31年続けた“挑戦の歴史”に幕……ル・ボーセ坪松代表が語るモータースポーツとは
2019シーズンいっぱいでレース活動を完全終了したレーシングチーム『ル・ボーセ モータースポーツ』。31年にわたってチームを率いてきた坪松唯夫代表にとっては、まさに“戦い”と“挑戦”の日々だった。
写真:: 吉田知弘
国内のフォーミュラカテゴリーを中心に活躍してきたル・ボーセ モータースポーツが2019シーズンいっぱいでレース活動を完全に終了することを発表。12月に鈴鹿サーキットで行なわれたスーパーFJ日本一決定戦を最後にレース参戦を終了した。
そして2020年1月をもって株式会社ル・ボーセ モータースポーツとしての全活動も終了し、31年にわたるチームの歴史に幕が下ろされる。
「レース活動を終えることに関しては未練はなくて、本当にスッキリとした気分です。でも、“自分の城”でもあった工場を去らなければならない時が、一番寂しさを感じるのだと思います。このファクトリーの間取りとか、自分が全て考えてやったものですからね……」
Photo by: Tomohiro Yoshita
フォーミュラをやるなら一番下から一番上まで全部やる
これまで31年に渡ってモータースポーツ界で活躍してきたル・ボーセ。その歴史は“挑戦の連続”だった。1989年にFJ1600でレースを開始すると、F4や全日本F3、フォーミュラ・チャレンジ・ジャパンなど参戦カテゴリーを拡大していった。そして2011年には日本のトップフォーミュラであるフォーミュラ・ニッポン(現スーパーフォーミュラ)へのエントリーを果たし、日本の底辺カテゴリーからトップフォーミュラまで全て網羅した。
「自分の会社を作った時に『フォーミュラをやるなら一番上まで行かないといけないな』と思いました。ただ、スーパーフォーミュラをやるのが目標ではなくて、(国内最高峰の)スーパーフォーミュラから一番下のカテゴリー(スーパーFJやFJ1600)までやる。それぞれのカテゴリーで得たノウハウを他のカテゴリーにも活かす、そして高い意識を持ってメカニックやスタッフに頑張ってもらっていました」
「ハングリー精神ですね。人がやったことがないことにチャレンジしていきたいという気持ちがありました。そういう意味でツーリングカー(スーパー耐久)というのは新しいチャレンジで、ここ数年やらせてもらっています。ワンメイク化が進んでいる中で、クルマをイチから作っていくという部分ではすごく勉強になりました」
“人がやったことがないことにチャレンジをしていく”。そのハングリー精神が、坪松代表やチームの原動力となっていた。
小河諒、嵯峨宏紀、山下健太(#62 DENSO LeBeausset RC350)
Photo by: Tomohiro Yoshita
山下健太や中山雄一など多くのトップドライバーを輩出「育成冥利に尽きる」
坪松代表率いるル・ボーセ モータースポーツは、これまで数多くの若手ドライバーを輩出してきた。中には昨年スーパーGT(GT500)でチャンピオンを獲得し、今年はヨーロッパを拠点にして活動する山下健太や、同じGT500ドライバーとして昨年活躍した中山雄一、この他にも嵯峨宏紀や山内英輝、千代勝正など現在も日本のトップカテゴリーで活躍するドライバーが、このル・ボーセに在籍し坪松代表とともにレースを戦った経験を持つ。
こうして自身が育て、一緒になってレースの現場で苦楽をともにしたドライバーたちが国内外のトップレースで活躍する姿を見て、坪松代表は感慨深いと語る。
「すごく嬉しいですね。育成冥利に尽きるなという感じです。今皆さんが知っている中では山下健太が有名ですが、(ル・ボーセ出身ドライバーは)彼だけではないです。中山雄一もそうですし、育成枠から外れてもう一度(トップに)返り咲きたいと思ってやっていた山内英輝もそうです。千代勝正もF3のNクラスで一緒に戦いました」
「(メーカーの育成枠などで)1回クビになって、うちでもう一度頑張って(トップクラスに)戻っていく。それをドライバーと近い距離で色々やって、(彼らに)もう一度自信をつけさせる……やっぱりそこに喜びを感じるし、だから頑張れます。僕だけじゃなくてスタッフもそういう意識を持ってやっていました」
「うちはメーカーの育成から落ちてしまった子とか、2番目、3番目だった子が多いので、そういう子をどうにかして(メーカー系のドライバーを)逆転させるようにしていました。例えば中山雄一も、FTRSを落ちた時にもう一度最初からやり直した子でした。そういう子を見捨てずにやってきました」
「その中で常に言ってきたことは『ワークスに絶対負けるな!』でした。だからメーカー系が出てくるだけで、異常な敵意が僕は出るんです。やっぱり常に戦いたいんですよね」
ル・ボーセ モータースポーツ 坪松唯夫代表
Photo by: Tomohiro Yoshita
「ワークスに絶対負けるな!」若手ドライバーたちとともに戦ってきた日々
特にジュニアカテゴリーでは、メーカーの育成ドライバーたちが乗るチームに立ち向かうプライベーターという立場だったル・ボーセ。坪松代表も若手ドライバーたちには常に“打倒ワークス”を意識させていたという。
「もちろん『ワークスに負けるな!』と常に言っていましたし、負けないために何をするか……ですね。やっぱりワークスの中にいると(環境が)恵まれているから、見えない部分があるんですよね。もちろん厳しい部分もあると思います。でも、僕たちはユルいところはユルいです。例えばワークスだった当たり障りのない挨拶をして、(周り)ペコペコするでしょ。でも僕たちのチームは周りに頭を下げても何にもないんです」
「うちの場合はお金も持ってこなくちゃいけないし、そういう(スポンサー集めなどの)努力も必要だし、自分を応援してくれるブレーンを作らなければいけません。そのためにメカニックも味方につけなければいけません。ワークスはそう言ったことをしなくても、周りがやってくれますからね」
「ル・ボーセはある意味で尖っていないとダメなんですよ。でも、この尖った状態であと10年レースができるかというのは一番大きいですね。尖ってできないのであれば……辞めたほうがいいなと思いました」
#62 DENSO LeBeausset RC350
Photo by: Tomohiro Yoshita
ル・ボーセ坪松代表が語る“モータースポーツとは”
こうして30年以上にわたって数多くのドライバーを輩出し、日本のモータースポーツ史の1ページに刻まれる活躍を見せたル・ボーセ モータースポーツ。いよいよ、その活動にピリオドが打たれる時がきた。スーパーFJ日本一決定戦が終わり、モータースポーツ界での挑戦の日々が終わった坪松代表に、改めて「坪松代表にとってモータースポーツとは何ですか?」と質問すると、力強くこのような回答が返ってきた。
「自分が一生懸命燃えることができる“ひとつの道具”ですかね。例えばレースって、自動車が好きで入ってきたりとか、メカが好きで入ってきたりとか、(動機は)色々あると思います」
「僕の場合は、自動車に対してはあまり興味がないんです。最初はメカニックをやっていましたけど、そこからレース業界に行ったというのは、人と戦う・比べ合うのが凄い好きだからなんですよね。“負けたくない”というよりも“勝ちたい”という気持ちが強いです」
「モータースポーツは機械を使って人と人が争う場です。自分は機械をいじるのが好きですし、そこで人と勝負をする、順位がつけられることはすごく楽しいですね。モータースポーツの良いところはそこだと思います」
「自分の気持ちもすぐ入っていくし、何より結果がすぐ出るのが良いですね。『あなたは何番目』と結果が出るのはすごく大好きなんです。そういう部分で言うと僕は“クルマ好きが高じてやってきた”というよりも……“戦うのは好き”でやってきた方が大きいですね」
「まさに“血の出ない戦争”ですよ」
「モータースポーツは技術の戦いでもあるし、人間と人間がぶつかり合うのも、ヒューマンスポーツとしては面白いなと思います。特に若い子たちがもっと羽ばたくために身を削りながらやっている姿は凄くいいですね。(若手ドライバーたちには)これから大きく羽ばたいていってほしいです」
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