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美しきF1マシン:2年半にわたって活躍……日本メーカーのエンジンも載せた:ロータス102

1990年に登場したロータス102。このマシンもティレル020同様、3年もの長きにわたって使われ続けた伝説的なマシンだ。しかもその現役の間に、様々なエンジンを搭載してきた。

Derek Warwick, Lotus 102 Lamborghini
Johnny Herbert, Lotus 102 Lamborghini
Martin Donnelly, Lotus 102 Lamborghini
Mika Hakkinen, Lotus 102B
Sparks fly from the underside of Johnny Herbert's Lotus 102B Judd
Mika Häkkinen, Lotus 102B Judd
Mika Häkkinen, Lotus 102B Judd
Mika Häkkinen, Lotus 102B Judd
Mika Häkkinen, Lotus 102B Judd
Judd engine in the Lotus 102B
1991 Isuzu P799WE engine
Johnny Herbert, Lotus 102D
Johnny Herbert, Lotus 102D
Johnny Herbert, Lotus 102D
Mika Häkkinen, Lotus 102D Ford, Johnny Herbert, Lotus 102D Ford
Mika Hakkinen, Lotus 102D Ford
Mika Hakkinen, Lotus 102D
17

 本シリーズではかつて、長年にわたって使われ続けたマシンとして、ティレル020を取り上げた。1990年代以降、このティレル020のように複数シーズンにわたって使われ続けたマシンは多くない。とはいえ、ゼロでもない。

 そのうちのもう1台が、ロータス102である。

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 ロータス102が登場したのは1990年シーズンの開幕戦。前年まで、ロータスのドライバーラインアップはネルソン・ピケと中嶋悟のコンビだったが、この年からはデレック・ワーウィックとマーチン・ドネリーというコンビに一新。エンジンもジャッドV8からランボルギーニV12に変更した。

 当時のロータスは低迷期であり、シーズンを追うごとに成績が低迷していくという状況だった。この1990年シーズンに獲得したポイント数はわずかに3。いずれもワーウィックによるモノであったが、かつての名門チームは不振に喘いでいた。それだけではなくこの年は、大クラッシュも相次いだ。イタリアGPではワーウィックが大クラッシュ。その2レース後のスペインGP予選ではドネリーがやはりクラッシュを喫し、重傷を追うことになってしまった。

 シーズン中には、長年メインスポンサーを務めてきたキャメルを失うことが決まり、チームの財政は苦境に陥った……そんな影響もあり、翌1991年もこの102が使われ続けることになった。

 1991年用102Bは、元々ランボルギーニV12を積んでいた車体にジャッドのV8を組み合わせるという突貫工事。カラーリングも、グリーンとホワイトのツートンカラーに一新された。またコマツや田宮模型など、日本企業が多くスポンサーについた。

 ドライバーは新人のミカ・ハッキネンとジュリアン・ベイリーの組み合わせ。第3戦サンマリノGPでは、ハッキネン5位、ベイリー6位と、シーズン序盤にしてダブル入賞を果たす。しかし、入賞はこの1戦限り。しかもサンマリノGPは、予選最後尾グリッドから乱戦を走り抜き、首位から3周遅れでのフィニッシュ……幸運だったと言う他ない。ベイリーに至っては、この年の決勝進出はこのサンマリノのみ。結局第4戦モナコを最後に、ジョニー・ハーバートにシートを奪われることになってしまった。

 成績こそ振るわなかったロータス102B。しかしこのマシンは、田宮模型からプラモデル化されるなどしたため、日本人には馴染み深い1台だと言えよう。

 そして翌1992年にも、ロータス102を走らせることになる。102Dだ。エンジンは型落ちのフォードHB(V8)。カラーリングはグリーンとイエローという塗り分けになった。スポンサーには、日立やシオノギ製薬などが加わり、さらに日本色が濃い1台に。同年のドライバーであるハッキネンとハーバートは、仲睦まじく日本のテレビCMに出演したりもした。

 型落ちのマシンにも関わらず、ドライバーたちは奮闘した。開幕戦でハーバートが6位に入ると、続く第2戦メキシコでは、ハッキネンが6位に入った。そして第5戦からは後継機となる107が登場。このマシンは速さを見せ、特にハッキネンは入賞の常連となっていった。

 実は102Bと102Dの間に、102Cというマシンも存在する。これは1991年のシーズン中、エンジンテスト用に102Bを改造したものである。カラーリングも102Bと同じである。

 その102Cに載せられたのが、日本のいすゞが手掛けたV12エンジンである。あくまでテスト用ではあるものの、同社が初めて開発したF1エンジンながらスムーズに始動し、甲高い音を響かせてシルバーストン・サーキットを駆け抜けた。

 結局いすゞエンジンがF1に実戦投入されることはなかったものの、”伝説のエンジン”として今も語り継がれている。当時は他にもスバルやHKSなどの日本企業もF1エンジンを開発した、そんな時代でもあった。なおこのいすゞF1エンジンと102Cは、今も田宮模型が所有している。

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