11年前に目前で破綻した、ケン・ブロックのトヨタF1でのテスト。実現していればF1界は大きく変わっていた?
先日、スノーモービルでの事故によりこの世を去ったケン・ブロック。ラリー競技やスタントで名を馳せた彼だが、一度F1テストドライブの話が実現しかけたことがあった。
1月2日、スノーモービル中の事故によって命を落としたケン・ブロック。WRCなどのラリー競技に加え、車を使ったスリル満点のパフォーマンスで魅せる動画『ジムカーナ』などで絶大な人気を誇ったブロックの死去に、モータースポーツ界は深い悲しみに包まれた。
スーパースターとして高いステータスや影響力を誇っていたブロックだが、そんな彼に対してF1でタイヤサプライヤーを務めるピレリは、11年前にF1テストの機会を与えようとしていた。
ピレリはWRCを通してブロックと繋がりがあった。そして2011年にワンメイクのタイヤサプライヤーとしてF1に復帰するにあたり、それらふたつの世界選手権カテゴリーにおいて存在感を誇示するためにも、ブロックにテストをさせたいという考えがあったのだ。
ブロックのテストを最初に企画したのは、ピレリのアメリカにおけるメディア部門の責任者だったラファエル・ナバーロだった。ナバーロがモータースポーツ部門を取り仕切るポール・ハンベリーにそのことを問い合わせたのがきっかけとなり、計画は実行に移されていった。
テストで使う車両の手配についても問題はなかった。ピレリはトヨタが2009年シーズンに使用していたマシン、TF109を2011年の開発用に使用することで合意していたためだ。そして日程は2011年8月、場所はイタリアのモンツァで、ピレリは3日間のテストを実施することで決定した。最初の2日間はルーカス・ディ・グラッシが開発作業を行ない、最終日にブロックを走らせる計画だった。
ピレリがテスト用に使用していたTF109
Photo by: Pirelli
全ての段取りが済んだピレリは、カナダGPの際にブロックのテスト実施を発表。彼もF1に乗るチャンスを得たことに興奮しており、モントリオールのパドックでこう話していた。
「こんなことができるようになるとは思ってもみなかった」
「でもピレリは僕と一緒にユニークで一風変わったことをやるというアイデアを出してくれたんだ。彼らはこれまでも良いパートナーだったから、僕にとっては夢のようだ。オープンホイールでアスファルトを走った経験はほとんどないから、かなり勉強になるだろう」
ちなみにブロックには、このテストで単にF1マシンを経験するというだけではなく、F1で『ジムカーナ』シリーズのようなスタントをするという構想もあったようだ。
2011年のカナダGPで、ミハエル・シューマッハー(左)と談笑するブロック
その可能性についてモントリオールで質問されたブロックは、笑顔でこう答えていた。
「彼らをどう説得するか考えておくよ。もちろんかなりお高いクルマだからね」
「でも僕が(スタントについて)色々質問した時、彼らはふざけた顔をしていた。何かできるかもしれないね」
カナダGPから数週間後、ブロックはトヨタの拠点があるドイツのケルンに出向き、テストに向けた準備を進めることになった。
ブロックはそもそもシングルシーターでの経験が乏しいため、まずはシミュレータでF1マシンのスピードや激しさに慣れていき、そこからシート合わせを行なっていく……というのがその日のプランだった。しかしそこで彼らはある難題を突きつけられることとなった。
それがブロックの体格。彼の身長は183cmあったが、彼の体格、特に足の長さは問題となった。ブロックのように180cmを超えるF1ドライバーは少なくないが、TF109はいずれも身長170cm前後のヤルノ・トゥルーリやティモ・グロックが乗るように設計されたものだったのだ。
ブロックはマシンに乗り込み、ロールフープより下に頭を収めることはできたが、大きな足がステアリング操作を妨げるような姿勢となってしまっていた。トヨタはマシンの改良を検討したが、時間が足りなかったこともあり断念。ブロックのテスト参加は白紙となってしまったのだ。
その後ピレリは代替案を模索し、2009年よりも昔のマシンの中で選択肢になり得るものを調べたが、使えそうなものはなかった。
「我々は諦めていなかった」とハンベリーは振り返る。
「しかし求められる改造のレベルがあまりにも高すぎた。当時のことを思い出してほしいが、トヨタは(2009年限りでF1を撤退したため)実質的に規模が縮小していた。彼らに以前のような力はなく、我々にできることは限られていたのだ」
「最終的には悲しいことに、(ブロックのテストは)実現できなかった。ケンはスリルを求める人間なので、彼がどれだけがっかりしていたかは容易に想像できる。こんなチャンスは二度とないことなのに、実現させられなかったのだ」
またヘンベリーは、もしテストを実施することができていれば、Netflixなどがない時代においても若い世代にリーチすることができ、新たな層にF1への注目を集めることができていたかもしれないと考えている。
ポール・ハンベリー
Photo by: Andrew Ferraro/LAT Photographic
ただヘンベリー曰く、当初はブロックにグリッドパスを発給させるのも一苦労だったという。当時のF1は、ブロックがそれほどのビッグネームではないと考えていたためだ。しかし実際にグリッドに訪れたブロックはファンから大きな歓声を浴び、メカニック達から次々に写真撮影を求められていた。ヘンベリーは、これがブロックがF1に必要な人材であることの証明だと感じたという。
「我々がF1に参画した時、このスポーツは少しばかり疲弊して地味なものになっていた」とヘンベリーは言う。
「だからケンなら少し違ったことができると思っていた。ケンのスタイルでF1マシンを走らせるとどうなるのか、どんな感じでスライドするのか……とてもセンセーションだっただろう」
「とても楽しいものになったはずだ。それができなかったことは本当に残念だ」
ハンベリーは数年前にピレリを退社したため、最近はブロックとの交流も少なくなっていたというが、それでもブロックを失ったことに対するショックや悲しみはそうそう拭い去れないという。
「ケンはとにかく楽しみたい人で、限界まで行く人だった」
「ラリーやクルマを滑らせることへの愛情を最大限表現しようとする、スリルを追い求める人間だった。最高のショーマンだ」
「そして彼はトゲのない性格だった。エゴもない。だからパブにいる友達のような感じで、ケンといるといつも笑ったり冗談を言い合っていた。本当に落ち込んでいる」
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