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IMPUL運営サイドに専念。星野一樹のキャリアを転換させたとある出来事、そして父一義が寄せる期待

今季限りでスーパーGTのドライバーから退くことを発表した星野一樹。引退を決断した理由や今後の展望について話を聞いた。

Kazuki Hoshino, #10 GAINER TANAX with IMPUL GT-R

写真:: Masahide Kamio

 スーパーGT第5戦SUGOの開催を前に、2021年限りで同カテゴリーのドライバーを引退することを発表した星野一樹。2003年から主にGT300クラスを主戦場として活躍し、ここまで通算13勝。GT300の王座にも2度輝いている名手は、今後もレーシングドライバーは続けていきたいとの意向を示しているが、スーパーGTでの勇姿は今季限りで見納めとなった。今回はそんな彼に引退の理由や今後の展望について、そして父である星野一義に息子に寄せる期待を語ってもらった。(今回は以後、星野一樹を「一樹」、星野一義を「一義氏」と表記させていただく)

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 発表の際、スーパーGT引退に関して「様々な理由はありますが、ここ数年ずっと考えてきました」としていた一樹。その“様々な理由”について、改めて話してくれた。

「今はレーシングドライバー星野一樹と、ホシノインパルの星野一樹、そしてホシノレーシングの星野一樹、3つの顔があります」

「それは幸せなことなんですけど、2足のわらじになっていましたので、どこかでドライバーはケジメをつけないといけないなという気持ちが3、4年前くらいからありました」

「もうひとつは自分の(パフォーマンスの)ピークに関してです。自分ではピークが落ちたという感覚は全くないんですけど、なかなか結果が出ない。ということは、ピークを出せないタイミングがチラホラ出てきているということに自分で気付かないといけない。そういう考えが自分の中で出始めました」

 そんな中で迎えた2021年シーズン。一樹にはスーパーGT引退を決断する“決定打”となるような出来事があったという。それは、7月に行なわれた第4戦もてぎの予選だった。

 この予選Q1で、一樹が駆る10号車GAINER TANAX with IMPUL GT-Rは11番手。Q2に駒を進めることができなかった(総合21番手)。一方で僚友の11号車GAINER TANAX GT-Rは見事ポールポジションを獲得した。

「11号車がソフトでQ1のアタックに行っている中で、僕たち10号車はハード側のタイヤで行くことになりました。結果的にはタイヤチョイスをミスしてしまった訳ですが、自分の本来のピークを出せていたら、ハード側のタイヤでもQ1を突破することはできたと思います」

「でも全くダメだったんですね。ミスもしていないのに。チームには『ハードだから仕方ないよ』と慰められたんですけど、それが自分でどうにも許せなくて。『ハード側のタイヤでもQ1を通過してくれてありがとう』と言われるのがプロであって、慰められるようじゃいかんなという気持ちになりました。その予選後に自分の中で(引退を)決断できました」

 一樹は大学卒業後にレースキャリアをスタートさせ、2003年にTEAM DAISHINから全日本GT選手権(現スーパーGT)のGT300クラスにデビュー。2006年はスーパーGTのGT500クラスとフォーミュラ・ニッポン(現スーパーフォーミュラ)に、父一義氏が率いるTEAM IMPULから参戦したが、フォーミュラ・ニッポンは同年限りでシートを喪失し、スーパーGTでも2007年限りでGT300に戻ることとなった。

「当時は親父もすごく厳しかったですが、今思えばその厳しさがあって『何くそ』と思えたからこそ、その後のGT300の結果に繋がったんだと思います」

 当時を振り返り、一樹はそう語った。

「あの時は悔しいことばかりでしたが、今となっては素晴らしい経験、素晴らしい教えだったと思います」

 GT300に戻り1年目となった2008年、一樹はMOLAで安田裕信とコンビを組み初のチャンピオンに。2010年もHASEMI MOTORSPORTで柳田真孝と組み、2度目のタイトルを手にした。しかし、相棒の安田や柳田がGT500に昇格する一方で自身は昇格できず、そこには葛藤があったという。

2008年はMOLA レオパレスZを駆りGT300王者に。写真は同年の鈴鹿1000km

2008年はMOLA レオパレスZを駆りGT300王者に。写真は同年の鈴鹿1000km

Photo by: Masahide Kamio

 しかし、その頃から一樹は日産GT-R NISMO GT3の開発に携わるようになったり、若手育成を任されるようになったりと、新たな役割が与えられた。その中で、GT300というフィールドで自分に与えられた仕事をキッチリとこなしていくことで存在感を出す、という考えに少しずつ切り替わっていったようだ。

 前述のコメントにもあったように、一樹は現在、父が代表を務めるホシノインパル、そしてホシノレーシングの一員として活動している。ホシノインパルでは同社が手がけるアフターパーツ、アクセサリーパーツなどの開発を担当し、ホシノレーシングとしてはスーパーフォーミュラのTEAM IMPULに帯同し、レース中の戦略面でのサポートを行なっている。

 もちろん、一樹は今後ホシノインパル、ホシノレーシングで父の後継者となることを期待されるだろう。彼自身も、将来的な監督就任を目標にしていると明言していた。

 そんな一樹の手腕は、父である一義氏も既に高く評価している。彼は息子が手がけたというコンプリートカーの写真を見せながら「いいでしょ」と一言。生まれ持った美的センスだけでなく、ニスモの部品庫でのバイト経験で培ったクルマに対する知識も、ホシノインパルでは大きな武器となっているようだ。

 またスーパーフォーミュラのチームにおいても、一義氏は一歩下がった立場で息子に様々な仕事を任せているという。

スーパーフォーミュラでは以前からチームに帯同している(写真は2016年)

スーパーフォーミュラでは以前からチームに帯同している(写真は2016年)

「一樹は英語もできるし、頭の回転やセンスの部分も俺より全然上だと思う」と一義氏は言う。

「『今のタイムがこうだから、あと何周でピットに入れないと……』とかの計算が速いこと速いこと。僕にはそんな計算はできないですから」

 そう目を細めながら話してくれた一義氏。“日本一速い男”が40年に渡って築き上げてきた『IMPUL』のブランドは、今後も安泰だろう。

 

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