【フォトギャラリー】ホンダF1、チャンピオン獲得の歴史。第2期の黄金時代、第4期最後の”奇跡”
2021年シーズン限りで、パワーユニット・マニュファクチャラーとして参戦した、第4期F1活動を終了したホンダ。F1でチャンピオンを獲得したホンダの歴史を振り返る。
写真:: Glenn Dunbar / Motorsport Images
ドライバー:ナイジェル・マンセル、ネルソン・ピケ
勝利数:9勝(マンセル5勝/ピケ4勝)
コンストラクターズ:チャンピオン
1983年にエンジンサプライヤーとして第2期F1活動をスタートしたホンダ。同年の最終戦からウイリアムズへのエンジン供給を開始した。
1984年にケケ・ロズベルグが第2期活動最初の勝利をアメリカGPでもたらすと、翌1985年はナイジェル・マンセルとロズベルグが4勝をマーク。少しずつ競争力を高めていった。
そして1986年、ウイリアムズ初の完全なカーボンモノコックシャシーを備えたFW11は、全16戦のうち9勝をマーク。コンストラクターズタイトルを勝ち獲った。だがドライバーズタイトルは、最終戦までもつれる激しい戦いの末、マクラーレンのアラン・プロストが獲得している。
ドライバー:ナイジェル・マンセル、ネルソン・ピケ(チャンピオン)、リカルド・パトレーゼ(最終戦のみ)
勝利数:9勝(マンセル6勝/ピケ3勝)
コンストラクターズ:チャンピオン
前年マシンFW11の発展改良型となるFW11Bは、一見してほとんど同じようなマシンに見えるが、モノコックの形状が変更されるなど大幅な改良が加えられている。一部レースでは簡易的なアクティブサスペンションも搭載。イタリアGPではピケが、アクティブサスを使って勝利している。
ホンダとしては、ターボ過給圧を抑えるために導入されたポップ・オフ・バルブにうまく対応。吸気温度コントロールシステムを導入して最適化を行なった結果、予選で1000馬力オーバーという途轍もないパワーを絞り出した。
シーズン序盤はプロストや、同じくホンダのエンジンを積むロータスのアイルトン・セナを相手にやや苦しむも、シーズン中盤からは勝利を積み重ね16戦9勝、12ポールポジション獲得という圧倒的なパフォーマンスで、早々にコンストラクターズタイトル連覇を決めた。
ドライバーズタイトルは、マンセルが予選でクラッシュ。決勝レースを欠場したため、ピケが獲得した。ホンダにとっては念願のダブルタイトル獲得となった。
ドライバー:アラン・プロスト、アイルトン・セナ(チャンピオン)
勝利数:15勝(プロスト7勝/セナ8勝)
コンストラクターズ:チャンピオン
言わずとしれた、マルボロカラーの伝説的なマシンだ。
エンジンの供給先をマクラーレンとロータスに変更したホンダ。この年は、激しい開発競争が繰り広げられていたターボエンジンの最終年。89年から、FIAはエンジンを3.5リッターのNA(自然吸気)にすると決めたのだ。
同時に、ターボエンジンに対する規制は前年よりも厳しくなり、過給圧が4バールから2.5バールに、さらに燃料制限も195リットルから150リットルへと変更された。それでも、ホンダは低燃費ハイパフォーマンス技術を駆使し、ターボエンジンを締め出すかのようなレギュレーションを味方につけた。
マクラーレンもそれまでのコンセプトを一新し、ドラッグが少なく空力効率の良いシャシーを開発。全16戦中、15勝もの勝ち星を積み重ねた。獲得総ポイントではプロストが105ポイント、セナが94ポイントだったが、有効ポイント制によりベスト11戦の成績で上回ったセナが、自身初のドライバーズタイトルを獲得した。
ドライバー:アラン・プロスト(チャンピオン)、アイルトン・セナ
勝利数:10勝(プロスト4勝/セナ6勝)
コンストラクターズ:チャンピオン
エンジン規定が3.5リッター自然吸気(NA)エンジンに大幅に変更されても、ホンダは最強エンジンの座を譲らなかった。その重量こそ若干のネックだったものの、フェラーリやルノーといったライバルよりも強力なエンジンパワーを発揮した。
MP4/5は比較的、技術的なトライが少ないシャシーだったが、エンジンパワーを活かせるクルマ作りで10勝をマーク。先代MP4/4と比べると目立たないが、F1の歴史に残る名車なのは間違いない。
この年も、セナとプロストは激しく王座を争ったが、第2戦サンマリノGPでの紳士協定をきっかけに、ふたりの確執が表面化。ガレージの両サイドで別々のチームのような状態となった。
当時は16戦中11戦の有効ポイント制。セナ6勝、プロスト4勝ながら安定感で上回ったプロストが優位な状態で迎えた日本GPで、決定的な事件が起きてしまった。
プロストのインを狙って、シケインで飛び込んだセナ。ふたりとも譲らず、2台のMP4/5がもつれるようにコースオフしてしまった。プロストはここでリタイア。セナは走行再開し、トップチェッカーを受けたが後に失格処分を下されるという物議を醸す形で、プロストの戴冠が決まった。
ドライバー:アイルトン・セナ(チャンピオン)、ゲルハルト・ベルガー
勝利数:セナ6勝
コンストラクターズ:チャンピオン
90年型のホンダV10エンジンは燃焼の安定化が図られ、さらなるパワーアップ。シーズンを通じてバージョン6まで用意されるなど、徹底的に性能と信頼性が追求された。
シャシー面では、最大の特徴とも言える巨大な『バットマン・ディフューザー』を備えるなど、主に空力面の改良に力が入れられた。ただ基本コンセプトは変わっておらず、バランスの悪さは拭えなかった。シーズン途中でディフューザー自体がコンベンショナルなデザインに戻されている。
この年も、タイトル争いの主役は6勝を記録したセナと、フェラーリに移籍し5勝したプロストだった。そして、この年も鈴鹿でふたりの戦いは決した。スタート直後の1コーナーで2台が接触。リタイアに終わったことで、セナが2度目のチャンピオンを獲得した。
ドライバー:アイルトン・セナ(チャンピオン)、ゲルハルト・ベルガー
勝利数:8勝(セナ7勝/ベルガー1勝)
コンストラクターズ:チャンピオン
ホンダはこの年、V12エンジンを導入した。重量はV10エンジンよりも軽く、馬力も向上。理想的なパワーバンドを実現するため、可変吸気システムが採り入れられたこのエンジンは、まさにホンダにとって、エンジン屋の理想を追求したエンジンだった。
一方で、すでにマクラーレンのシャシーは時代に取り残されたといってもいいほど、他チームに後れを取っていた。フロントサスペンションをプッシュロッド式に変更し、シャシー剛性と空力向上が図られるなど進歩はしていたが……
セナは開幕戦から4連勝を挙げたが、ウイリアムズFW14が信頼性不足から立ち直ると、全く太刀打ちできなくなってしまった。しかし、シーズン中盤に軽量シャシーや特殊燃料、エンジンのアップデートを行なったマクラーレン・ホンダは、流れを引き戻した。
日本GP前に投入された新型シャシーを武器に、セナとベルガーが鈴鹿を完全に支配。セナ自身3度目のチャンピオン、チームとしては4年連続のダブルタイトルを鈴鹿で決めた。
しかし、この年からアクティブサスペンションの準備を進めていたウイリアムズが翌92年をFW14Bで支配。ホンダは1992年限りで第2期F1活動を終了した。
ドライバー:マックス・フェルスタッペン(チャンピオン)、セルジオ・ペレス
勝利数:11勝(フェルスタッペン10勝/ペレス1勝)
コンストラクターズ:2位
パワーユニット(PU)マニュファクチャラーとして、2015年から第4期のF1活動を開始したホンダ。当初はマクラーレンとタッグを組み、黄金時代の再現を目指したが苦戦が続き、2017年に袂を分かつこととなった。
その後ホンダは、トロロッソ(後のアルファタウリ)にPUを供給、2019年からはレッドブルも加えた2台体制で徐々に競争力を高めていった。しかしホンダは2010年10月に、2021年限りでのF1活動終了を決定した。
そんなホンダ”ラストイヤー”を戦ったレッドブルの『RB16B』は、ホンダが計画を前倒しして導入した新骨格PUを搭載。2014年から7年連続でダブルタイトルを獲得したメルセデスと、互角の戦いを展開した。
マックス・フェルスタッペン(レッドブル)がルイス・ハミルトンと同ポイントで並んで迎えた最終戦アブダビGP。フェルスタッペンは終盤までハミルトンに先行を許したが、セーフティカーを味方に最終周で逆転しトップチェッカー。誰にも予想できない劇的な展開で、ホンダに1991年のセナ以来となるドライバーズチャンピオンをもたらした。
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