【訃報】元FIA会長、マックス・モズレー亡くなる。享年81
元FIA会長であるマックス・モズレーが81歳で亡くなったことが明らかとなった。
写真:: Steven Tee / Motorsport Images
かつてFIA会長を務めるなど、モータースポーツ界で最も権力を持っていたひとりであるマックス・モズレーが亡くなった。81歳だった。
モズレーは1940年、イギリスのファシスト連合を率いるオズワルド・モズレー卿と、著名なミッドフォード姉妹のひとりであるダイアナ・モズレーとの間に生まれた。モズレーは弁護士として働く傍ら、アマチュアのレーシングドライバーとしてF2やスポーツカーレースに出場。1968年にジム・クラークが命を落としたホッケンハイムでのF2レースに出走していたことは有名である。
1969年にレーサーを引退したモズレーは、マーチ・エンジニアリングを共同設立。マーチは世界で最も有名なレーシングカーマニュファクチャラーのひとつとなっていった。
この間に彼はFOCA(フォーミュラ・ワン・コンストラクターズ・アソシエーション)の法律顧問を務め、その後何十年に渡って用いられるコンコルド協定を形づくることに貢献した。1986年にはFISA(国際自動車スポーツ連盟)のマニュファクチャラーズ委員会の会長となり、1991年にはFISAの会長に就任した。
1993年にはモータースポーツ統括団体の組織再編があり、FIAが自動車業界やモータースポーツ管轄するようになった。そしてモズレーはジャン-マリー・バレストルの退任に伴ってFIA(国際自動車連盟)会長に選出された。
モズレーは自動車の安全基準向上に向けて活動し、1994年のF1でローランド・ラッツェンバーガーとアイルトン・セナが事故死した際は、マシンの性能を低下させたり、HANSを導入するなど安全性を高めるための改革を打ち出した。
モズレーは最終的にFIA会長を16年に渡って務めたが、その間に論争となる出来事がなかった訳ではない。
彼はバーニー・エクレストンとの関係が深く、彼とF1の主導権を巡って度々争った。また、2005年アメリカGPではミシュラン勢の出走取りやめの決定にも関わり、2007年のマクラーレンによるスパイ事件ではチームに対して強硬な態度をとった。そして2008年にタブロイド紙『ニュース・オブ・ザ・ワールド』に性生活がセンセーションに報じられた後、程なくして任期を終えた。
モズレーはこの性スキャンダルに関してプライバシーの侵害を訴えて勝訴しているが、次のFIA会長選挙には立候補せず、彼の任期は4期で終了した。
また、モズレーを題材としたドキュメンタリー映画が近々公開予定となっているが、そのプロジェクトについて彼はこう語っていた。
「『ニュース・オブ・ザ・ワールド』の一件やその後の出来事など、全てが詰まっている。バーニーのインタビューも面白い。記事が出た時に彼がどちら側についていたかにも踏み込んでいるからだ」
「ヒトラーが両親の結婚式に招待されたことも取り上げられているか? イエスだ。この作品は全てが網羅されている」
「第三者にとっては面白いかもしれないが、私が担当だったらカットするような要素がいくつかある。しかしそれでは必要である独立性が保たれず意味のないものになってしまう」
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