レッドブルの非情なドライバー育成……しかし彼ら以上にドライバー育成に注力してきた存在はゼロ
レーシングドライバー育成に力を入れてきたレッドブル。その育成ドライバーの、F1後のキャリアを振り返る。
好成績を残せないドライバーは容赦無く斬り捨てる……レッドブルは、ドライバーに対してそういう厳しい態度を取ってきたことで知られる。昨年のセルジオ・ペレスや角田裕毅に対する処遇を見てもそう。今季F1にフル参戦デビューを果たすリアム・ローソンやアイザック・ハジャーも、今度どんな扱いを受けることになるのか注目される。
批判的にレッドブルの育成システムを語るのは簡単だ。しかし若手ドライバーの育成にこれほどまで尽力してきた企業は他にはない。
このシステムに関与してきたドライバーの、今の立場を全てまとめるには、ものすごい文字数を要することになるだろう。そのため本稿では、ニール・ジャニやアントニオ・フェリックス・ダ・コスタ、フェリペ・アルバカーキ、フィリップ・エンゲ、アレックス・リン、ロバート・ウィケンス、カラム・アイロットら、F1には辿り着けなかったものの、他のカテゴリーのレースで成功を収めたドライバーたちは除外した。
また、レッドブルのシステムに関与したのがほんのわずかだったドライバーも除外した。これには、2025年アルピーヌF1のレギュラードライバーとなったジャック・ドゥーハンや、2010年と2011年にF1に参戦した経験を持つカルン・チャンドックらが含まれる。
エンリケ・ベルノルディ
2001-2002
Enrique Bernoldi
Photo by: James Bearne
エンリケ・ベルノルディがチャンピオンの候補だったとは考えない人が多いかもしれない。しかしレッドブルのモータースポーツ・アドバイザーであり、レッドブルのドライバー育成を取り仕切るヘルムート・マルコ博士は当時、ベルノルディの可能性を心から信じていた。
レッドブルは当時メインスポンサーを務めていたザウバーに、ベルノルディをレギュラードライバーとして起用するように働きかけた。しかしザウバーは、四輪レース経験がわずか23戦しかないドライバーを選択……つまり、若きキミ・ライコネンである。
そのためレッドブルは、アロウズのシートを確保。ベルノルディはヨス・フェルスタッペンのチームメイトとして、F1デビューを果たすことになった。
ライコネンが強烈な印象を残し、マクラーレンの白羽の矢が立てられた一方、ベルノルディはアロウズのパフォーマンス不足も相まって、入賞すら果たせず。アロウズと3年契約を結んでいたにもかかわらず、そのアロウズも資金難に陥って2001年のドイツGPを最後に撤退。ベルノルディは活躍の場を失ってしまった。
なおこの時のアロウズのマシンA23は後に大改造され、スーパーアグリSA05として2006年シーズンに再び走ることになった。
レッドブルの共同オーナーであったディートリッヒ・マテシッツには、ジョーダンを購入する計画もあった。しかしその契約は決裂したことで、ベルノルディにF1復帰の道はなく、ワールドシリーズ・バイ・ニッサンなどで過ごすことを余儀なくされた。その後レッドブルとの関係も解消され、BARホンダのテストドライバーを務めるなどしたものの、F1の表舞台に登場することはなく。インディカーに短期間参戦した後、GTと母国ブラジルのストックカーに参戦するなどした。
クリスチャン・クリエン
2004-2006, 2010
Christian Klien leads David Coulthard
Photo by: Mark Capilitan
ベルノルディがF1で活躍できなかったその裏で、クリスチャン・クリエンは着々とジュニアカテゴリーを駆け上がっていた。タイトルこそ2002年のドイツ・フォーミュラ・ルノーのみだったが、2003年にユーロF3でランキング2位に輝くと、翌年ジャガーF1のシートを手にすることになった。
この年のジャガーのマシンはパフォーマンスが優れず、シーズンでわずか10ポイントしか獲得することができなかった。そんな中でクリエンはベルギーGPで6位に入り、3ポイントを獲得した。
その年の11月、レッドブルはジャガーF1のほとんど全てをわずか1ポンドで買収。レッドブル・レーシングが誕生した。
2006年、レッドブル・レーシングのデビュー1年目は、デビッド・クルサードがエースドライバーとなり、もう1台のシートをクリエンとヴィタントニオ・リウッツィがシェアする格好となった。
そんな中クリエンは開幕戦と第2戦で入賞。その後リウッツィにシートを譲ったが、再びコクピットに戻った第8戦カナダGPでも入賞し、第10戦以降は最終戦まで決勝レースに出場することになった。
翌年もクリエンはレギュラーシートを確保したが、シーズン終盤にはレッドブルから、資金援助を得てチャンプカーに転向するか、あるいは引退するかの決断を迫られた。クリエンは引退することを選んだが、伝えられるところによると、1500万ユーロを得て、ロバート・ドーンボスにシートを譲ったようだ。
その後クリエンは、ホンダF1でテストドライバーを務め、2010年のシンガポールGPではHRTから電撃的に復活。その後ブラジルGPとアブダビGPも走った。
ル・マン24時間レースやGTレースにも参戦。特にル・マンでは、2008年にプジョーのドライバーとして総合3位となった。また2015年と2017年には、スーパーGTの鈴鹿1000kmにスポット参戦するなどした。
パトリック・フリーザッハー
2005
Patrick Friesacher, Red Bull Racing
レッドブルリンクのトラックデーに参加すると、インストラクターとして活躍するパトリック・フリーザッハーに会えるかもしれない。
彼は異端の存在とも言える。F1デビューする前にレッドブルの育成枠から外されたが、後にファミリーに復帰することになった。
フリーザッハーは2001年、マルコ博士のチームで国際F3000に昇格した。しかし3シーズンで1勝しか挙げられず、2003年のオフにはフォーミュラ・ニッポン移籍の可能性も指摘された。しかし自身で資金を集め、国際F3000に継続参戦。その後2005年にミナルディからF1デビューし、11戦に出場した。しかし資金が底をつき、ロバート・ドーンボスにシートを奪われた。
その後は怪我によりフォーミュラカー・シリーズへの参戦を終了させたが、アメリカン・ル・マン・シリーズなどに挑戦。最近ではレッドブルのデモ走行を担当するようになった。2023年にレッドブルのF1マシンが新幹線と”競争”した時、ステアリングを握っていたのも彼だったと言われる。
Watch: レッドブル・ホンダのF1マシン”RB16Bありがとう号”が、東海道新幹線&西九州新幹線に挑んだ!
ヴィタントニオ・リウッツィ
Vitantonio Liuzzi leads Scott Speed, Scuderia Toro Rosso STR01-Cosworth
Photo by: Glenn Dunbar / Motorsport Images
2005-2011
ヴィタントニオ・リウッツィは、ジュニア・シリーズで輝かしい成績を残したが、F1では苦労した人物だ。
リウッツィはレッドブルのサポートを受けてF3000で活躍。2004年にはクリスチャン・ホーナー代表のアーデン・チームで10レース中7戦で勝利し、表彰台を逃したのは1回だけという安定度だった。
当初リウッツィの才能を買っていたのはウイリアムズだった。そのため、F1初テストもウイリアムズでのものだった。
しかし2005年、レッドブルから4レースにスポット参戦。翌年にはレッドブルはミナルディを買収して誕生させたセカンドチーム、トロロッソのレギュラーシートを掴んだ。リウッツィはそこで、速いがミスも多いという評価を集めてしまうことになった。F1マシンなのに、カートのように走らせてしまうと言われたのだ。
2007年限りでトロロッソのシートを失った後、2009年のシーズン後半には、フェラーリ移籍が決まったジャンカルロ・フィジケラの後任としてフォースインディアからF1復帰し、翌年も同チームで走った。
2011年には大怪我を負ったロバート・クビサの代役としてルノーF1に加入するのではないかと言われたが、結局これは叶わず。HRTで走ることになったが、チームのパフォーマンスが低いことにより好成績を残すことはできなかった。
その後2014年には来日し、スーパーフォーミュラとスーパーGTに参戦した。
スコット・スピード
Scott Speed, Toro Rosso STR02-Ferrari
Photo by: Charles Coates / Motorsport Images
2006-2007
ディートリッヒ・マテシッツは、レッドブルとしてF1に挑むにあたり、エナジードリンクのアメリカでの売り上げを増やすべく、アメリカ人ドライバーを起用し、アメリカ的なチームを設立するという計画を持っていた。
そのためレッドブルは、元F1ドライバーであり、インディ500勝者でもあるダニー・サリバンとともに、アメリカ国内の才能を発掘するプログラム”レッドブル・ドライバー・サーチ”をスタートした。そこで見出されたのがスコット・スピードである。
レッドブルはスピードに対し、2003年のイギリスF3参戦資金を提供した。しかしスピードはシーズン中に潰瘍性大腸炎を発症したため、参戦はシーズン半ばで中断された。この病は大変厄介であり、完治するのは非常に難しく……後のスピードのキャリアを苦しめ続けることになる。
しかしスピードはGP2への昇格を果たし、ニール・ジャニを破ってF1への挑戦権を掴んだ。しかしトップ10入りも難しいチーム状況であり、彼のモチベーションは徐々に悪化していった。
2007年のヨーロッパGPでスピードは、チーム代表のフランツ・トストと掴み合いの口論になった。スピードは当時トロロッソの共同オーナーを務めていたゲルハルト・ベルガーに、「もしトストが再び僕の触れたら、今度はノックアウトする」と語ったという。
ただこの一件を最後に、スピードはトロロッソを離脱。セバスチャン・ベッテルが後任を務めることになった。
その後母国アメリカに活躍の場を移し、NCASCARなどに参戦。ラリー・クロスにも挑む傍ら、2014-2015シーズンにはフォーミュラEのアメリカ戦(マイアミE-PrixとロングビーチE-Prix)にも参戦した。
セバスチャン・ベッテル
Race winner Sebastian Vettel, Red Bull Racing in parc ferme
Photo by: Daniel Kalisz
2007-2022
レッドブルのドライバー育成システムの最初かつ最大級の成功例だといえよう。
レッドブルはセバスチャン・ベッテルの才能をカート時代に見出し、2005年にはフォーミュラBMWのADACチャンピオンシップでチャンピオンになると、翌シーズンにはF1でBMWザウバーのテストドライバーを務めながら、ユーロF3に参戦し、ポール・ディ・レスタに次ぐランキング2位となった。2007年にはフォーミュラ・ルノー3.5に参戦しランキング首位に立っていたが、カナダGPで大クラッシュしたロバート・クビサの代役としてアメリカGPでF1デビューを果たした。
ベッテルはその初戦でいきなり入賞。当時の史上最年少入賞記録を更新し、注目を集めた。その後、スコット・スピードが離脱したトロロッソに加入。翌年にはエイドリアン・ニューウェイがデザインしたレッドブルRB4のクローンとも言えるトロロッソSTR3を駆り、大雨のイタリアGPでポール・トゥ・ウインを成し遂げた。
2009年にはレッドブルに昇格し、2010年から2013年にかけて4年連続でドライバーズチャンピオンを獲得。アルベルト・アスカリが持っていた連勝記録など、いくつかの記録を更新した。
2014年にはメルセデスが猛威を振るった中苦戦。フェラーリに移籍してまずますの成功を収めたが、2019年にシャルル・ルクレールの後塵を拝することが多く、アストンマーティンに移籍した。
ただアストンマーティンでは目立った成績を残すことができず、2022年限りでF1を引退することになった。
最近では環境活動に情熱を傾けており、カーボンニュートラル燃料を用いて、自身が所有する歴代のF1マシンを走らせるなどしている。
セバスチャン・ブエミ
Sebastien Buemi, Toro Rosso STR5 Ferrari
Photo by: Glenn Dunbar / Motorsport Images
2009-2011
セバスチャン・ブエミは、レッドブルの育成システム内の序列では、ミハエル・アーマミュラーの次という立ち位置だった。しかしアーマミュラーが2007年のGP2シリーズ開幕戦で骨折したことでブエミが代役を務め、評価を逆転させた。
ちなみにアーマミュラーはシーズン途中でシートに復帰したものの成績は振るわず、レッドブルのプログラムを離れることになった。
ブエミは2008年、トロロッソのテストドライバーとなり、翌年ベッテルがレッドブルに昇格したことで空いたトロロッソのシートを手にした。
デビュー戦でいきなり7位入賞を果たしたが、それ以上の成績を残すことができずに、トロロッソで3年が経過。レッドブル昇格を果たすことができず。2012年以降はレッドブルのテストドライバーを務めることになった。
ただそれと並行して、2012年からはトヨタのドライバーとしてWEC(世界耐久選手権)に参戦し、4回チャンピオンに輝いている。ル・マン24時間レースでも4勝を挙げた。また、2014-2015シーズンからフォーミュラEにも参戦。2015-2016シーズンには、ルノー・e.damsのドライバーとしてチャンピオンに輝いた。
同一シーズンにホンダ製PUを積むレッドブルのF1マシン、トヨタのWECマシン、日産のフォーミュラEを走らせるという、日系3メーカーを股にかけた活躍でも知られる。
ハイメ・アルグエルスアリ
Jaime Alguersuari, Toro Rosso, with Sergio Perez, Sauber
Photo by: Glenn Dunbar / Motorsport Images
2009-2011
2008年にイギリスF3でチャンピオンに輝いたハイメ・アルグエルスアリ。翌年はフォーミュラ・ルノー3.5で苦労したものの、ヘルムート・マルコの覚えめでたく、2009年のハンガリーGPでF1デビューを果たした。
この時のアルグエルスアリは、19歳4ヵ月と3日。史上最年少F1ドライバーとなった。この年には1ポイントも獲得できなかったが、2年目には5ポイント、3年目には26ポイントを稼ぎ、確実に上昇傾向にあった。しかしチームメイトのセバスチャン・ブエミと共に、同年限りでトロロッソのシートを失ってしまうことになった。
その後、短期間カートレースに参戦した後、フォーミュラEの2014-2015シーズンに参戦。ただモスクワでのレース後に失神してしまい、最終2戦を欠場。その後、2015年の10月に行なわれた記者会見で、レースからの引退を表明した。
最近では音楽に力を入れており、DJ.スクワイアの名で活動。また、FIA世界カート選手権にも参戦するなどしている。
ただ最近でも、F1時代のことはトラウマになっているという。
「セラピーを受けたんだ。F1から引退した時、何人かのフィジオが助けてくれた。でも今でも、奇妙なことが頭に浮かぶんだ。そして時々、素晴らしいラップを走ったけど、怒った顔のマルコがいるという夢を見て、泣きながら起きることもあるんだ」
ダニエル・リカルド
Daniel Ricciardo, Red Bull Racing, 2nd Position, on the podium with his trophy and champagne
Photo by: Steven Tee / Motorsport Images
2011-2024
2008年にレッドブルの育成システムに加わったダニエル・リカルドは、フォーミュラ・ルノーWECで圧倒的な勝利を手にする。2009年にはイギリスF3で「チャンピオンに輝き、2010年はフォーミュラ・ルノー3.5でランキング2位。2011年シーズン半ばに、レッドブルがシートをレンタルする形でHRTからF1デビューを果たした。
その後トロロッソで2年走り、堅実なパフォーマンスを見せたことで、レッドブル昇格のチャンスを掴んだ。
レッドブル昇格1年目の2014年、メルセデスの前には屈したが、リカルドは3勝を挙げてランキング3位に。チームメイトでチャンピオン経験者でもあるベッテルを凌ぐ成績を残した。
2015年には新たにダニール・クビアトがチームメイトとなったが、リカルドはこのクビアトにも負けなかった。しかし2016年のスペインGPでマックス・フェルスタッペンがクビアトの後任としてチームメイトとして加わると、リカルドよりも優れた成績を残すようになった。
リカルドはチーム内で平等な扱いを受けていないと感じ、2019年からルノーに移籍した。レッドブルが2019年から使うことになったホンダのPUにも不安を感じていたという話もある。
リカルドの成績は年々衰える一方で、そのキャラクターには注目が集まっていった。ちょうどその頃、Netflixで『Drive to Survive(邦題:栄光のグランプリ)』の配信が始まり、そこでリカルドが取り上げられる度、視聴者からの支持を集めていった。
マクラーレンに移籍し、幸運な1勝を挙げたものの、同郷のオスカー・ピアストリにシートを奪われる形となり、アルファタウリ(元トロロッソ)に復帰。当初レッドブル加入の可能性もある中でのチーム復帰だったが、チームメイトである角田裕毅に敵わず、2024年のシンガポールGPを最後にグリッドを去った。
ジャン-エリック・ベルニュ
Jean-Eric Vergne, Toro Rosso STR8
Photo by: Motorsport Images
2012-2014
2010年にイギリスF3チャンピオンとなり、2011年にフォーミュラ・ルノー3.5でランキング2位となったジャン-エリック・ベルニュ。2012年にトロロッソからF1デビューを果たした。
しかし同年のトロロッソのマシンは酷い出来であり、ベルニュはモチベーションを保つのに苦労することになってしまった。
「F1に参戦していても、勝てないし、表彰台にも上がれないし、ポイントだって獲るのが難しいと分かっていながらグリッドの最後尾にいる時、あるいは良いレースをしたのにかなり後方でフィニッシュすることになった時、もちろん僕にとっては少し難しいことなんだ」
ベルニュは3年間トロロッソで走ったが、結果的には解雇されることになった。その後フェラーリのテストドライバーやシミュレータドライバーを担当したが、F1では成功することはできなかった。
ただフォーミュラEでは大成功。2017-2018シーズン、そして2018-2019シーズンには、連続でチャンピオンを獲得した。
ダニール・クビアト
Daniil Kvyat, Red Bull Racing, second place
Photo by: Glenn Dunbar / Motorsport Images
2014- 2020
カートレースで成功を収め、2010年に四輪レースに転向。2012年にはフォーミュラ・ルノー2.0のアルプスシリーズで、2013年にはGP3でチャンピオンに輝き、F1デビューのチャンスを掴んだ。
ただクビアトにとっては厳しいシーズンであった。2014年はハイブリッドF1の1年目。各チームともマシンを重量制限の中に収めるのが難しく、その分ドライバーの体重を減らさなければいけなかった。背が高く、痩せた体型のクビアトにとっては、もう体重を減らす余裕はなかった。
ただ翌年にはレッドブルに昇格。安定して入賞し、表彰台も手にした。翌年もレッドブルに残ったが、ロシアGPでフェラーリのセバスチャン・ベッテルに追突してしまい、翌戦からトロロッソに落とされることになってしまった。
「ソチでの事故は、彼の内部に築き上げられたプレッシャーの結果。我々が与えたモノではない」
当時ヘルムート・マルコはそう説明した。
クビアトのキャリアがこの後回復することはなく、2017年後半にはピエール・ガスリーにシートを明け渡すことになった。ただ2019年にトロロッソに復帰すると、2020年にはチーム名がアルファタウリになっても引き続き残留。しかしこの年限りで、角田裕毅にシートを奪われる形でF1を去ることになった。
その後はアルピーヌのリザーブドライバーを務めるなどしたが、母国ロシアのウクライナ侵攻の影響で、WEC参戦が急遽白紙になってしまうという事態も経験した。しかしNASCARやWECに参戦、2024年から始まった自律運転レースシリーズ”A2RL”の開発ドライバーを務めるなどしている。
マックス・フェルスタッペン
Max Verstappen, Red Bull Racing, 1st position, celebrates on the podium
Photo by: Zak Mauger / Motorsport Images
F1 2015-現在
レッドブルは、マックス・フェルスタッペンのキャリアの最初からサポートしてきたわけではない。2014年、F3を戦っていた若きフェルスタッペンを、メルセデスとの競合の末に獲得したのだ。
当時レッドブルのF1活動は混迷を極めており、一方でメルセデスは圧倒的な優位を誇っていた。しかしメルセデスには出来なくとも、レッドブルには採れた手法があった。それは、F1への近道だ。
レッドブルとの契約を交わした後、フェルスタッペンはすぐにトロロッソのテストドライバーとして発表された。当時、彼の年齢は16歳。自動車の運転免許すら取得できない年齢であった。
実際同年の日本GPで公式セッションデビューを果たすと、2015年にトロロッソからフル参戦。17歳165日で出走最年少記録を達成すると、続くマレーシアGPでは7位に入賞し、最年少入賞記録も更新した。
翌年のスペインGPではレッドブルに移籍し、いきなり優勝。2021年から2024年まで、4年連続でチャンピオンに輝いた。
優れた成績を収めるのは当然として、舞台裏では”チーム・フェルスタッペン”が形作られ、チーム内では常にチームメイトよりも優先されるようになった。
カルロス・サインツJr.
Carlos Sainz Jr., Scuderia Toro Rosso STR11
Photo by: Red Bull Content Pool
2015-現在
フォーミュラBMWに参戦していた当時から、レッドブルの若手ドライバープログラムに加入したサインツJr.。フォーミュラ・ルノー3.5でチャンピオンになり、2015年にマックス・フェルスタッペンと共にトロロッソからF1デビューを果たした。
ふたりはいずれも、強い競争心を持つドライバーを父に持つサラブレッド。それもあり、円満な関係を築くことは決してなかった。
サインツ家は、フェルスタッペンが優遇されていることがわかると混乱。フェルスタッペンの方が先にレッドブルに昇格したことでも激怒した。
その後サインツJr.は、レッドブルとの契約を解除し、ルノーに移籍。その後マクラーレンを経てフェラーリに加入すると、ようやく勝利を手にした。
ブレンドン・ハートレー
Brendon Hartley, Scuderia Toro Rosso and Pierre Gasly, Scuderia Toro Rosso prepare for the end of year grid photo
Photo by: Andy Hone / Motorsport Images
2017-2018
ブレンドン・ハートレーは、レッドブルの育成ドライバーとしては異色の存在である。15歳で母国ニュージーランドのトヨタ・レーシング・シリーズでチャンピオンになった彼とその父親は、ヘルムート・マルコのメールアドレスを手に入れ、スポンサー契約を売り込んだ。ハートレーのブロンドの髪をはじめその風貌は、レッドブルにピッタリであった。
ヨーロッパに活動の軸を移したハートレーは、フォーミュラ・ルノー2.0とイギリスF3で好成績を残し、レッドブルの信頼に応えた。しかしフォーミュラ・ルノー3.5では勢いが失われてしまうことになった。トロロッソのテストドライバーとしてグランプリに帯同しながら、フォーミュラ・ルノーとユーロF3に参戦するのは、あまりにも過酷だったのだ。
レッドブルのプログラムから外れることになったハートレーはスポーツカーレースに活躍の場を移し、ポルシェのドライバーとしてWEC王者に輝き、ル・マン24時間レースも制した。
しかしポルシェがWECから撤退すると、ハートレーはF1に復帰することになった。この頃ハートレーはマルコ博士から連絡を受けたのだ。
当時のレッドブルの若手ドライバーは、カルロス・サインツJr.の突然の離脱により、手薄な状態だった。2017年の終盤4戦でサインツJr.に代わってトロロッソのマシンを走らせ、2018年はフルシーズンを過ごした。しかしチームメイトのピエール・ガスリーの後塵を拝した。
その後、再びWECに戻り、今度はトヨタのドライバーとして活躍。2度のシリーズチャンピオンを獲得し、ル・マン24時間レースをさらに2勝している。
ピエール・ガスリー
Pierre Gasly, Red Bull Racing RB15
Photo by: Jerry Andre / Motorsport Images
2017-現在
ピエール・ガスリーも、レッドブルへの昇格が早すぎ、その才能を活かしきれなかったドライバーだ。
ガスリーは18歳の時にレッドブル・ファミリーに加わった。既にフォーミュラ・ルノー2.0でチャンピオンを獲得した経験があり、2014年にはフォーミュラ・ルノー3.5でランキング2位、2016年にはGP2でタイトルを手にした。
しかし当時のレッドブルとトロロッソには空きがなく、ガスリーは2017年シーズンは日本のスーパーフォーミュラで戦った。
しかし同年途中からトロロッソのシートを獲得。翌年1年もトロロッソで過ごした。
2019年にはレッドブルに昇格するが、表彰台を獲得することもできず、第13戦ベルギーGPからトロロッソに舞い戻ることになった。その後、アルファタウリと名を変えた同チームで3シーズンを過ごし、2020年のイタリアGPではキャリア初入賞も手にした。
ただレッドブル陣営内での将来は明るくないと判断したガスリーは、アルピーヌに移籍。現在に至っている。
アレクサンダー・アルボン
Alexander Albon, Red Bull Racing
Photo by: Andrew Hone / Motorsport Images
2019-現在
アルボンは2012年にレッドブルのプログラムに加入。カート時代には好成績を残したが、四輪転向1年目にはフォーミュラ・ルノー2.0とフォーミュラ・ルノー2.0で苦戦した。
そのシーズンの最後、彼は実際にマルコ博士から連絡を雨け、もうレッドブルのプログラムに参加することはできないと伝えられたという。
ただアルボンはそこから復活。F2まで辿り着き、ジョージ・ラッセル、ランド・ノリスに次ぐランキング3位になった。そしてマルコ博士から再び連絡を受け、レッドブルの育成チームに戻ることになった。
そして2019年にF1デビュー。しかしガスリーがレッドブルから降格することとなり、デビューシーズンながらアルボンがトップチームに抜擢された。
そのレッドブルでは安定して入賞しつつも、3位表彰台がやっと。2020年限りでシートを失うことになり、陣営のテストドライバーを務めつつ、DTMに参戦するなどした。
2022年にはウイリアムズのシートを掴み、フル参戦を再開。ウイリアムズでは2024年に契約を延長して今に至る。
角田裕毅
Yuki Tsunoda, Visa Cash App RB F1 Team
Photo by: Andrew Ferraro / Motorsport Images
2021-現在
レッドブル陣営とホンダとのパートナーシップの一環として、日本人ドライバーを育成プログラムに加えることになった。そこでプログラムに加入したのが角田である。
角田は日本のF4でチャンピオンになった後、FIA F3に参戦。弱小チームのイェンツァーからの参戦だったにもかかわらず1勝を挙げ、2020年にはFIA F2に挑戦。ランキング3位となり、アルファタウリのシートを掴んだ。
デビュー戦で入賞、最終戦でも4位になるなど、印象的な活躍を見せた。しかしその一方で、安定感が不足している時、無線での激しい口調などにより、彼の立場が悪化。マルコ博士は今も角田の才能を買っているようだが、それでもチームにレッドブル昇格を納得させるにはまだ遠いようだ。
レッドブルのジュニアチームで4レースを過ごし、今季5シーズン目。これは前例のないことだ。
レッドブル陣営とホンダの関係は、今年で終了する。今や角田の契約相手はレッドブルであるものの、ある程度ではあってもホンダの後押しを受けることができる今の段階で、レッドブル昇格の糸口を掴みたいところである。
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