【インタビュー】ヘイキ・コバライネン:後編 静かなる退場に「僕らしい引き際。これでいいんだ」

2021年シーズン限りでスーパーGTを去ることとなったヘイキ・コバライネン。その決断の背景をはじめ、包み隠さず赤裸々に話してくれた。今回はその後編となる。

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ー54レース戦ったスーパーGTでの印象的な思い出

「優勝したレースは全て良い思い出があるけど、特に(2017年の)SUGOで(平手)晃平が本山(哲)さんとバトルしている時は、心臓が止まりそうになったね。僕たちと日産(MOLA)はセーフティカーやピットウインドウのおかげで、後続に1周差をつけることができた。最初は晃平が8秒くらい差をつけていたけど、タイヤがダメになってGT-Rが追い上げてきた。最終ラップではぴったり後ろにつかれていた。最終セクションでは雨が降っていて、晃平はSPインでコースオフ、本山さんも一緒にコースオフした。晃平がコースに戻った時、ふたりは接触して、マシンが横向きになって……でもなんとか2台は前を向くことができた。とんでもないレースだったし、間違いなく記憶に残る勝利だった」

「(小林)可夢偉との唯一の勝利は、(2018年の)タイでのことだ。べらぼうに速いクルマではなかったけど、前を走るには十分で、可夢偉は非常に良い仕事をして前に立ち続けてくれた。彼が走った後半スティントは相当なプレッシャーがかかっていただろう。彼は1年だけの在籍だったけど、彼と一緒にレースをして、勝てたのはよかった」

「そして中山(雄一)に関しても、かなり良いスティントを見せてくれたことがたくさんあった。彼はマシンをゴールに確実に持ち帰るという点では素晴らしい男だ。(2019年の)オートポリスは素晴らしいレースだった。僕は誰よりも長くステイアウトしていて、ピットに入った時に雨が酷くなってきた。そこでウエットタイヤを履くことができたから、僕たちは1度のタイヤ交換で済んだ。終盤にホンダ17号車のベルトラン・バゲットが迫ってきたけど、彼(中山)は本当にうまくタイヤをケアしていた。20秒くらいあった差が4秒になったけど、そこでバゲットはタイヤを使い切ってしまった」

中山雄一とヘイキ・コバライネン(#39 DENSO KOBELCO SARD LC500)

中山雄一とヘイキ・コバライネン(#39 DENSO KOBELCO SARD LC500)

Photo by: Masahide Kamio

「2016年にタイトルを決めた時も、もちろん印象的だった……あの時はもてぎでの2連戦。予選でポール2回、決勝は1位と2位、2戦合計で最大42点を獲得できるところで、37点も稼ぐことができた。あの週末はクルマが本当に速くて、それを最大限活かせた。スーパーGTでのポールポジションはあの時限りだ。土曜日(2連戦の1戦目)はGT-Rの1台(KONDO RACING)がタイヤ無交換作戦でジャンプアップしてきたので、2位が精一杯だった。あの時はau TOM'Sの(ニック)キャシディに長い間引っかかって、『僕はチャンピオン争いをしてるんだから、行かせてくれよ!』と思ったことを覚えている」

「最後の数周でGT-Rに追い付いたけど、抜くことはできなかった。僕は少し怒っていたから、レース後にトヨタの人たちに『僕たちには助けが必要だ。僕たちはこのレースに勝てたかもしれないんだから、ニックに行かせるよう言ってくれれば良かったのに』と言った。いずれにせよ、次の日も晃平がポールをとってくれて、そのままレースでも先頭のままフィニッシュすることができた。それも良い思い出だね」

#39 DENSO KOBELCO SARD RC F

#39 DENSO KOBELCO SARD RC F

ーここ数年、日本にやってくる元F1ドライバーが減っていることについて

「興味深い点だね。今は日本に限らず世界的に、若いドライバーがどんどん優秀になっている。トヨタとホンダは特に若手育成に力を入れていて、日本人選手をGT500で通用する水準まで育てることができている。そうする方が、外国人を起用するより簡単なのかもしれないね。つまり、5、6年前と比べると(外国人ドライバーが日本でレースをする)機会が減っているということだろう」

「外国人ドライバーがスーパーGTを意識しているかどうかも正直分からない。ここに来る前、僕も少しは見ていたけど、(スーパーGT参戦を決めたのは)基本的にはSARDから連絡が来たからだ。外国人ドライバーがもっとアピールをすれば話は変わってくるかもしれないけど、日本の若手ドライバーでグリッドが埋まってしまった今、彼らにとっては厳しい状況が続くかもしれない」

「(第7戦)もてぎでSARDに僕の決断を伝えると、彼らは『後任になれそうなドライバーはいるか』と聞いてきた。でも僕は、トヨタには良い若手がたくさんいるし、今のSARDは(脇阪)寿一さんと近藤(尚史)さんで運営しているから、日本人ドライバーの方がやりやすいんじゃないかと伝えた。ミーティングも全て日本語だし、外国人ドライバーがそれを全て理解するのは難しい」

「外国人ドライバーで誰か思い付くかと言われて、唯一頭に浮かんだのが(ニコ)ヒュルケンベルグだった。ただ同時に、彼がインディカーで走ることを辞退したというニュースを見たことを思い出した。彼らにはプランがあると思っていたから、そういう質問をされたことには驚いた」

ー外国人ドライバーが日本でレースをすることは大変なのでは

「最初の数年間は(日本とヨーロッパを)行ったり来たりしていたけど、今はテストやシミュレータ作業もあるので、日本を拠点にしないといけない。年を追うごとに日本で過ごす時間が長くなり、フライトの回数も減った。レースとレースの間が長い時だけ、(ヨーロッパに)戻るようになった」

「2018年からはおそらく1年の半分以上を日本で過ごしたけど、ここ2シーズンは(新型コロナの流行により)昨年の8月から2週間を除いてずっと日本に滞在していた。そこで思ったのは、スーパーGTに参戦を始めた当初もフライトを減らすべきだったのかもしれないということ。それで結果が変わったかどうかは分からないけど、(日本とヨーロッパを行き来するのは)疲れるし、日本を拠点にした方が楽だっただろう。今の熾烈なスーパーGTでは、ここを拠点するくらいのことはしないといけないんだ」

#39 DENSO KOBELCO SARD GR Supra

#39 DENSO KOBELCO SARD GR Supra

Photo by: Masahide Kamio

ー最後に、スーパーGTを去るにあたって何か言い残すことは

「シーズンが終わる前に発表したくはなかった。トヨタもSARDも最終戦の前に発表したかったみたいだけど、そうしないように僕からお願いした。その理由は、そうすることで何か余計な力が入ってしまうことを避けたかったのと、今シーズンはあまり成績が良くなかったので、最後にもう一度みんなで結果を出すことに集中したかったからだ。日本のやり方を知っている僕にとっては、そっちの方が良かった。こういう時は色々とイベントやセレモニーが開かれるんだけど、僕は注目されるのがあまり好きではないから、とにかくレースに集中するのが正しいことだと思った」

「お別れを言えずに残念に思っているファンのみんなには申し訳なく思っている。でもこれは僕が決めたことなんだ。僕にはこういう終わり方が似合っている。これまで僕は、大きな話題を集めようとすることもなく、ただひたすらに自分の仕事をこなす静かな存在だった」

「時々、僕が過小評価されているとか、僕の功績が評価されていないとか言ってくれる人もいるけど、僕はそういうことは気にならない。注目されたいならもう少し声を上げればいいんだろうけど、僕はそうしない。それに、トヨタやSARDが僕を長年にわたってチームにいさせてくれたことが、本当にうれしいんだ。彼らは僕に対して、もっとこういうことをやれとか、もっと表に出ろとか、そういうことを押し付けることはなかった。僕が毎戦体調を整えて、マシンをしっかりゴールに持ち帰ってくる仕事人間であることに満足してくれていた」

「それが僕のスタイルだし、F1でもそうだった。もしかしたら、僕がもっとキラキラした性格だったら、もっと長くF1にいられたかもしれない。でも、それでいいんだ。スーパーGTでの引き際は、まさに僕らしかったと思う。今季最高タイのリザルト(4位)を残して静かにキャリアを終えることができた。これで僕の仕事は終わりだ」

 
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