F1空力デザイナーの叡智の結晶。画期的空力デバイストップ10……成功作も、そして失敗作も

速いF1マシンを生み出すためには、空気をいかにコントロールし、味方につけることができるか……これが最も大切であるとも言える。70年以上にも及ぶF1の歴史の中で、数々のエポックメイキングな空力パーツが登場してきた。

Satoru Nakajima, Tyrrell 019 Ford

1. アンヘドラルウイング/ハイノーズ:ティレル019(1990年)

Satoru Nakajima, Tyrrell 019 Ford
Jean Alesi, Tyrrell 019 Ford
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 1990年の第3戦サンマリノGPにティレルが投入したマシン019。ノーズの先端が持ち上げられ、そこからハの字型のウイングが吊り下げられていた。

 この持ち上げられたノーズ……つまりハイノーズは、翌年ベネトンが追従したのをはじめとして、その後のトレンドに。マシンのフロア下に乱れの少ない気流を取り込み、ディフューザーを活用して大きなダウンフォースを発生させるのは、2022年にレギュレーションが大きく改定されるまで、大なり小なり、F1マシンに必要不可欠なモノとなった。

 ティレル019は、表彰台こそジャン・アレジがモナコGPで手にした2位1回のみだったが、エポックメイキングな1台であることは間違いない。

2. マルチディフューザー:ブラウンGP BGP001(2009年)

Jenson Button, Brawn BGP001
Brawn Grand Prix BGP001 rear diffuser
Jenson Button, Brawn BGP001
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 F1にハイブリッドシステムの走りであるKERSが導入され、マシンの空力に関するレギュレーションも大きく変更された2009年。シーズンを席巻したのは、新チームのブラウンGPだった。

 前年限りでホンダがF1を撤退したため、その施設等を引き継ぐ形で参戦を開始した同チーム。ホンダ時代に開発されたシャシーにメルセデスのエンジンを搭載したBGP001は、開幕前のテストに遅れて参加したもののいきなり速さを発揮し、さらに開幕してからも連戦連勝という状況だった。

 最大の武器となったのはマルチディフューザー。ディフューザーを複数の層とし、巨大なダウンフォースを発生させたのだ。トヨタやウイリアムズもマルチディフューザーを使ったが、ブラウンGPが最大の成功例となった。

 その後各チームもこのマルチディフューザーを取り入れ、このシーズンのトレンドとなった。その普及率に伴い、ブラウンGPの優位性も失われ、優勝するのも難しくなった。しかし辛くも逃げ切り、コンストラクターズとドライバーズ(ジェンソン・バトン)のタイトル2冠を達成した。

 後にレギュレーションが改定され、2010年限りでマルチディフューザーは使用が禁止されることになった。

3. ウイング:フェラーリ312など(1968年)

Jacky Ickx, Ferrari 312
Graham Hill
Jack Brabham
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 F1マシンといえば、細長い車体に剥き出しのタイヤ、そして前後に取り付けられたウイングという姿を多くの人が想像するだろう。しかし初期のF1は、今とはまったく異なる形状をしていた。”葉巻型”とも言われる筒状のボディに、剥き出しのタイヤが装着された、今とはまるで異なる形状のマシンだった。

 そんなマシンにウイングが初めて搭載されたのは、1968年ベルギーGPのこと。フェラーリとブラバムのマシンにリヤウイングが取り付けられたのだ。同年にはロータスもフロントウイングを投入し、まさにF1が”エアロダイナミクスの時代”へと突入していったわけだ。

 初期のウイングは、前後のサスペンションアームに直付けされることが多かった。ただこのマウント方法だと、ウイングが何らかのトラブルにより脱落した際に一気にダウンフォースが抜けてしまい、コントロール不能に陥ってしまう。実際、重大事故も多数発生した。

 この結果レギュレーションが変更されることになり、車体にウイングが取り付けられることになった。

 ただこのウイングの登場により、F1マシンの形状は劇的に変化していくことになった。

4. ブロウン・ディフューザー:レッドブルRB6(2010年)

Sebastian Vettel, Red Bull Racing RB6
Red Bull RB6 exhausts
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 エンジンの排気を、ダウンフォース発生に活かそうとしたのがこのブロウン・ディフューザーである。1980年代にもこの考え方が存在していたが、本格的に使われるようになったのは2010年。レッドブルの初代チャンピオンマシンRB6によるものだった。

 当時のF1はサイドポンツーンの上面で排気を行なう上方排気が主流だった当時、レッドブルは排気口をサイドポンツーンの後端フロア付近に設定した。これにより排気をディフューザー上部に導こうとしたのだ。しかもスロットルコントロールに応じて排気の勢いが変動してしまうと、ダウンフォースの発生量も安定しない。そのため、スロットルを緩めた状態でも排気が安定するよう工夫をこらした。

 この考え方は結局は全チームが使うようになった。ロータスにいたっては、後方ではなくサイドポンツーンの前方側面に排気口をレイアウトし、サイドポンツーンの側面を沿うような格好で排気をディフューザーの上面に送った。ただレギュレーション改定により、排気口の位置が規定されたことで、2014年以降はブロウンディフューザーは使えなくなった。

 排気は実は非常に速く高温であるため、大きなエネルギーを持っている。そのため、ディフューザーの効果を高めることに活用できたわけである。後にこの排気エネルギーは、MGU-Hによって回生され、電気エネルギーとして使われるようになった。

5. Xウイング:ティレル025(1997年)

Jos Verstappen, Tyrrell 025 Ford
Tyrrell 025 rear view, Monaco GP
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 1997年のティレルは、ヨス・フェルスタッペンとミカ・サロのコンビ。ただマシンの戦闘力は優れず、結局シーズンを終えてみれば5位入賞1回が精一杯だった。

 その5位に入ったのはモナコGP。このグランプリを走ったティレルのマシンは、実に特異な姿をしていた。

 前後のウイングだけでは飽き足らず、左右のサイドポンツーンの上部には、長いステーが設けられ、小型のウイングが非常に高い位置に設けられたのだ。

 これは、追加のダウンフォースを手にしようとしたモノで、モナコなどハイダウンフォースが必要なコースでのみ使われた。その形状から、Xウイングとも、バンザイウイングとも呼ばれている。

 これには他のチームも追従。多くのマシンにXウイングが取り付けられた。ただ脱落した時に危険だとされ、翌年途中に使用が禁止されることになった。

6. グラウンド・エフェクトカー:ロータス78(1977年)

Mario Andretti, Lotus 78 Ford
Ronnie Peterson, Lotus 78
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 1960年代後半にウイングが登場して以来、F1マシンの空力は劇的に進歩していった。そんな中1970年代には、フロア下の気流を使ってダウンフォースを生み出す方向が検討されていった。

 そんな中最初の成功例となったのは、ロータス78。左右のサイドポンツーンの下をウイング形状にし、後方を跳ね上げる格好にして強力なダウンフォースを手にした。グラウンド・エフェクトカー(ウイングカー)の誕生である。

 翌1979年には78の後継であるロータス79が速さを見せ、チャンピオンを獲得。ただ、フロア下の気流が乱れると突如としてダウンフォースが失なわれ、コントロールを失うという事故が多発。このため、1983年からはグラウンド・エフェクトカーの使用が禁止された。

 このレギュレーション変更では、フロア下は平らにしなければならなくなったが、後端を跳ね上げる”ディフューザー”を設けることで、グラウンド・エフェクトカー同様のダウンフォースを手にできることになった。

 そして2022年、レギュレーションがさらに改定され、グラウンド・エフェクトカーが復活。ただ1970年代同様、複数のマシンが床下の気流が不安定になることで生じるポーパシングに悩まされることになった。

7. ダブルフロア:フェラーリF92A(1992年)

Jean Alesi, Ferrari F92A
Ferrari F92A flows
Jean Alesi's Ferrari F92A
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 フェラーリが1992年に投入したF92Aは、フロアとサイドポンツーン下面の間に隙間が設けられており、ディフューザーの上に向けて気流が通過するような構造になっていた。これによりディフューザーの効果を最大限に活用し、大きなダウンフォースを発揮させようとしたのだ。

 ただこのマシンは速くなかった。最大の問題はエンジンである。エンジンはパフォーマンスが低く、さらに信頼性も低い代物。しかし当時のフェラーリは”エンジン部門”の発言力が大きく、チーム内で「エンジンが悪い」と言えるような風潮ではなかった。そのため、空力面が槍玉に上がった。

 シーズン終盤には、ギヤボックスを横置きに変更。これによって、フロアとサイドポンツーンの間の隙間が塞がれてしまうことになり、かえってマシンのパフォーマンスが低下してしまうことになった。

 もし開発が順調に行き、エンジンにもパワーがあれば、F92Aは駄馬ではなく優駿となっていたかもしれない。

 このダブルフロアは、後にトロロッソも踏襲。2022年シーズンには、アストンマーチンやアルファロメオ、フェラーリなどもこのダブルフロアを彷彿とさせるデザインのサイドポンツーンを登場させた。

8. Fダクト:マクラーレンMP4-25(2010年)

lewis-hamilton-s-mclaren-mp4-25a
McLaren MP4-25 F-Duct detail
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 2010年にマクラーレンが登場させたFダクト。マシンの前方のダクトから空気を取り入れ、それをマシンの内部を通してリヤウイングのフラップ背面に開けられたスリットから噴出する。これによって、ダウンフォースを必要としない高速走行時にリヤウイングの機能をストールさせ、最高速を向上させようとしたのだ。

 これは、コクピット内に設けられた開口部を塞ぐことでコントロールしていた。逆に開口部を塞がなければ、通常通りダウンフォースを発生。レギュレーションで禁止されていた空力パーツを動かすということをせずとも、ダウンフォースの量をコントロールすることができた。

 このシステムも非常に有益であり、マクラーレン以外のチームもこれを取り入れ、マシンのパフォーマンス向上に繋げた。

 ただこのFダクトは2010年限りで使用禁止となり、翌年からはリヤウイングのフラップを機械的に動かすDRS(ドラッグ・リダクション・システム)が導入。求める効果は、Fダクトと同じであると言っても過言ではない。

 このDRSはオーバーテイクを狙う際に使うことができるようになり、現在でも使われている。

9.  6輪マシン:ティレルP34(1976年)

Jody Scheckter, Tyrrell P34-Ford
The front two wheels of the Tyrrell P34 Ford in the paddock
Jochen Mass, McLaren M23 Ford, overtakes Ronnie Peterson, Tyrrell P34 Ford, with Mario Andretti, Lotus 78 Ford, in pursuit
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 1976年にティレルがP34を登場させた。このマシンは小さな前輪が左右にふたつずつ、大きな後輪が左右にひとつずつ取り付けられた、6輪車だった。

 発表された当初は嘲笑されたが、いざ走ってみると高いパフォーマンスを見せ、注目を集めた。

 ティレルは前輪を小さくすることで、F1マシンの中で最も空気抵抗を生み出すタイヤの前面投影面積を削減し、最高速を引き上げようとしたのだ。しかし、タイヤの径を小さくしてしまえば、タイヤにかかる負荷のバランスが悪くなってしまう。そのため左右にもう1輪ずつタイヤを追加し、6輪とすることで対処したのだ。

 そういう意味ではエポックメイキングな空力デバイスと言えるだろう。

 6輪車はティレルは翌1977年まで使い、ウイリアムズやマーチ、フェラーリなどもテスト車両を開発するなどした。しかし、P34だけに対応したサイズのタイヤ開発が滞り、次第にパフォーマンスが低下。78年以降は6輪車は登場しなくなった。そして後にレギュレーションで、タイヤは4輪までと規定されることになった。

10.  アクティブサスペンション:ウイリアムズFW14B(1992年)

Nigel Mansell, Williams FW14B Renault
Nigel Mansell, Williams FW14B
Mechanics work on a Williams FW14B Renault in the pits
Marshals and fans salute race winner Ayrton Senna, McLaren MP4-7A Honda, and 2nd position Nigel Mansell, Williams FW14B Renault, on the slowing down lap during the Monaco GP at Monte Carlo on May 31, 1992 in Monte Carlo, Monaco. (Photo by Rainer Schlegelmilch)
1992 World Champion Nigel Mansell with his Williams FW14B and Sebastian Vettel, Aston Martin
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 アクティブサスペンションは、アクチュエーターなどを擁してサスペンションを能動的に動かし、マシンの姿勢を制御しようというもの。一見するとサスペンションであり、空力パーツではないように思える。しかし目指していたのは空力的な安定性であり、空力パーツと言って差し支えないだろう。

 ロータスが開発の先陣を切り、ウイリアムズがリ・アクティブサスペンションとして1992年のFW14Bで大成功を収めた技術。車体底と路面の間のスペースを一定にすることで、安定してダウンフォースを発生することができ、高い戦闘力を発揮した。ナイジェル・マンセルがこれを武器に同年のチャンピオンに輝いたが、ドライビング自体は非常に難しいらしく、チームメイトのリカルド・パトレーゼは大きく差をつけられた。路面と車体底のスペースを一定にするということは、車体が路面の凹凸に合わせて上下動するということになり、ドライバーにかかる負荷が大きいのは確かに想像できる。

 ウイリアムズに続き、フェラーリやマクラーレン、ベネトン、ロータスなど、数々のチームがアクティブサスペンションを開発。1993年には一気にトレンドパーツとなった。しかし、”可動空力装置である”との判断が下された結果、この93年限りで使用が禁止された。

 当時使用が禁止された背景には、開発費の高騰という名目もあったが、当時よりも科学力が著しく進歩した現代ならばより容易に使うことができるという声もあり、復活を期待する声が度々上がっている。

 
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