F1の奇妙なスポンサー2:怪しすぎるオーナーの下、チームは活躍「マネートロン」
F1マシンには、様々な企業による華やかなスポンサーロゴが欠かせない。しかしその中には全く実態が不明なものなど、奇妙なものも数多くあった。今回は1989年のオニクスをスポンサードした『マネートロン』について振り返る。
1980年代後半から1990年代初頭にかけてのF1では、多くの新興チームが現れては消え、を繰り返していた。その中でもオニクスは、奇妙なスポンサーと共に予想外の活躍をしたという点で、印象的なチームであると言える。
オニクスは1989年からF1への参戦をスタートさせたが、そのメインスポンサーとなったのが、ベルギー人経済学者のジャン-ピエール・バン・ロッセム率いる『マネートロン』という投資会社だった。
マネートロンは、株式市場や為替レートの変動を予測できるスーパーコンピュータが、バン・ロッセムのオフィスにある“秘密のドア”の奥に保管されているという、いかにも怪しい触れ込みでF1界に参入した。
そんなマネートロンのロゴがボディとリヤウイングに大きく掲示されたオニクスのマシン『ORE-1』は、アラン・ジェンキンスが設計。フォード・コスワースDFRのV8エンジンを搭載した。さらにドライバーは実績十分のステファン・ヨハンソンに新鋭ベルトラン・ガショーと、比較的期待の持てるパッケージで1989年シーズンに臨んだ。
チームオーナーのバン・ロッセムは、白髪のロングヘアに長いあご髭という特徴的な出で立ちでF1パドックに度々姿を現した。それは従来のF1チーム代表とは一線を画す風貌だったが、彼は複数の投資家を確保することに成功し、チームに資金をもたらした。
その甲斐あってか、オニクスは時折高いパフォーマンスを見せつけることになる。開幕から3レースは2台揃って予備予選落ちとなったが、第7戦フランスGPでは2台揃って決勝に進出したばかりか、ガショーが11番グリッド、ヨハンソンが13番グリッドを獲得。決勝ではヨハンソンが5位入賞を果たした。そして第13戦ポルトガルGPでは、上位陣が多くリタイアしたとはいえ、ヨハンソンがゲルハルト・ベルガー(フェラーリ)、アラン・プロスト(マクラーレン)に次ぐ殊勲の3位表彰台を獲得した。
新規参入チームながら、初年度に6ポイントを獲得したオニクス。しかしながらバン・ロッセムはF1チームにかかる莫大な運営コストに幻滅しかけていた。翌1990年シーズンに向けたポルシェとのエンジン供給交渉も低調に終わっていた。
そしてついに、バン・ロッセムは1989年シーズンのみでチームを離脱。さらに彼は、マネートロンの実態が出資金詐欺にあたるとして逮捕されてしまった。噂されていた秘密のドアは、掃除用具入れの扉に過ぎなかったのだ。
オニクスはスイスの自動車メーカー『モンテベルディ』の創始者、ペーター・モンテベルディが買い取ることによって1990年シーズンも参戦を継続したが、チームの経営状況は上向かず、シーズン途中で撤退した。
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