F1空力開発を支えてきた『風洞』は、”前時代の遺物”になるのか?
風洞の廃止に向けて議論がスタートしたF1。現時点でひとつの目安とされている、2030年までに廃止される可能性はあるのだろうか。

2020年に行なわれたF1コミッションの会議で、2030年までに風洞を廃止することが議論され、10チーム中8チームが基本方針への支持を示した。
これは、まだ遠い世界のように思われていたことに対する『意思表示』のための投票だった。しかし2030年にそれを実現するためには、誰もが変化に備えた計画を立てられるよう、早急に決定が行なわれなければならない。そのためにも、議論が続けられているのだ。
2010年、ヴァージンF1チームはCFD(数値流体力学)によるシミュレーションのみを使ってマシンを開発するという野心的な戦略を採用した。しかしそうしてできた『VR-01』は良い成績を残せなかった。そのため、F1において風洞を禁止するという考えに対してはある程度、偏った印象を持っている者もいるだろう。ただあれから技術は大きく進歩し、他のカテゴリーでは完全にCFDで設計されたレースカーも存在している。

Timo Glock, Virgin VR-01 Cosworth
Photo by: Charles Coates / Motorsport Images
F1側は、風洞からの脱却を全面的に支持している。2022年に導入される予定の新しいレギュレーションを策定する上で、エンジニアたちはCFDを活用した。FIAはチームが行なうCFDのリソースを制限しているものの、当然この制限の対象にはならなかったため、F1にとって非常に強力なツールとなった。
風洞を廃止しようとする背景には、ふたつの明白な理由がある。ひとつは風洞の稼働に必要なエネルギーに関連した、環境への影響だ。2030年までにカーボンニュートラルを実現するという、F1の目標にも沿っている。
風洞の稼働によって、膨大な電力が消費される。ある試算によると、ひとつのチームが1年間に消費する電力は、100万ポンド(約1億5600万円)分以上にもなるという。メルセデスを始めとする一部チームが自然エネルギーの使用を美徳としているとはいえ、それが10チームあることを考えると、F1上層部が風洞の使用を抑制しようとする理由は分かる。
持続可能性の問題を抜きにしても、莫大なコストはそれ自体が問題となる。各チームの予算上限は今後数年、減額されていくことになるため、各チームはパフォーマンスに影響を与えることなく、支出を削減する方法を模索し続けなくてはいけない。
もしこの方程式から風洞を除外することができれば、かなりの節約になるだろう。風洞にはエネルギーコストだけでなく、運用やメンテナンス、風洞に使うモデル製作部門の人件費、モデルの材料費、設備費用なども必要となる。
風洞の年間コストについて、チームは正確な数字を出していないが、推定では500万ポンド(約7億8000万円)以上だとされている。自前の風洞を持たず、よその風洞を借りているチームは、通常1日あたり約2万5000ポンド(約400万円)ほど支払っており、それが積み重なっていくわけだが、風洞モデルの製作費用はこれに含まれていない。

Lewis Hamilton, Mercedes W12, Max Verstappen, Red Bull Racing RB16B, and Valtteri Bottas, Mercedes W12, prepare to lead the field away for the start
Photo by: Steve Etherington / Motorsport Images
当然、CFDの計算に必要なスーパーコンピュータも大量のエネルギーを消費するし、それを冷却するためにもコストがかかる。しかし風洞に比べればかなり少ないのだ。
長年、チームはCFDと風洞の間でどのように研究開発を割り振るか、自由に決めることができた。しかし現在、FIAの競技規則では空力開発について、風洞とCFDの使用が具体的に決められている。競争力の低いチームを支援するため、昨年のチャンピオンシップの順位に基づき、空力開発に費やすことができる時間も各チームによって異なっている。
これらの規則は、CFDを利用するようチームに促すために、簡単に調整することができる。ただ最終的にFIAはチームにCFDのみを使用するよう義務付けることはできるのだろうか。
重要なのは、2030年までにテクノロジーがどのような状態になっているか、『集積回路のトランジスタ数は2年で2倍のぺースで増加する』というムーアの法則がどこまで続くか次第でもあるだろう。
この法則はコスト削減にも影響する。CFDに必要な一定のコンピュータ性能を満たすためのコストが下がっていくからだ。一方、最新技術を採り入れながら新たに風洞を建設するとなると、コストは上昇する一方だ。
各チームは、風洞を廃止することを明確に約束することを当然ながら懸念している。しかしまだ時間的な猶予はあるため、少し余裕はあるようだ。
フェラーリのマッティア・ビノット代表は、「全てのチームが前向きに議論をしている」と語る。
「今からかなり先のことなので、いずれは受け入れることになるだろう」
「風洞を廃止する準備がいま出来ているだろうか? そうではない。全体的には、シミュレーションとテストは常に重要だと思う。空力やパワーユニットなど、何であれテストは今でも非常に重要だ」
「コスト削減という面では、現時点ですでに風洞での作業時間を短縮していっており、正しい方向への一歩だと思う」
「もし今風洞を完全に禁止してしまうとしたら、テストをトラック上ですることになり、風洞でやるよりもさらにコストがかかることになる。だから、決断をするにはまだ時が来ていないと思う」

Wind tunnel model
Photo by: Lotus F1 Team
アルピーヌのエグゼクティブディレクターを務めるマルチン・ブコウスキーは、風洞の廃止により「実走行との相関性が失われるリスクがある」と語った。
「風洞はそのために重要な要素だ。F1はチャレンジ精神が旺盛だし、開発に必要不可欠なものが10年後に無くなっていると言われても、それはあり得ると思う。我々はシミュレーション部門を強化していくつもりだ」
CFDへの移行を積極的に支持しているのは、空力の鬼才エイドリアン・ニューウェイが所属し、空力開発に定評があるレッドブルだ。ニューウェイは「風洞は素晴らしいものだが、その目的は果たした」と述べ、最終的な風洞の廃止を全面的に支持している。
レッドブルのクリスチャン・ホーナー代表も、同様の変化を望んでいる。
「それは数ヵ月前に私が提起したトピックだ」
「風洞は効率的ではなく、環境にも優しくない。CFDは非常に急速に進化しているんだ」
「例えばヴァルキリー(アストンマーチンと共同開発したハイパーカー)は、開発期間を通じて一度も風洞に入ることはなかった」
「10年スパンで考えれば、電気やエネルギーを大量に消費する恐竜のような機械が過去のものになる、十分な時間がある。F1はテクノロジーの最先端であるべきだ」
近年、F1にはパートナーやスポンサーとしてハイテク企業がますます集まるようになっており、ホーナーの言い分は一理ある。枚挙に暇がないが、レッドブルにはオラクル、メルセデスにはAMD、マクラーレンにはデル・テクノロジーズのロゴがマシンに掲げられている。こうした企業から協力を得ることも可能だろう。

Max Verstappen, Red Bull Racing RB16B
Photo by: Steven Tee / Motorsport Images
「技術畑からの投資が増えているのだから、F1がそうした技術のショーケースになるべきだと思う」とホーナーは言う。
「10年くらい先のことであれば、どのチームもそれが到来することを知っていて、それに合わせて投資を調整し、アプローチを整えることができる」
それは重要なポイントだ。チームによっては比較的新しい風洞を持つところや、最近改良を行ない、今後数年は多くの投資を必要としないところもある。しかしアストンマーチンやマクラーレンのように、新たにファクトリーを建設する計画を持っているチームもある。
新しい風洞をこれから建設した場合、10年も経たないうちに無用の長物になる可能性もあるわけだ。しかし、アストンマーチンは風洞の建設を今も推し進めている。
「現在、風洞建設の計画を進めている」と、アストンマーチンのオットマー・サフナウアーは言う。
「空力特性は、今でも我々のスポーツにおける大きな差別化要因であり、自前の施設を持つことは有利であり、持たないことは不利であると言えるだろう」
「だから今は、風洞の建設を真剣に検討していて、おそらく近々着手するだろう。2年後に完成したとしても、2030年問題を踏まえても新しい風洞を利用する上でまだ十分な期間があると思う」
アストンマーチンのように、新たな風洞を建設しているチームは、2027年から29年にかけては実際有利な立場に立てるかもしれない。というのも、風洞の廃止が決まった場合ライバルたちは最新技術への投資をせず、今持っているものでなんとかしようとするからだ。
サフナウアーは、少なくとも数年間は風洞が必要不可欠であると警告している。
「今のところ、CFDが風洞の代わりになることはない。我々がCFDを使用する目的で言えばそうなんだ。CFDはシンプルなウイングや空力の問題を解決する場合には最適だ」
「しかしF1マシンはとても多くの相互作用があり、とても複雑なんだ。そんな問題を解決する上で、現時点でCFDでは対応できない。CFDを応用してうまくいくこともあるが、風洞とCFDの併用には敵わない」
また、サフナウアーはCFDによって作成したパーツをそのまま実車に搭載し、意図した通りに機能しないことが判明した場合、そのコストが無駄になると話し、風洞廃止によるコスト削減の効果にも疑問を呈している。
「風洞を動かすのにそれほどコストはかからない。電気代と、メンテナンス代くらいだ。高価なベルトを交換することもあるが、それほど頻繁ではない」

Otmar Szafnauer, Team Principal and CEO, Aston Martin F1, on the pit wall
Photo by: Glenn Dunbar / Motorsport Images
「風洞プログラムの運営でお金がかかるのは、実際に風洞に入れる縮小モデルのパーツを作ることだ。だから風洞を廃止すれば、確実にそのコストを削減できる」
「しかし、意図しない結果になることもある。実際にクルマを走らせてみて、良い結果が得られなかった場合、それらの部品をすべて捨ててしまうことになる。風洞の中でやっていたことを、いつの間にかサーキットでやっているというわけだ」
「フルサイズのパーツだから、コストも高い。だから風洞のコストを100%節約できるとは限らないんだ」
同様に、模型や風洞モデルの段階をスキップしてパーツを搭載することになれば、安全上の問題が発生する懸念があると指摘する声もある。
メルセデスのトト・ウルフ代表は、昨年行なわれた最初の投票の後、次のように語った。
「『長期的にはそうなるだろう』というのが大方の意見だった」
「しかし、そのような大規模な規制変更には、ある種の安全面の問題も伴う。我々は、F1マシンが地球上で最も速く、最も大きいダウンフォースを備えていることを忘れてはいけない。ドライバーがクルマに乗っている状態で、CFDに基づいた実験をライブでやりたくはないんだ」
安全面の懸念に対して、ひとつの解決策は2030年以降も、フルサイズのパーツを使用した安全性検証のための限定的な風洞使用を維持するということだ。例えばヒンウィルにあるザウバーの風洞では、そのようなテストを行なうことができる。
もうひとつの方法は、実車を使った直線走行テストを再開することだが、それは近年の状況を踏まえると現実的ではないだろう。
確実に言えるのは、風洞があろうとなかろうと、空力開発がチームにとって重要な分野であることは変わりがなく、使われるツールが変わろうと最も優れたアイデアを持つ賢い人々が最終的に勝利を収めることだ。
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