10.ウイリアムズFW06(1978年〜1979年)
1/10
予選最高位:3番手:決勝最高位:2位
パトリック・ヘッドがデザインしたFW06は、1978年シーズンのF1に登場した。ドライバーはアラン・ジョーンズの1台体制。信頼性は今ひとつだったが光る速さを見せた。この後継マシンFW07によって、ウイリアムズにとって初のタイトルがもたらされることとなる。
写真:: Sutton Images
9.ジョーダン197(1997年)
2/10
予選最高位:2番手:決勝最高位:2位
ジャンカルロ・フィジケラとラルフ・シューマッハーという勢いのある若手コンビで1997年シーズンに臨んだジョーダンは、計3回の表彰台を獲得し、コンストラクターズランキング5位となった。翌1998年のベルギーGPではデイモン・ヒルによってチーム初優勝がもたらされた。
写真:: LAT Images
8.ローラMK4(1962年)
3/10
予選最高位:PP:決勝最高位:2位
1962年、MK4を引っさげてF1に参入したローラは、開幕戦でジョン・サーティースがいきなりポールポジションを獲得。最終的に2位を2度獲得したサーティースがドライバーズランキング4位、コンストラクターズランキングでも4位に入る大健闘を見せた。さらには非選手権レースでは優勝も飾ったが、参戦資金が足りずこの年限りで撤退した。
写真:: David Phipps
7.マトラMS120(1970年〜1972年)
4/10
予選最高位:PP:決勝最高位:3位
改良型も含めて3シーズンにわたって活躍したマトラMS120。クリス・エイモンが2度ポールポジションを獲得したが、優勝には届かなかった。
写真:: LAT Images
6.マーチ711(1971年〜1972年)
5/10
予選最高位:5番手:決勝最高位:2位
その個性的なマシン形状が印象的なマーチ711だが、その実力も確かなもので、1971年シーズンはロニー・ピーターソンが4度も2位に入りランキング2位となったが、優勝を手にすることはできなかった。特にイタリアGPでBRMのピーター・ゲシンに0.01秒差で敗れたのは有名。
写真:: Rainer W. Schlegelmilch
5.ロータス95T(1984年)
6/10
予選最高位:PP:決勝最高位:2位
1984年シーズンを戦ったロータス95Tは、いつ優勝してもおかしくないマシンだったが、不運やトラブルに泣かされた。ナイジェル・マンセルは雨のモナコでトップ走行中にクラッシュ。猛暑のダラスでも優勝争いを演じたが、最終的にチェッカー寸前でストップ。マシンを押してチェッカーを目指したが、熱中症で倒れるという珍事を起こした。
写真:: Rainer W. Schlegelmilch
4.ルノーRE50(1984年)
7/10
予選最高位:PP:決勝最高位:2位
ロータス95Tと同じく、1984年シーズンに勝てそうで勝てなかったのがルノーRE50だ。前年にタイトル争いを繰り広げたプロストが離脱し、パトリック・タンベイとデレック・ワーウィックのコンビとなったが、ふたり合わせて18回のリタイアを記録するなどトラブルが多かった。
写真:: LAT Images
3.シャドウDN5(1975年〜1977年)
8/10
予選最高位:PP:決勝最高位:3位
1975年シーズンに登場したシャドウDN5は、間違いなく速さのあるマシンだった。その証拠に、ジャン=ピエール・ジャリエが開幕から2戦連続でポールポジションを獲得した。しかしジャリエはシーズンを通して完走2回にとどまるなど信頼性の低いパッケージだった。
2.B.A.R 006(2004年)
9/10
予選最高位:PP:決勝最高位:2位
フェラーリが18戦中13勝と他を寄せ付けない強さを見せた2004年シーズンの中で輝きを放ったのがB.A.Rホンダだった。特にジェンソン・バトンは実に10回も表彰台を獲得したが、トップチェッカーを受けられず。初優勝は2006年までおあずけとなった。佐藤琢磨もアメリカGPで3位表彰台、ヨーロッパGPではフロントローを獲得するなど、日本人F1ドライバー史上最も成功したシーズンを送った。
写真:: LAT Images
1.ブラバムBT45B(1977年)
10/10
予選最高位:PP:決勝最高位:2位
ゴードン・マレーがデザインし、アルファロメオの水平対向12気筒エンジンを積んだブラバムBT45B(写真手前)は、幾度となく優勝のチャンスが巡ってきたが、ことごとくトラブルが発生し、それをモノにすることができなかった。モナコGPではジョン・ワトソンがポールを獲得するも、スタートでウルフのジョディ・シェクターに先行され、その後リタイア。フランスGPではワトソンが最終ラップまで首位を走行するも、最後の最後でエンジンが音を上げてマリオ・アンドレティ(ロータス)に勝利を譲った。翌イギリスGPでもワトソンが首位を走ったが、チェッカーを受けることはできなかった。
写真:: LAT Images