F1・ザ・ルーツ:コンストラクターズ8連覇。メルセデスF1のルーツは日本にも深い関係が……

現在のF1のトップチームの一角であるメルセデス。そのルーツを辿ると、日本との繋がりがかなり強いのが分かる。

Lewis Hamilton, Mercedes W13

 現在F1に参戦するチームの半数は、参戦開始当初から現在のチーム名で活動してきたわけではない。別のチームを買い取るなどして、参戦をスタートさせたのだ。しかも譲渡が1回だけではなく、複数回に渡っているチームも数多くあり、それを辿っていくと、今ではライバル関係となっているメーカー系チームにたどり着く場合もある……。

 2014年から2021年までF1のコンストラクターズタイトル8連覇を達成したメルセデス。2022年こそ厳しい戦いを強いられ、タイトル獲得を逃したが、それでも開幕直後の出遅れから巻き返して1勝を挙げており、その底力を窺い知ることができた。2023年シーズンは間違いなくさらなる復活を遂げ、タイトル争いの一角に加わってくることだろう。

 現在のメルセデスがチームとしてF1への参戦を開始したのは2010年。それ以前にはマクラーレンを中心にエンジンを提供してきた。ただメルセデスは、マクラーレンの参戦枠を引き継いでチームとしての参戦をスタートさせたわけではない。別のチームを買収し、今のメルセデスF1チームが誕生したのだ。

Jenson Button, Brawn BGP001

Jenson Button, Brawn BGP001

Photo by: Mark Sutton / Motorsport Images

 2009年、あるチームがデビュー初年度でダブルタイトルを獲得するという離れ技を演じた。ブラウンGPは前年限りでF1を突如撤退したホンダF1チームを引き継ぐ形で発足。当初はホンダ『RA109』として開発されていたマシンを引き継ぎ、そこにメルセデス製エンジンを搭載する形でなんとか出走に漕ぎ着けた。そしてそのマシンは圧倒的な速さを見せ、前半戦は連戦連勝。ライバルを圧倒した。

Jenson Button, Honda RA106

Jenson Button, Honda RA106

Photo by: Steven Tee / Motorsport Images

 ブラウンGPの前身であるホンダも、2006年からホンダとしての参戦を開始したばかり。その2006年のハンガリーGPでは優勝を手にしたが、勝利はこの1回のみであり、リーマンショックなどに起因する世界的な不況の影響を受け、わずか3年での徹底を余儀なくされたのだった。

 メルセデスのルーツを辿れば、現在はライバルであるレッドブルにパワーユニット(PU)を供給するホンダに行き着くというのも、運命の悪戯といえよう。

Takuma Sato, BAR 006

Takuma Sato, BAR 006

Photo by: Sutton Images

 そのホンダも、BARを買収する形での参戦だった。BARは1999年に、クレイグ・ポロックがジャック・ビルヌーブを担ぎ上げる形で発足。当初はルノーのカスタマーエンジンであるスーパーテックのV10エンジンを搭載する形で戦った。ただ戦闘力は優れず、ビルヌーブをもってしても1ポイントも獲得できなかった。その結果、2000年からはF1復帰を果たしたホンダのエンジン供給を受け、後のホンダによる買収に繋がることになった。2004年には、ジェンソン・バトンと佐藤琢磨のコンビで、コンストラクターズランキング2位になっている。

 BARもゼロから発足したわけではない。前出のポロックは、1997年にティレルを買収。1年間ティレルとして走った後、1999年からBARとしての戦いをスタートさせたのだ。

Ukyo Katayama, Tyrrell 022 Yamaha

Ukyo Katayama, Tyrrell 022 Yamaha

Photo by: Motorsport Images

 このティレルこそが、メルセデスの原点とも言えるチームである。マトラのチーム代表を務めていたケン・ティレルが、1970年のシーズン途中で自らのチームを立ち上げて参戦をスタート。その初戦カナダGPで、いきなりポールポジションを獲得して周囲を驚かせた。

 翌1971年にはジャッキー・スチュワートがドライバーズタイトルを、チームもコンストラクターズタイトルを獲得し、フル参戦1年目からダブルタイトルを手にしてみせた。結局はこれがチーム唯一のタイトル獲得(ドライバーズタイトルは73年にもスチュワートが獲得)だったが、特に参戦開始当初はランキング上位の常連だった。

 ただ80年代になるとチームの成績は低下。トップ5に入るのも難しくなった。晩年には資金難に見舞われ、前述の通りBARに売却することになった。

 ただティレルは6輪車やハイノーズなど、革新的なマシンを数多く投入してきたことでも知られる。また、中嶋悟、片山右京、高木虎之介と3人の日本人ドライバーが在籍し、さらにホンダやヤマハのエンジンを搭載するなど、日本との関わりが深いチームでもあった。

■ティレル(1971年〜1998年)
エンジン:フォード(71〜85年)→ルノー(85〜86年)→フォード(87〜90年)→ホンダ(91年)→イルモア(92年)→ヤマハ(93〜96年)→フォード(97〜98年)
主なドライバー:ジャッキー・スチュワート、フランソワ・セベール、パトリック・デュパイエ、ジョディ・シェクター、ロニー・ピーターソン、ディディエ・ピローニ、ミケーレ・アルボレート、ステファン・ベロフ、ステファン・ヨハンソン、マーティン・ブランドル、ジャン・アレジ、中嶋悟、アンドレア・デ・チェザリス、片山右京、ヨス・フェルスタッペン、高木虎之介

■BAR:1999年〜2005年
エンジン:スーパーテック(1999年)→ホンダ(2000〜2005年)
主なドライバー:ジャック・ビルヌーブ、ジェンソン・バトン、佐藤琢磨

■ホンダ:2006年〜2008年
エンジン:ホンダ(2006年〜2008年)
主なドライバー:ジェンソン・バトン、ルーベンス・バリチェロ

■ブラウンGP:2009年
エンジン:メルセデス(2009年)
主なドライバー:ジェンソン・バトン、ルーベンス・バリチェロ

■メルセデス:2010年〜
エンジン:メルセデス(2010年〜)
主なドライバー:ミハエル・シューマッハー、ニコ・ロズベルグ、ルイス・ハミルトン、ジョージ・ラッセル

 なおメルセデスは、1954〜55年の2年間のみF1に参戦。圧倒的な強さを発揮し、ファン-マヌエル・ファンジオのドライバーズタイトル連覇を支えた。ただチームとしての系譜を辿ると、当時のメルセデスと今のメルセデスは全く別物である。

 また1993年にはザウバーがF1参戦を開始。ザウバーはメルセデスのCカーチームを運営していたこともあり、車体にもConcept by Mercedes-BENZのロゴが入れられていた。ただ当初のエンジンはイルモア製。翌年にはメルセデスエンジンと正式に名乗った。ただメルセデスはザウバーとのパートナーシップを解除し、マクラーレンにエンジン供給することを決めた。エンジン/パワーユニットという点では、このザウバーとの提携が、今のメルセデスの第一歩ということになる。

 
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