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インタビュー

「本当にレースで勝つのが難しいクルマ……」坪井翔が25号車MCでの経験を語る

2019シーズンいっぱいでスーパーGTの舞台から姿を消すことになったつちやエンジニアリングの25号車マザーシャシー。このマシンに携わり、苦楽を共にしてきたドライバーたちが“マザーシャシー”について語る。

松井孝允と坪井翔(#25 HOPPY 86 MC)

写真:: Masahide Kamio

 つちやエンジニアリングの代名詞的存在だった86マザーシャシー。同チームはこの車両での参戦を2019年シーズンいっぱいで終了することを明らかにした。チームオーナーの土屋武士氏が「若い職人」を育てることを目的に長年使い続けてきたマザーシャシーだったが、それは同時にチームに携わったドライバーたちを成長させるマシンでもあった。

 これまで5シーズンにわたって、このクルマで戦い、成長してきたドライバーたちの話をもとに、改めてマザーシャシーというマシンについて振り返っていこうと思う。

【連載】25号車マザーシャシーで成長したドライバーたち:(1)佐藤公哉

 このマシンで戦ったことで、大きな成長を遂げたドライバー……そのひとりが坪井翔だ。

 2018年の全日本F3選手権では19戦17勝という大記録を打ち立て、2019年から国内トップカテゴリーであるスーパーフォーミュラとスーパーGT(GT500)に参戦中の坪井。彼は2018年にはつちやエンジニアリングのドライバーとして、2度のポールポジションを獲得するなど他を寄せ付けない一発の速さを披露した。

「マザーシャシーは(車体が)軽いので、コーナーリングでは速いクルマではあるんですけど、その分ストレートは遅いです。特にガソリンを積むと車体が重くなって、レースではすごく大変です。予選は少ない燃料でいけるので一発のタイムを出しやすいクルマではあります。その反面で決勝になるとズルズル下がっていくレースが決勝では多かったです。結局(25号車では)1勝も出来ませんでした」

 マザーシャシーに対する印象をこのように語った坪井。前年にはレクサスRC F GT3で中山雄一とともにシーズンを戦ったが、ABSをはじめとした電子制御が入っているGT3マシンに対して、電子制御がほとんど入っていないマザーシャシーへの対応は、坪井にとっても大きなチャレンジだったという。

「GT3は制御が立派で、トラクションコントロールだったりABSがしっかりしているので、ある意味で運転するのが簡単な車両ではあります。だけどマザーシャシーは制御関係は(GT3ほど)優秀ではなくて、トラクションコントロールとかABSをほとんど使っていませんでした。だから運転するのがすごく大変で難しいんですよ」

「速く走らせること自体が難しいですし、例えばレースになった時にアクセルやブレーキをスイッチのように(激しく)踏むことができるGT3に対して、マザーシャシーはアクセルやブレーキの踏み加減を微妙にコントロールしないといけません。その辺を意識しながらバトルをしていかなければいけないと考えるとドライバーにかかる負担は相当ありました」

「そういった意味では、(GT300クラス)1年目はGT3に乗っていて、正直『(最初は)スーパーGTってこんなものか』って最初は思っていましたけど、マザーシャシーに乗って(スーパーGTの本当の)難しさを実感しました。ひとりで走っている分には問題ないんですけど、GT500に抜かれる時や混戦になった時はまた別の難しさがあり、マザーシャシーに乗った1年間は色々勉強になりました」

 もうひとつ、坪井にとってマザーシャシーで戦った1年間で得た“大きな収穫”がある。それはタイヤマネジメントだ。

「マザーシャシーはコース上でオーバーテイクするのが無理なので、ピット作業で挽回するしかありません。となると、タイヤ無交換作戦になるパターンが多かったです。無交換作戦になるとスタートドライバーを任された人は次のドライバーのためにタイヤをセーブすることも考えて走らなければいけません」

 そう語った坪井は、25号車に加入し最初のレースとなった2018年開幕戦岡山で、悔し涙を流す経験をした。第1スティントを任された坪井は、目の前のマシンを抜くことに没頭してしまい気づかない間にタイヤを酷使。それが第2スティントに響き、レース終盤で順位を落としてしまった。

「GT300での1年目は、そもそもスタートドライバーをやったことがなくて、2年目になって25号車でいきなり初めてのスタートドライバーを任されました。でもタイヤ無交換作戦の中で自分がタイヤを労わることができなくて、(後半に)順位を落としてしまいました」

「もしかしたら優勝できたかもしれないレースを落としてしまったという悔しさもありました。そこで改めてタイヤの使い方であったり、このクルマをどうやって速く走らせたらいいんだという……自分のスキルアップに間違いなく繋がっています」

「特に今年はマザーシャシーの時に履いていたヨコハマタイヤでGT500を戦ったので、タイヤをどう使っていけばいいかという点でも、すごく活きた部分はたくさんありました」

「そういった意味ではマザーシャシーの時は結果は出なかったですけど、良い1年だったなと思いますし、GT3だけだと得られなかったこともあったと思います。もちろんGT3で勉強になったこともたくさんあるので、僕はGT300での2年間でどっちの車両にも乗れて良かったです」

連載 第3回『近藤翼』へ続く……

 

Photo by: Masahide Kamio

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