【特別インタビュー】”先輩”片山右京を泣かせられるか? 角田裕毅「それを達成するため、今はただ鍛錬と周回を重ねるだけ……」
F1デビュー戦でチャンピオン経験者を次々にオーバーテイクし、高い評価を受けた角田裕毅。しかしその後は、なかなか好結果に繋げることができず、苦しんでいる。その角田にインタビューを実施し、その可能性を探った。
今季アルファタウリ・ホンダからF1デビューを果たした角田裕毅。2014年の小林可夢偉以来、実に7年ぶりの日本人F1ドライバー誕生である。
彼の出身高校は日大三高と和光高校。日大三高は片山右京の、そして和光高校は佐藤琢磨の出身高校である。角田は17人目の日本人ドライバー、そして日本の人口が1億2000万人を超えるということを考えれば、信じられないような偶然と言える。
「僕が高校を転校した時、そこは佐藤琢磨さんの出身校でした」
角田はGPレーシングのインタビューに笑顔でそう答えた。しかし彼がこのことに気づいたのはつい最近であり、在学当時は片山と佐藤が誰なのかということも知らなかったという。
角田の父親は自らレースにも出場していた。その父に連れられて、F1日本GPを観戦にも行っていたという。しかし角田は、F1ファンではなかった。
「僕らは何度か、F1のレースを観に行きました」
そう角田は振り返る。
「僕が7歳の時、初めて富士で行なわれた日本GPに行きました。雨が降っていたのを覚えています。そして僕は、その音が好きになれませんでした。とてもうるさかったので、ずっと耳を塞いでいました。僕が覚えているのは、早く家に帰りたかったということだけです」
「小さい頃は、レースがあまり好きじゃなかったんです。他のスポーツは好きでした。サッカー、スキー、スノーボード、アメリカンフットボール、バスケットボール……あらゆるスポーツが好きでした。だから、ただレースをしていただけじゃなかったんです。テレビでは数回見ましたけどね。でも、しっかりとF1を見始めたのは、F2シーズン(つまり去年!)の中盤から終わりにかけてだけなんです」
有名な話ではあるが、角田のレースキャリアにおいて重要な役割を果たしたのは、もうひとりの日本人元F1ドライバーだった。中嶋悟である。
角田は2016年に鈴鹿サーキット・レーシング・スクールに参加。しかし大湯都史樹と笹原右京に敗れ、スカラシップを獲得することができなかった。しかし角田の走りは、中嶋の目に留まった。
「11月のことだったと思います」
そう角田は語る」
「それまではすごくうまく行っていて、常に首位か2番手を争っていました。3月からスタートしたんですが、ほとんど経験がなかったので、かなり低いポジションからスタートして、かなり上達していたんです。でも当時の僕は、プレッシャーに本当に弱かった。最後の選考会では3つのレースがあり、そのうち2戦でジャンプスタートを犯し、もう1回もコースオフしてしまいました」
Satoru Nakajima
Photo by: Mark Sutton / Motorsport Images
「それで、僕は落選したと聞かされました。でも中嶋校長がイベントの最後に、僕のところに来てくれました。中嶋校長は(鈴鹿の)シケインで見ていて、そのドライビングに感銘を受けたと言ってくれました。それでホンダに、僕をジュニアプログラムに入れるように勧めてくれたんです」
「僕はその選考会で落ちたら、レースを辞めようと思っていました。だから中嶋さんがいなかったら、僕はここにいなかったと思います」
当時の角田は、中嶋のキャリアを知る由もなかった。角田はただ、”速いクルマ”をドライブしたかっただけなのだ。
その後角田は、急速に成長を遂げていくことになる。2017年にはFIA F4の日本選手権で3勝を挙げてシリーズ3位となり、2018年には同シリーズでチャンピオンに輝いている。同年にハンガロリンクで行なわれたレッドブル・ジュニアチームのF3テストに参加し、同チームのメンバー入りを果たすことになった。そして2019年には、FIA F3に参戦することになる。
ただ角田は、ヨーロッパでの生活やキャリアに適応するのには、少し時間がかかった。英語で自分自身の想いを伝えるのに苦労したのだ。
「もちろん、ホンダは僕を大いに助けてくれました」
そう角田は言う。
「たとえばアパートを決めるための連絡を取ってくれたりしたんです。そして(レッドブルの)パーソナルトレーナーもいて、僕の手助けをしてくれました。それでも、ひとりでヨーロッパに引っ越してきたので、F3のシーズン前半は少し苦労しました」
「僕はインターナショナル幼稚園を卒園し、小学校もインターナショナル・スクールでした。そこでは、ほとんどの時間を英語で話していました。遊ぶ時でさえ、英語を使わなければいけなかったんです。だから、ほとんどの日本人と比べれば、僕の英語はかなり上手かったはずです。でも中学校以降はあまり英語を使わなくなったので、多くの語彙を忘れてしまっていました。スイスにやってきてから最初の3ヵ月は、脳内で翻訳するような形でした」
「当時は、コースマップにアンダーステアとか、オーバーステアとかを書き込んでいこうとしました。その時点では、それで十分だと思っていたんです。でも、詳細をどうやって説明すればいいのか分かりませんでした」
Yuki Tsunoda, Jenzer Motorsport, FIA F3 2019
「完璧なセットアップを作り上げるのに、少し時間がかかりました。でも少しずつ慣れていき、シーズン後半からはもう少し詳しく話すことができるようになりました。(翌年)イギリスに移動した後も、英語は大いに役に立ちました。それは良い一歩でした」
角田はヨーロッパの生活やコミュニケーションには苦労したものの、元来持ち合わせているスピードでそれを埋め合わせていった。
2019年の後半にはF3での初優勝を手にし、2020年にFIA F2に昇格することになる。そして無線の問題で勝利を失ったり、クラッシュを起こしたりはしたものの、最終的にはランキング3位となり、F1昇格に必要なスーパーライセンス発給条件を満たした。
その活躍は、レッドブルのモータースポーツ・アドバイザーであるヘルムート・マルコに、F1昇格に値することを納得させるのには十分すぎる実績だった。すでにホンダは、2021年限りでF1活動を終了させると決めていたことが、マルコの判断に影響を与えた可能性は確かにある。しかし彼は、若く速い才能には、しっかりとそれに値するチャンスを与える人物だ。
角田はヨーロッパにやってきて以来、わずか2年でモータースポーツの頂点にたどり着いてみせた。そして、F1が彼を動揺させることはなかった。角田は、F1についてそれほど多くのことを知らなかったのだから。
「確かに、それは僕が期待していたようなものではありませんでした」
角田はF1デビュー戦についてそう振り返る。
「バーレーンGPの前は、何にも恐れていませんでした。シーズン前半の間に、表彰台を獲得しようとさえ思っていました」
角田はテストで十分すぎる速さをみせ、開幕戦の戦いぶりは、世界中から高い評価が集まった。ミディアムタイヤで予選Q2を突破しようとしたことが裏目に出て、スターティンググリッドこそ13番手となり、そのスタートでもいくつか順位を落としたが、その後オーバーテイクを連発してポジションを上げ、9位でフィニッシュしてみせた。日本人ドライバーがF1デビュー戦でポイントを獲得するのは、これが初めてのことである。
「バーレーンの後は、僕は自分のパフォーマンスに本当に満足していました」
そう角田は言う。
「予選Q2がうまくいかなかったので、完全には満足できませんでしたが、そのパフォーマンスには満足していたんです。ロス・ブラウン(F1のマネージングディレクター)やヘルムート・マルコ、フランツ・トスト(チーム代表)などからのフィードバックにも、とても満足しました。だからその時点では、僕は少しばかり簡単に考えすぎていました」
Yuki Tsunoda and Helmut Marko 2021
このバーレーンGPでの角田の走りについては、前出のロス・ブラウンは「ここ数年で最高のルーキー」だと絶賛。フランツ・トスト代表も「未来のワールドチャンピオンだ」と最大限の賛辞を送った。
しかしそれから半年。角田に対する評価は、開幕戦の頃とは大きく変わっていると言えよう。そして角田自身も、F1に挑戦することを過小評価していたと認める準備ができている。
「正直言って、そうですね」
そう角田は言う。
「僕は事前に、F1のオンボードカメラの映像を見ていました。その時は、すごくグリップがあると思っていました。F2までは、大きなスナップがあってもマシンをコントロールすることができます。F1も、スナップが大きくてもコントロールできると思っていました。僕はそれについて過小評価していました」
とはいえ彼が置かれている環境は、F1デビューする上では最高と言える。アルファタウリは、若手ドライバーの育て方を熟知しているチームだからだ。
「新人ドライバーは皆、F1を過小評価するモノだよ」
アルファタウリのトスト代表はそう語る。アルファタウリは前身のトロロッソ時代から、数多くの新人ドライバーをF1にデビューさせるという責を担ってきた。
「彼は日本人で、我々と共に働く最初の日本人だ。しかしそれ以外に、何か他と違うところがあるとは言えない。彼は他のレッドブル・ジュニアドライバーと同じように、非常に熟練している。彼はとても速く、すぐにでも勝ちたいと思っている。だから時々焦りすぎてしまうが、それは他のドライバーにも当てはまることだ」
「彼らがF1にやってきた時、自分は全てを知っていると思うモノだ。自分は速く、F1なんて簡単にできるといったような具合にね。最初のレースで良いレースをすると、『僕は今、本当のポテンシャルを示すつもりだ』と考えるんだ。そして、彼らはクラッシュする」
角田は、シーズン前のテストで走り込み、自信を持って望んだイモラで行なわれた第2戦エミリア・ロマーニャGPの予選Q1でクラッシュ。決勝でも、湿ったコンディションの路面でルイス・ハミルトン(メルセデス)をオーバーテイクしようとした際にスピンしてしまう。
その後第3戦ポルトガルGPを無得点で終え、第4戦スペインGPでも苦戦……これにより角田は、チームがガスリーと同じマシンを与えてくれているのか疑問だと語り、後にこれを謝罪することになった。続くモナコGPでは、フリー走行2回目で再びクラッシュした。
「ここ数年で最高のルーキー」と呼ばれた角田は、多くのミスを犯してしまうことになった。
Yuki Tsunoda, AlphaTauri
「バーレーンのレース後の時点で既に、私は彼に限界ギリギリで走っていると言っていた。彼はそのままでは速くなることはできない。今は、注意深くならなければいけないとね」
そうトスト代表は言う。
「その後、彼はイモラでの予選最初のアタックでクラッシュしてしまった」
「しかし事前にドライバーに警告するのは難しい。彼は、実際にそれを経験しなければいけないんだ。そしてそれを一度経験すると、限界がどこにあるのかを知ることになる。しかし限界を見つけるには、クラッシュする必要があるんだ。少なくともグラベルに突っ込む必要がある」
「彼にとってそれは、予選とFP1で共に起きた。その後これについて話し合い、全てのことを分析したんだ。幸いなことに、彼は今、ファエンツァで日々を過ごしているからね」
角田はF1デビュー以来、シーズン前半はレッドブルの本拠地であるイギリスのミルトンキーンズに生活の拠点を置いていた。しかしこのことは、イタリア・ファエンツァに拠点を構えるアルファタウリのチームとは離れて過ごすということになる。
ただ角田は今や拠点をファエンツァに移し、日々トスト代表に監督される中で過ごしている。角田はF1に対する学びを深め、エンジニアと定期的に会話し、トレーニングを行ない、英語も上達させている。スポーツ心理学者のサポートも受けている。角田は自ら、イギリスにいた時にはテレビゲームに多くの時間を割いていたと認めるが、今やその時間はほとんどなくなっている。
才能や天性の速さという面で角田は、アルファタウリ(トロロッソ時代含む)でドライブした新人の中では最も可能性を秘めたひとりかもしれない。しかし本当の輝きを放つためには、まだまだ磨いていかなければならないことがたくさんある。
「才能がなければ、成功することはできない。それは明らかだ」
トスト代表はそう語る。
「私にとって2番目に重要なことは常に情熱だ。F1では365日24時間、生き抜かねばいけない。3番目のポイントは鍛錬だ。体力的なトレーニング、栄養管理、完全な準備、生活スタイル……全てがF1に適応できていなければいけない」
「今ではユウキがどれだけ早く学ぶことができるか、どれだけ早くこれら全てを受け入れられるか、そしてこれらのことに慣れていけるかということにかかっている。スピードという面では、彼はトップレベルに属している。しかし今は学ばねばならず、鍛錬を続けていかなければならない。でもそれは、全て彼次第だ。我々ができるのは、アドバイスするということだけだ」
角田のルーキーシーズンはすでに後半に突入している。すでに”表彰台を目指す”というような言葉が出てくることはない。
Yuki Tsunoda, AlphaTauri
「全体的に見れば、シーズン前半は結果的には良くなかったと思います」
そう角田は認める。
「でも、僕はたくさんの経験をすることができたと思います。本当に浮き沈みが大きく、一貫性はありませんでした。たとえばフランスでは(Q1で)スピンして、2回目にも同じようなミスをしてしまいました。これまでの数年を振り返ると、そういうミスはあまりなかったんです。だから自分のパフォーマンスとドライビングに失望していることもたくさんあります。そのことからも、僕は学ぶことができました」
「もっと周回をこなすことが必要です。ハンガリーは良い例でした。FP1ではクラッシュし、FP2を台無しにしてしまいました。だから予選までにしっかり走れたのは、1回のフリー走行のみでした。ほとんどのドライバーは、経験を積み重ねるために、3回のフリー走行でしっかり走り込んでいます。だから僕には、もっと多くの周回を重ねる必要があるんです。それを達成するためにはより一貫性のある走りができるようにする必要があり、より落ち着いて走行に臨むために、さらに鍛錬を積み重ねる必要があります」
ファエンツァに移動した角田は、当初はホテルでの生活を強いられたが、8月には家が決まり、そこで日々を送っている。トスト代表は、シーズン初期の苦労には関係なく、角田の可能性を信じている。
「彼は大きく改善したと思う」
そうトスト代表は語る。
「そうでなければ、彼がハンガリーGPで6位になれたはずはない。彼のブダペストでの戦いぶりは、とてもクレバーだったのだ。彼の全ての経験と知識、そしてシーズン前半に彼が学んだことが合わさっている。彼は本当に良い形で、それを手に入れることができた。今後も同じように続けていってくれることを願っている」
角田は、これまで登場してきた日本人F1ドライバーの中でも、最速の存在かもしれない。角田とレッドブルの関係を考えても、日本のF1ファンは、角田がF1で優勝する最初の日本人ドライバーになることを夢見ている。
角田の高校の”先輩”である片山右京は、motorsport.com日本版のインタビューの際に、次のように語っている。
「(角田が勝ったら)泣くね。想像しただけで、泣きそうになってしまう。それがモナコだったりしたらどうする?? そんな日が来たら、僕らはみんな”ありがとう”しか言えないと思う」
「僕が現役の時は、結果が伴わなかった。その汚名を返上してくれるかもしれない」
この片山の発言について角田に尋ねると、彼は次のように語った。
「じゃあ、彼を泣かせようと思います!」
「もちろん、もし優勝できれば、それは素晴らしいことだと思います。でも今は、一貫性を持ったラップを走ることに集中する必要があると思います」
「当然、久々の日本人F1ドライバーになれたことは本当に嬉しいです。特に小林可夢偉さん以降、7年間日本人ドライバーはF1にいませんでしたからね。本当に嬉しいです」
「今年鈴鹿でのレースがなかったのは、本当に残念です。日本のファンに喜んでもらえる走りができれば、嬉しいと思っています。それを達成するためには、鍛錬と落ち着き、そしてできるだけ多くの周回をこなすことが必要だと思っています」
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