの中でもよりフラットな舞台で戦えるということは朗報だ。
ハイマンにとっても好機ではあるが、HPDのスカラシップは彼に入り口を設けただけ……2024年以降もスーパーフォーミュラに留まるためには、早くから良い印象を与えていく必要があるとハイマン自身も理解している。
「昨シーズンのようなモノだ」
ハイマンはそう冷静に語る。
「昨年はスカラシップを獲得できなければ、僕のキャリアが終わってしまうかもしれないと思っていたんだ。今年はHPDとHRCのサポートがあるけど、できるだけ早く最高レベルまで到達しないといけないことも分かっている」
「開幕まであと1回しかテストがないから、それを最大限に活かさなければならない。プレッシャーのかかる状況だけど、同時に僕はプレッシャーに強いと思っている」
新たなシャシー投入の問題で、鈴鹿でのルーキーテストは試練の連続となった。
またハイマンは、同じホンダ/M-TECエンジン勢のTEAM MUGENやDOCOMO TEAM DANDELION RACING、TCS NAKAJIMA RACINGに対して、歴史の浅いB-MAX Racingではあるものの、求められる結果を得るためのツールは十分に整っていると考えている。
「彼らは昨年、苦戦を強いられたけど、スーパーフォーミュラ・ライツではタイトルを獲得した。レースでも優勝して、ポールポジションも獲得している」とハイマンは言う。
「テストでの作業を見ていると、良いレベルにあることが分かる」
「他の人が何を期待しているかは、あまり気にしていない。僕の望みは(タイトル)候補であること……レースを続けるためには、そうでなきゃダメだからね。毎回、進歩を成し遂げていく必要があるけど、僕は他のみんなを”出し抜く”ためにベストを尽くして、チームとして確実に出し抜けるようにトライしようと思う。そうすれば結果はついてくると信じている。それが計画だ」
Be part of Motorsport community
Join the conversationShare Or Save This Story
Subscribe and access Motorsport.com with your ad-blocker.
フォーミュラ 1 から MotoGP まで、私たちはパドックから直接報告します。あなたと同じように私たちのスポーツが大好きだからです。 専門的なジャーナリズムを提供し続けるために、当社のウェブサイトでは広告を使用しています。 それでも、広告なしのウェブサイトをお楽しみいただき、引き続き広告ブロッカーをご利用いただける機会を提供したいと考えています。
Top Comments