一度もグリッドにつかずに撤退した幻のF1チーム『マスターカード・ローラ』
1997年F1開幕戦オーストラリアGPにやってきた“マスターカード・ローラ”は、決勝のグリッドにつくこともできずにそのまま撤退した。そんな彼らのF1挑戦を振り返る。
Vincenzo Sospiri, Lola T97/30 Ford
Sutton Images
レーシングカーコンストラクターとして知られるローラは、モータースポーツ界において多くの功績を残してきたが、彼らの唯一の“汚点”とも言えるのが1997年のF1挑戦だった。
ローラがF1参戦に向けて用意してきたパッケージは、十分妥当なものに思われた。シャシーはもちろん自社製のローラT97/30、エンジンはフォードZetec-R V8エンジン、そして何よりもクレジットカードのブランドで知られるマスターカードからの大規模な支援があった。しかし彼らは、最終的に一度もF1レースに出走することなく消滅した。
このプロジェクトが発足するきっかけとなったのは、マスターカードが会員向けの“F1クラブ”なるものを立ち上げようとしたことだった。マスターカードはこのF1クラブからローラに資金を提供する予定だった。
ローラのF1プロジェクトは当初の計画よりも1年前倒しされ、急ピッチで進められていた。なぜならイギリスに拠点を置くメガバンクであり、マスターカードのライバルとも言えるHSBCが、新規参入チームのスチュワートとタッグを組んで1997年のF1に参戦するからだ。
スチュワートが十分な準備期間とフォードの長期的なサポート体制の下で船出した一方で、ローラは風洞テストを行なう時間すらない中でなんとかマシンを完成させ、ヴィンチェンツォ・ソスピリとリカルド・ロセットというふたりのドライバーと契約した。
Vincenzo Sospiri, Lola T97/30 Ford
Photo by: Sutton Images
エンジン開発に携わったアル・メリングは、てっきり自社製の“ローラV10エンジン”を開発してそれを搭載することになると思っていたが、最終的にはフォードV8を搭載することとなった。しかしインディカーをベースとしたローラのシャシーは、フォードV8エンジンを想定して作られていなかった。
またそのフォードエンジンは、1996年限りで消滅したフォルティチームから譲り受けたものだった。これはお世辞にも信頼性が高いと言えるものではなく、直線テストでも問題が発生するほどの代物だった。
■突貫工事で迎えた初のF1レースは悲惨な結果に……
Vincenzo Sospiri, Lola T97/30 Ford
Photo by: Sutton Images
Ricardo Rosset and Vincenzo Sospiri, Lola
Photo by: Sutton Images
そんな中で迎えた開幕戦オーストラリアGP。2台のローラT97/30はアルバートパーク・サーキットにやってきて予選を走ったが、ポールポジションのジャック・ビルヌーブ(ウイリアムズ)が記録した1分29秒369というタイムに対し、ソスピリは1分40秒972、ロセットは1分42秒086。共に107%ルールによって予選落ちとなった。
皮肉なことに、ローラ・カーズ創設者のエリック・ブロードレイはロンドンでの発表会の際にこう語っていた。
「107%ルールは正直かなり緩いルールだ。それをクリアできないなら、我々は参戦すべきではない」
また1995年の国際F3000チャンピオンのソスピリは、何故か予選落ちをビルヌーブのせいにしたのであった……。
「彼(ビルヌーブ)があんなに素晴らしいラップを叩き出していなかったら、僕は予選を通過していただろう」
そう語ったソスピリ。確かにビルヌーブは、2番手のハインツ-ハラルド・フレンツェン(ウイリアムズ)に1.7秒もの差をつける驚速タイムをマークしたため、ペドロ・ディニス(アロウズ)もその煽りを食って107%ルールに引っかかってしまった。ただソスピリのタイムはフレンツェンからも10秒近く遅く、予選落ちは免れなかったはずだ。なお、ディニスはフリー走行でのタイムが考慮された結果、決勝出走を許されている。
「とにかくリカルドは僕よりも1.5秒も遅かったんだ」とソスピリは肩をすくめた。
「あのマシンはドライブするのに最適なマシンではなかった。シルバーストンで12周テストしただけ。たったそれだけなんだ。エアログリップが不足していて、コーナーでマシンをコントロールするのはかなり難しかった。ストレートですらマシンがふらつくんだ!」
一方でロセットは以前、当時の経験を次のように語っていた。
「思っていた通り、かなり厳しかった。問題だらけだったんだ」
「ダウンフォースが少なくて、ドラッグ(空気抵抗)がかなり大きかった。中でも一番の問題は、セットアップのベースとなるものがないことだった。だから推測でセッティングをするしかなかったし、それが間違っていた時は少しパニックになった」
■突然発表されたF1撤退。決勝出走は一度も叶わず
Ricardo Rosset, Mastercard Lola with his team mate Vincenzo Sospiri, Mastercard Lola
Photo by: Sutton Images
Vincenzo Sospiri, Lola T97/30 Ford
Photo by: Motorsport Images
Ricardo Rosset, Lola T97/30 Ford
Photo by: Motorsport Images
Ricardo Rosset, Lola
Photo by: Sutton Images
最終的にローラが第2戦ブラジルGPを走ることはなかった。マシンに競争力がなかっただけでなく、参戦資金もなかったのだ。実際、このプロジェクトによってローラは600万ポンド(約8億円)の借金を背負い、チームは管財人の管理下に置かれた。
ソスピリ曰く、チームの撤退を知ったのはブラジルに到着してからだったという。
「実はチームが撤退することは、(ブラジルGP前の)木曜日の朝にブラジルで新聞を読んで知ったんだ」
「紙面に“ローラ撤退”と書いてあったから『何が起きてるんだ?』と思いリカルドに電話したんだ(写真右)。そうしたら彼は『本当だ』と」
「彼はもうトラックにいて、もうじき(ピットに)入れなくなると教えてくれた。だからヘルメットなど僕の持ち物は彼に取っておいてもらったんだ」
「そして僕がトラックに着いた時には、立ち入り禁止になっていた。この瞬間全てが終わったんだ」
The Lola Mastercard Team withdrew their cars from the race
Photo by: Sutton Images
ベネトン、リジェ、シムテックでテストの経験があったソスピリだが、結局一度もF1のグリッドにつくことなく、F1ドライバーとしてのキャリアを終えることとなった。
「(ローラとの契約は)とても良いものに思えたんだ」
そうソスピリは当時を振り返る。
「僕はベネトンのテストドライバーとしての役割を終え、(ローラと)複数年契約を結んだ。彼らは次の年から自社製のエンジンを積む計画があったけど、その予算がなかったんだ」
「彼らの言っていたことは全て真実ではなかった。F1では(ローラの撤退のように)何か起きる時は一瞬だ」
ソスピリはアメリカのインディカーなどでレースをした後、ヘルメットを脱いだ。その後はチーム経営、ドライバーのマネジメントの分野で成功を収めた。
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