アイルトン・セナが獲得した3つのタイトル。彼にとって最高のシーズンは1991年?

アイルトン・セナがチャンピオンを獲った3シーズンの中で、1991年は語られることが最も少ないシーズンかもしれない。しかしこの年は、彼にとっては最も成功したシーズンであると言えるのではないだろうか。

アイルトン・セナが獲得した3つのタイトル。彼にとって最高のシーズンは1991年?

 アイルトン・セナは1988年から1992年までマクラーレン・ホンダのマシンを駆り、88年、90年、91年の3シーズンでF1ドライバーズチャンピオンに輝いた。

 そのうち1991年は、ウイリアムズが躍進を遂げたものの信頼性が欠如していたということもあり、多くのレースを取りこぼし……その間にセナがタイトルを手にしたと見られることもある。しかし同シーズンの流れをよく見ていくと、実はこの1991年こそが、セナが完璧な戦いぶりを見せたシーズンだったと言えることがわかる。

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 開幕から4連勝を果たすなど、同年のセナは幸先の良いスタートを切った。この間、同年のライバルとなったウイリアムズは信頼性の面で苦戦。セナは大きなリードを築くことになった。その後はウイリアムズが速さを見せ、一進一退の状況になったが、序盤に築いたリードにより、セナの3度目のタイトル獲得を決定づけることになった。

 ウイリアムズ・ルノーが脅威的な速さを持っているのは、シーズン序盤から明らかだった。エイドリアン・ニューウェイがデザインしたFW14は、まだアクティブサスペンションは搭載していなかったものの、セミ・オートマチックギヤボックスなどのハイテクデバイスを搭載し、その上で空力性能にも優れていた。

 第2戦ブラジルGPでは、ナイジェル・マンセルがセナに激しくプレッシャーをかけ、ファステストラップも記録した。しかしセミオートマにトラブルが発生しリタイア。セナはそのまま勝利するかと思いきや、彼のマシンにもギヤボックストラブルが発生し、6速にスタックしてしまう。ウイリアムズのもうひとり、リカルド・パトレーゼが接近しつつあったため、セナはそんな苦しい状況でも、懸命にプッシュしなければいけなかった。

 次の第3戦サンマリノGPでは、そのパトレーゼがレースをリードした。しかしミスファイアが発生してリタイア。これでマクラーレン勢が1-2フィニッシュを果たした。

 モナコではセナが圧倒的な強さを発揮したが、マンセルが2位……これがマンセルにとって、このシーズン最初のポイント獲得ということになった。第5戦カナダGPではウイリアムズが予選1-2を獲得したものの、マンセルは決勝最終ラップでキルスイッチを誤って押してしまうミス……ベネトンのネルソン・ピケが優勝した。セナはこの年初めて敗れることになった。

Ayrton Senna, McLaren, Gerhard Berger, McLaren, J.J.Lehto, Dallara Judd

Ayrton Senna, McLaren, Gerhard Berger, McLaren, J.J.Lehto, Dallara Judd

Photo by: Motorsport Images

 メキシコでは、ウイリアムズの本領発揮となった。パトレーゼが優勝して、これが同年のウイリアムズの1勝目。2位にはマンセルが入り、ウイリアムズが1-2フィニッシュを決めた。セナはパトレーゼから57秒も離された3位で終えた。

「武器をかなり早く変更しなければ、シーズン後半には問題が生じるだろう」

 セナはチームにそう警告した。ただその時点では、全16戦の6戦目が終わったにすぎなかった。

 第7戦フランスから第9戦ドイツまでは、マンセルが3連勝。ドイツではパトレーゼが2位に入った。この間、セナの表彰台はフランスの3位のみ。シルバーストンとホッケンハイムでは燃料を使い果たしてしまったのだった。

 ウイリアムズが速さを増したことで、セナのタイトル獲得が危うくなってきた。セナはイギリスGPの際に「パッケージとしては、現時点では彼らの方が、僕たちよりも優れている」と語っている。

 ホンダはその後、V12エンジンを改良。シェルも特殊燃料を用意した。一方のウイリアムズも、ルノーとエルフが開発を続けた。

 しかしシーズンの半ばまでに、ウイリアムズが最速のマシンを手にしたのに疑いの余地はなかった。残り7戦という時点で、マンセルはセナからわずか8ポイント遅れ。コンストラクターズランキングでは、ウイリアムズがマクラーレンを抜いて首位に立っていた。

「すぐに新しいモノを手にできるのを待っているんだ」

 セナはホッケンハイムでそう語った。

「ウイリアムズを捕まえるためには、かなり多くのモノが必要だ。チャンピオンシップの可能性はまだ残っている。だから、できるだけ早く準備を整える必要があるんだ。ウイリアムズ・ルノーが持っているパフォーマンスを考えれば、太刀打ちすることはできない」

 セナは、特にホンダに対してプレッシャーをかけた。両者は1987年から共に戦ってきたため、強固な関係が出来上がっていた。そしてホンダは、セナの求めに応じてハンガリーGPに改良版のV12エンジンを投入したのだ。

Ayrton Senna, McLaren MP4-6 Honda

Ayrton Senna, McLaren MP4-6 Honda

Photo by: Rainer W. Schlegelmilch

 このハンガリーGPは、ホンダの創設者である本田宗一郎が亡くなって僅か数日後に行なわれた、いわば弔い合戦。セナは5月のモナコ以来ポールポジションから遠ざかっていたが、ウイリアムズ勢に1.2秒の差をつけ、ポールポジションを獲得した。

 セナの脅威的なドライビングもその一環だっただろうが、それ以上にホンダの新しいV12エンジンがうまく機能した……とも言うべきだろう。このエンジンは14800rpmを達成し、パワーアップも果たしていた。

 マシンのパフォーマンスを計算していくと、シーズンを通して見た場合は、マクラーレンMP4/6はウイリアムズFW14よりも0.27%速かった。しかし16戦中10レースではウイリアムズの方が優れており、彼らはそのうち7レースで勝利を手にした。ウイリアムズが勝てるはずだったレースを失った3レースのうち、2レースで優勝したのはセナ……そしてマクラーレンは、パフォーマンス上の優位性を持っていた全6レースをしっかりと勝利してみせたのだ。

 最終的な勝利数は、マクラーレン8勝に対して、ウイリアムズが7勝。自分たちが勝つべきレースをしっかり勝てたのが、マクラーレンとセナにとって大きかったと言えるだろう。

 セナがウイリアムズが勝つべきレースを初めて奪ったのが、ハンガリーGPだ。セナはポールポジションからスタートしたが、44周にわたってパトレーゼがプレッシャーをかけ続けた。タイトル争いのためにパトレーゼがマンセルにポジションを譲ったが、セナはホンダV12のパワーを活かして直線でのオーバーテイクを許さず、トップでチェッカーを受けたのだ。

「今日のウイリアムズは僕よりも速かった。でも最初のコーナーでリードできていたからね……ここでは、オーバーテイクするのは難しいんだ」

 そうセナは語った。

「幸運なことに、僕はストレートスピードで速かった。だからリカルドとナイジェルは、1コーナーまでに僕に十分に近付くことができなかったんだ」

「勝てるレースを戦うのは、モナコ以来初めてのことだ」

 ベルギーGPでは、セナが再びポールポジションを獲得。2番グリッドにはフェラーリのアラン・プロストが並んだ。

 そのレースもセナが手にすることになるわけだが、これは実に幸運なレースだったと言える。プロストはレース序盤にエンジンブローでリタイア。マンセルは電気系のトラブルに見舞われ、もう1台のフェラーリのドライバーであるジャン・アレジは戦略を変えたことによりリードしたが、やはりエンジントラブルに見舞われた。先頭に立ったセナもギヤボックスの不調に見舞われ、ジョーダンのアンドレア・デ・チェザリスに詰め寄られたが、そのチェザリスは残り3周でエンジンブローに見舞われ、セナを脅かす者はいなくなったわけだ。

 8月に2勝を挙げたことにより、セナはマンセルに対するリードを22ポイントに拡大。コンストラクターズランキングでは再びマクラーレンが首位に躍り出て、ウイリアムズにプレッシャーをかけた。この状況はつまり、残り5レースの全てで、セナを打ち負かさねばならないということを意味していた。しかもそのうち少なくとも1レースは、マンセルとパトレーゼが揃ってセナを上回らねばならない……当時は優勝10ポイント、2位6ポイント、3位4ポイント……そして6位までしか入賞とならないポイントシステムだったのだ。

Nigel Mansell, Williams, Ayrton Senna, McLaren

Nigel Mansell, Williams, Ayrton Senna, McLaren

Photo by: Motorsport Images

 モンツァでは、マンセルはセナに次ぐ予選2番手からレースをスタート。レース序盤はチームメイトのパトレーゼがセナにプレッシャーをかけ、オーバーテイクを成功させたが、ギヤボックスの不調によりスピン。ただその後マンセルが残り20周というところでセナを攻略、そのままトップチェッカーを受け、タイトル獲得へ希望を繋いだ。

 続くポルトガルGPでマンセルは、4番グリッドから好スタートを決めて2番手に浮上。パトレーゼがレースをリードした。そのパトレーゼはチームプレイに徹し、マンセルを先行させるが、マンセルには”災難”が待っていた。

 タイヤ交換のためにピットインしたマンセルだったが、右リヤタイヤが完全に装着されていない状態でピットアウトしてしまう。そのため、ピットレーンで彼の右リヤタイヤが外れてしまい、そこでマンセルはストップしてしまった。悔しがるマンセル。チームはその場で改めてタイヤを装着し、コースに送り出すが、作業が許されていないエリアだったため失格の裁定が下る。レースにはパトレーゼが勝ったものの、セナは2位。ドライバーズポイントのリードを24にまで拡大することになった。

 マンセルは続くスペインGPで勝利し、セナは5位。しかし両者のポイント差はまだ16ポイントもあった。

 そして第15戦は日本GP……ホンダのホームコースである鈴鹿サーキットが舞台だった。その頃は開発に特に制限はなく、ホンダは日本GPに”鈴鹿スペシャル”と呼ばれるエンジンを持ち込むのが常だった。そのため、ライバルがマクラーレン・ホンダを打ち破るのは簡単ではなかった。マンセルは予選でポールポジションのベルガーから0.222秒遅れの3番手。パトレーゼは2秒以上遅れた5番手だった。

 決勝レースでは、マンセルがターン1でオーバーランしてリタイア。この瞬間、1991年シーズンのドライバーズタイトルはセナのモノと決した。タイトルを手中にしたセナは、最終ラップでベルガーに勝利をプレゼント。そのシーンは多くのファンの記憶に残っていることだろう。

 アデレード市街地コースで行なわれた最終戦オーストラリアGPは、大雨に見舞われることになった。その結果、決勝レースはわずか14周で終了。セナが勝利を手にしたが、規定周回数に足りず、ハーフポイントとなった。

「レースとは言えなかった。サーキット上に留まるだけだった……何もできなかったよ」

 セナはレース後にそう語った。結局このシーズンの彼は合計7勝、マンセルと24ポイント差で1年を終えた。

「アイルトンは、信頼性の面で少し幸運だった。でも最終的には、彼は良い形で仕事を成し遂げた。彼はワールドチャンピオンだよ」

 チームメイトのベルガーは、同年のセナの戦いぶりについてそう回顧している。

 前年に続き2年連続でのタイトル獲得となったセナ。しかし1990年はプロストとの相討ちでの決着であり、後年セナはその接触が故意だったと示唆するコメントも発している。ただその一方で、この1991年は満足いくものだったと語っている。

「僕にとってはエキサイティングなモノだった」

 そうセナは語った。

「1990年は悲しいチャンピオンシップだった。でも、1991年にはクリーンな形でチャンピオンシップを手にすることができた。テクニカルで、スポーツとしてもまともなチャンピオンシップだった。こういう形が、F1で戦っている全ての人にとっての模範となると良いね」

 またこの年のセナは、ほとんど取りこぼしがなかったとも言える。厳しい批評家たちは、イギリスとドイツで燃料が足りなかったのは、セナのドライビングスタイル(例えばセナ足など)に起因するものだと指摘するかもしれないが、明らかなミスでポイントを失ったのは、スピンしたスペインGPだけとも言える。

 舞台裏でセナは、マクラーレンとホンダにプレッシャーをかけ、マシンの進歩に寄与した。そしてそのマシンを最大限に活用してみせた。

 1988年のセナは、チームメイトのプロストよりも総獲得ポイントで下回りながら、有効ポイント制の恩恵を受け、タイトルを手にした。同年のセナの総獲得ポイントは94、一方でプロストは105だったが、この年はベスト11レースの成績のみでタイトルを争うことになっていたため、これに当てはめるとセナは90ポイント、プロストは87ポイントだったわけだ。

 1990年は、前述の通り鈴鹿でセナはプロストとスタート直後にぶつかり、王座を決めた。しかし1991年のセナはクリーンな戦いをした末のタイトル獲得であり、その正当性が議論になることはなかった。確かにいくつかの運、最大のライバルだったウイリアムズの信頼性といった面に助けられたこともあったが、それをうまく活用しての載冠だった。

 最強のウイリアムズ・ルノー+プロストを苦しめた1993年が、セナの”素晴らしいシーズン”として語られることが多い。しかし、そのウイリアムズが台頭し始めた1991年シーズンもまた、セナにとって最高のタイトルのひとつであると言えるのではないだろうか。

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シリーズ F1
執筆者 Kevin Turner