【ギャラリー】一度きりの夢舞台……1戦のみのF1出走に終わったドライバー5選
F1世界選手権の歴史の中では、様々な理由で1レースのみの出走に終わったドライバーも数多くいる。今回はその中から5人をピックアップして紹介する。
Jean-Louis Schlesser, Williams FW12
LAT Images
日本で初めて開催されたF1世界選手権にコジマKE007を駆ってスポット参戦した長谷見。予選1回目では4番手タイムを記録し、レギュラードライバーたちを驚かせるほどの速さを見せたが、トラブルによりクラッシュを喫してしまい10番手にとどまった。決勝でも“幻のファステストラップ”(後に訂正)を記録するなど、印象的な走りを見せた。
フォーミュラ・ニッポン、スーパーフォーミュラで長きにわたって活躍したロッテラーは、2014年ベルギーGPで小林可夢偉に代わってケータハムのマシンをドライブした。予選ではチームメイトのマーカス・エリクソンを上回ったが、決勝はトラブルにより序盤でリタイアした。
2007年はDTM(ドイツ・ツーリングカー選手権)に参戦中だったビンケルホックは、スパイカーからニュルブルクリンクでのレースに出走した。予選ではチームメイトのエイドリアン・スーティルから1秒4遅れの最後尾に終わったが、決勝では荒天を見越してフォーメーションラップ終了後にレインタイヤに交換するというギャンブルが大当たり。土砂降りで混乱するレース展開の中でラップリーダーとなった。赤旗中断を挟み、レースが再開された後はずるずると後退したが、強烈な印象を残した。なお、翌戦からは山本左近がスパイカーのマシンをドライブした。
病欠となったナイジェル・マンセルの代役として、ウイリアムズからイタリアGPに出走したシュレッサーは、終盤に周回遅れながらアイルトン・セナと接触したことにより、1988年のマクラーレン・ホンダ全勝を阻止した。これによりレースはフェラーリのワンツーフィニッシュとなり、亡くなったエンツォ・フェラーリにその勝利を捧げた。
全日本F3000で活躍した後、1994年にシムテックからF1デビューを果たしたラッツェンバーガー。開幕戦ブラジルGPでは予選落ちに終わるも、TIサーキット英田(現岡山国際サーキット)で行われたパシフィックGPでは決勝に出走し、馴染み深い日本のファンに力走を見せた。しかしながら、翌サンマリノGPの予選中の事故によりこの世を去ってしまった。
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