「表彰台は確実と思っていた」佐藤琢磨の、最も悔しい”鈴鹿”:2004年F1日本グランプリ
F1日本GPでは、過去に鈴木亜久里と小林可夢偉の日本人ドライバーふたりが3位表彰台を獲得している。一方でもうひとりの表彰台経験者である佐藤琢磨の日本GPでの最高位は4位。しかしこの4位は、最も悔しい4位だった。

F1日本GPでの日本人ドライバーの最高成績は、1990年の鈴木亜久里と2012年の小林可夢偉の3位表彰台である。これに次ぐのが、2004年の佐藤琢磨が記録した4位だ。
日本人ドライバーで4位以上を記録したのは、中嶋悟の2回(1987年イギリスGPの4位、1989年オーストラリアGPの4位)、鈴木亜久里の1回(1990年日本GPの3位)、佐藤琢磨の3回(2004年アメリカGPの3位、同年イタリアGPと日本GPの4位)、小林可夢偉の2回(2012年ドイツGPの4位、同年日本GPの3位)、そして角田裕毅の1回(2021年アブダビGPの4位)、つまり合計9戦である。それだけ、本来ならば喜ぶべき好成績である。
しかし2004年は事情が違った。
2004年のBARホンダはかなり高い戦闘力を発揮。佐藤のチームメイトであったジェンソン・バトンは表彰台10回という好成績を残した。佐藤はマシントラブルが頻発するという不運に見舞われつつも、アメリカGPで3位表彰台を獲得。ニュルブルクリンクで行なわれたヨーロッパGPでは、フロントロウ2番グリッドも獲得した。

Michael Schumacher, Ferrari F2004 leads the start
Photo by: Steve Etherington / Motorsport Images
シーズンが進むにつれ、BARは2番手チームの座を確固たるモノにしつつあった。そして迎えた日本GP。フェラーリのミハエル・シューマッハーは圧倒的な強さを誇っていたものの、そのシューマッハーにもしものことがあれば、佐藤が優勝するのではないか……ファンの間にはそんな期待感が膨らんだ。この年は日本GPを台風が直撃、土曜日の走行が完全にキャンセルされたが、それでも鈴鹿サーキットのスタンドが超満員に膨れ上がるほどのファンが訪れた。
例を挙げれば、グランドスタンド裏には人による渋滞が発生し、観覧車のあたりから現在のGPスクエア付近まで辿り着くのに、1時間近くかかるほどだった。当時の鈴鹿サーキットはまだ改修前であり、通路も今に比べれば狭かったが、それにしてもものすごい人の数だった。
また、名古屋から鈴鹿サーキット稲生行きの臨時特急も超満員。吊り革のない特急型車両に鮨詰めとなり、各々サーキットを目指すこととなった。
しかしそれでも、ファンのモチベーションは全く衰えなかった。誰もが、佐藤琢磨の表彰台、いやそれ以上の結果を目に焼き付けるのを、大いに期待していたのだ。

Support for home driver Takuma Sato, BAR
Photo by: Rainer W. Schlegelmilch / Motorsport Images
そう期待していたのは、ファンだけではなかった。何を隠そう、佐藤琢磨もそのひとりだった。
佐藤は予選で4番グリッドを獲得。フロントロウにはミハエルとラルフのシューマッハー兄弟、3番グリッドにはジャガーのマーク・ウェーバーがいた。佐藤はその後ろ……シューマッハー兄弟は強敵だが、ウェーバーはこの日本GPの予選こそ速かったものの年間は通じて6位が最上位という程度であり、攻略は時間の問題のようにも思われた……つまり表彰台以上は間違いないと思われたのだ。
しかし佐藤の前にはチームメイトのジェンソン・バトンが立ちはだかった。バトンは燃料をセーブし、タイヤをマネジメントする2ストップ作戦、佐藤はレース中攻めに攻める3ストップ作戦をとっていたが、スタートでバトンが先行し、佐藤にポジションを譲ることなくレースを進めてしまう。結局これが仇となり、佐藤は4位フィニッシュ。サーキットに詰めかけたファンも、そして佐藤も落胆した。
数年前、佐藤はmotorsport.comのインタビューに次のように語っていたことがあった。
「表彰台は確実に乗れると思っていました。表彰台が一番近くて遠かった……そういう悔しいという意味で忘れられないレースです」
「チームも僕にプライオリティを寄せてくれて、シミュレーション上最速の3ストップ作戦を僕にくれた。そしてそれをカバーするために、ジェンソンを2ストップにする作戦に分けたんです」
「スタートでジェンソンに前に出られてしまって、その後戦略のメリットを取り戻すことができず……結局悔しい悔しい4位でした」
「4位でガッカリすることなんて、あんまりないですよね。期待値が、それくらい上がっていたんだと思います。うまい戦略に乗ることができれば、優勝も夢ではないシーズンだった。それができなかったのは自分としては悔しかったし……本来ならば自分の鈴鹿でも最高位なんだけど、苦い思い出のグランプリでした」

Takuma Sato, BAR 006
Photo by: Sutton Images
サーキットを後にする観客も、一様に肩を落とし、白子駅や鈴鹿サーキット稲生駅などへ向けてトボトボと歩いた。まるで中山競馬場から西船橋駅へと向かう、通称オケラ街道のように……4位だったにも関わらずだ。
しかしその後、佐藤はインディ500で優勝。日本人初となる快挙で、日本のモータースポーツファンを沸かせた。しかもこのインディ500を2度も制したのだ。
ただやはり、日本人ドライバーが日本GPの表彰台に登るのを、誰もが心待ちにしている。3位、いやそれ以上を。そして佐藤は、その次なる才能を育てる活動を、ホンダ・レーシング・スクール鈴鹿のプレジデントとして担っている。
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