アメリカ経由の刺客がスーパーフォーミュラへ! コロナ禍でキャリア断絶も”神様がくれたチャンス”掴む
フォーミュラ・リージョナル・アメリカズを制し、HPDのスカラシップを獲得したラウル・ハイマンは、コロナ禍に翻弄された”キャリア最後のチャンス”をモノにしたようだ。
写真:: FIA F3
元FIA F3のドライバーであるラウル・ハイマンが、今季のフォーミュラ・リージョナル・アメリカズ(FRA)のチャンピオンに輝いた。これにより、HPD(ホンダ・パフォーマンス・デベロップメント)のスカラシップを獲得したが、彼にとって今年はキャリア最後のチャンスだと考えていたという。
HPDのスカラシップを獲得したハイマンは、60万ドル(約8900万円)の活動資金援助と、スーパーフォーミュラへの参戦権を手にした。12月7~8日に鈴鹿サーキットで行なわれる予定のスーパーフォーミュラのルーキードライバーテストに参加することになる。
ハイマンは2019年、FIA F3にチャロウズから参戦したが、わずか1ポイントの獲得に留まった。この年の終わりには、日本でF3車両を使ったテストにB-Max Racing/MotoParkから参加した。
このテストでは、翌年からスーパーフォーミュラ・ライツで使用されるマシン『ダラーラ320』も走るなか、ハイマンはダラーラ317で印象的な走りを披露。翌年のスーパーフォーミュラ・ライツ参戦が決まっていたという。しかし新型コロナウイルスのパンデミックの影響で、彼のキャリアは2年半もの間、途絶することになってしまった。
「あのテストで、次の年の全てが決まった。テストはとてもうまくいって僕は2番手(初日2番手/総合3番手)だったと思う。僕は古いクルマに乗っていて、トップだった阪口晴南は新しいクルマだったんだ」
そうハイマンは、motorsport.comに語った。
「2020年に(SFライツを)やるというのはほぼ決まっていたんだけど、そこで渡航制限がかかってしまった。そこから2年半ほど走っていなかったんだ」
シミュレータやジムでドライバーとして錆びつかないように努力しながら、レース復帰を模索していたというハイマン。FRAでのチャンスを手に入れるまで、厳しい2年間を過ごしていた。
「本当にタフな2年間だった。(パンデミックで日本が渡航を制限した後)僕はいろんなチームと連絡を取って何かを探そうとしていたんだけど、本当にこれだというチャンスはなかったんだ。2019年にチャロウズとFIA F3で1年過ごして以降、レースに出るのであれば、チャンピオンシップで勝てるチームでなければならないと改めて思ったんだ」
「勝たなければ前進するために必要なスポンサーを得ることも、次のレベルのトップチームに行くこともできないんだ」
「FIA F3やユーロフォーミュラ・オープンからも声がかかり、いいオファーもあったけど、まずそれを受けるだけのリソースがなかったし、ゲスト参戦や勝てない状況でのレースでは得るものがないことも分かっていた。トップチームからも連絡はあったが、資金面での要求があまりにも大きかった」
「2020年にもチャンスはあったけど、その年は(SFライツの)シーズンが8月まで始まらなかったので日本入りを待っていたんだ。ビザを取得しようと日本大使館に行ったけど、何もうまくいかなかったのを覚えている」
「毎日、各チームに電話をかけては何かを探していたが何もうまくいかなかった。今年に入っても、このFRAでチャンスが訪れるまでは、同じような状況だった。2週間ほどで、すべてが好転したんだ」
そんな中でFRA参戦を決断したハイマン。その決断を大きく左右したのは、HRDのスカラシップの存在だったという。
彼はFRA参戦にあたって、HPDのスカラシップがどのような役割を果たしたかという質問に、「ほぼ100%だ」と答えた。
「1番大きかったのは、仕事を成し遂げることができれば、そこに明確なチャンスがあるチャンピオンシップを見つけることだった。2020年にSFライツに参戦することを決めたときも、そこで勝つことができれば、翌年はスーパーフォーミュラでもスーパーGTでも、必ずチャンスがあると思ったからだ」
「資金が無限にあるわけではないので、将来性のあるシリーズを選ぶ必要があった。F2ないし、F3のトップチームに行くことができなければ、可能性はないんだ。だから、過去の実績から勝てるシリーズに行く必要があると思った。傲慢に聞こえるかもしれないが、勝てる保証はないんだから、勝てるシリーズに行く必要がある。でも、少なくとも自分次第なんだ。そしてもし勝てば、何かが待っている」
「もし勝たなければ、来年はレースに出られないだろうということが分かっているから、プレッシャーだった。それ以外のことは二の次だった。でも2年半もレースに出ていなかったので、それ自体がチャレンジだった」
「神様がもう一度チャンスを与えてくれているような気がして、万が一のことなど考えずに、ただただ取り組むしかなかった。チームはいつも勝つために十分な力を発揮してくれているので、その点ではかなり恵まれていると思う」
ハイマンは今後、鈴鹿で行なわれるスーパーフォーミュラのルーキーテストに参加する。まずはそこで好パフォーマンスを発揮し、日本のレース関係者にアピールしていくことが目標になる。
「年末のルーキーテストに参加することになりそうで、それはとてもいいことだと思う。HPDは、僕が来年レースに参戦できるよう、すべてを整えてくれている。本当にエキサイティングな機会だ。(スーパーフォーミュラは)F1以外では最速のクルマだから、本当に楽しみだ」
「コースを学ばなくてはいけないけど、FRAでもそうだったしあまり心配はしていない。でもマシンはより進化しているし、コースも(ヨーロッパと比べて)よりコミットメントを要求される。タフなレースになるだろうけど、自分のポテンシャルを最大限に発揮できれば、それ以上に望むものはない」
「上位に食い込めるかもしれないし、中位に留まるかもしれない。でも自分の能力を最大限に発揮していれば、それでいい。クルマに乗るたびに準備し、前進していくしかないんだ」
「トップに立つと言いたいところだが、どうなるかは誰にもわからない。ルーキーテストから始めるけど、鈴鹿はタフなコースだ。あそこで走った日(F3テスト)は素晴らしかったよ。クルマとコースの組み合わせが最高の経験だった。あれがあったから、2年半も頑張れたんだ! だから、スーパーフォーミュラのマシンでそこに戻るというのは、とても素晴らしいことだよ」
日本で長期的なキャリアを築くことを考えているかという質問には「日本にはまだ1回しか行ったことがないから、判断が難しいね」とハイマンは語る。
「もし自分がレースをして、先頭で戦えるチャンスがあるのなら、どこであろうとそれを追う。日本については、まず(2023年以降も)継続する機会を得る必要があるし、次にそのような決断ができるほど長く日本にいる必要がある」
レース復帰を目指す間、シングルシーターだけではなく、GTカーレース出場の可能性も探っていたというハイマン。スーパーGT参戦の可能性もあるのかと訊くと、彼は前向きに考えているようだ。
「もし誰かが僕を呼んで、そこでドライブしてほしいと言ったら、それは素晴らしいことだ。でも、今のところそういう話はないんだ」
「スーパーフォーミュラでいい仕事ができて、みんなが僕をクルマに乗せたいと思うようになればいいなと思う。でも、それ(スーパーGT)はスカラシップの一部ではないし、議論もされていないんだ」
2021年から始まったHPDスカラシップ。昨年スカラシップを獲得したキフィン・シンプソンはスーパーフォーミュラではなくインディライツへの参戦を選んだが、ハイマンはこのスカラシップでスーパーフォーミュラに参戦する最初のドライバーになりそうだ。
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