驚きの番狂わせ優勝6:首位を次々と魔物が襲う……カオスなレースをハーバートが制す
F1の長い歴史の中には、番狂わせレースというのがいくつかある。1999年のヨーロッパGPは、首位を走行するマシンが次々と脱落する大波乱のレースとなった。中堅チームのスチュワートを駆るベテラン、ジョニー・ハーバートがトップチェッカーを受けようとは、誰も予想していなかった。
写真:: Sutton Images
モータースポーツでは、波乱がよく起きるサーキットを『“魔物”が棲むサーキット』と表現することがある。かつては森の中の疾走するコースレイアウトだったホッケンハイム、日本ではスポーツランドSUGOあたりが有名だろうか。しかし、1999年にニュルブルクリンクで行なわれたF1ヨーロッパGPこそ、“魔物”の存在を感じずにはいられないレースだった。
第14戦ヨーロッパGPを迎え、1999年シーズンのF1のタイトル争いはいよいよ佳境に突入していた。マクラーレンのミカ・ハッキネンとフェラーリのエディ・アーバインが共に60点で並び同点首位。無限ホンダエンジンを搭載したジョーダンで2勝を挙げていたハインツ-ハラルド・フレンツェン(50点)と、同じく2勝のデビッド・クルサード(マクラーレン/48点)にも十分逆転タイトルのチャンスがあった。
そんな中、予選でポールポジションを獲得したのは、前戦イタリアGPを制して勢いに乗るフレンツェンだった。2番手にクルサード、3番手にハッキネンが続き、アーバインは9番手に沈んだ。
スタートライトの不具合でスタートが仕切り直しになるというちょっとしたハプニングもあったが、66周の決勝レースは無事始まり、フレンツェンが首位の座を守って1コーナーを抜けた。しかし、直後に中団グループに混乱があり、行き場を失ったアレクサンダー・ブルツ(ベネトン)がペドロ・ディニス(ザウバー)を跳ね飛ばしてしまった。ディニスのマシンは何度も回転して裏返しの状態で止まった上、ロールバーが完全に破壊されていたため安否が心配されたが、幸い彼に大きな怪我はなかった。
この事故を受けてセーフティカーが出動したものの、その後は比較的静かな展開が続いた。しかし、レースも折り返しとなった33周目から、波乱は始まっていくのであった……。
クルサードの追撃を抑えながらトップを守っていたフレンツェンが、クルサードとの同時ピットストップを終えた直後、コース上でストップしてしまったのだ。電気系統のトラブルだった。ハッキネンとアーバインが共に中団でくすぶっていたことを考えれば、フレンツェンはこのレースで勝てば一気にタイトル獲得が現実味を帯びてくるところだっただけに、悔しすぎるリタイアとなった。
Heinz Harald Frentzen, Jordan Mugen Honda 199 takes the pole
Photo by: Sutton Images
これで首位はクルサードに交代となった。そんな中、突然雨が降り始めた。それもコースの中間部分だけが大雨という非常に厄介な状況。無論足を取られてスピンするマシンが出始め、中にはこのタイミングでレインタイヤに交換するドライバーもいた。
そして38周目、あろうことかクルサードがコースオフしてタイヤバリアに突っ込んでしまった。濡れた路面の中、フォードカーブ手前でオーバースピードのままグラベルに入ってしまい、そこからは全くコントロールすることができなかった。こちらもフレンツェン同様、タイトル争いにおける大きな痛手となってしまった。
これでウイリアムズのラルフ・シューマッハーがトップとなったが、彼は直後にピットイン。雨が止んでいたこともあり、ドライ→ドライへのタイヤ交換を済ませてコースに復帰した。
代わって首位に立ったのはジャンカルロ・フィジケラ(ベネトン)。しかし彼にも悲劇が襲う。49周目にスピンし、マシンを止めてしまった。4年目の彼にとってF1初優勝の絶好のチャンスだっただけに、彼は自分のマシンが吊り上げられる中、自らの腕に顔を埋めてうなだれた。
そして再び先頭に立ったラルフだが、何か挙動がおかしい。交換したばかりの右リヤタイヤがバーストしてしまったのだ。ラルフはなんとか3輪でピットに戻り、タイヤを交換してコースに戻ったが、優勝戦線からは脱落。こちらも初優勝のチャンスを逃してしまった。
Ralf Schumacher, Williams FW21
Photo by: Sutton Images
首位のドライバーに次々と災難が起きる波乱の展開の中、50周目に5人目のラップリーダーとなったのが、スチュワートのジョニー・ハーバートだった。14番グリッドからスタートしたハーバートは上位陣が脱落していく中、適切なタイヤ選択とステディな走りで順位を上げていた。
波乱に終わりはなく、弱小ミナルディで4番手に浮上していたルカ・バドエルもトラブルでストップ。千載一遇のチャンスだっただけに、バドエルはマシンを降りてすぐ、人目をはばからずに号泣した。彼は2009年にフェラーリでF1復帰を果たすが、結果的に1度も入賞を果たせないままF1キャリアを終えた。
そしてハーバートは首位をがっちりキープしてそのままトップでチェッカー。自身にとっては1995年イタリアGP以来の3勝目、参戦3年目のスチュワートにとっては初めての勝利だった。2位はプロストのヤルノ・トゥルーリ、3位にはハーバートのチームメイトであるルーベンス・バリチェロが入り、表彰台を中堅チームの伏兵たちが占めた。
タイヤバーストで勝利を失ったラルフは4位でチェッカー。ハッキネンは5位に入り貴重な2ポイントを獲得し、6位にはミナルディのマルク・ジェネが入った。
3度のF1ワールドチャンピオンであるジャッキー・スチュワート率いるスチュワートチームにとって、これがF1での唯一の勝利となった。翌2000年にチームはジャガーに買収され、2005年からはそのジャガーチームがレッドブル・レーシングに生まれ変わった。その後のチームの活躍は周知の通りである。
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