【日本人F1ドライバーの系譜】美しきF1マシン:「最も悔しい、日本人の日本GP”4位”」B.A.R.ホンダ006
2021年、角田裕毅がF1デビューを果たすことになった。7年ぶりの日本人F1ドライバー誕生……しかし以前の日本人スターたちも、我々を興奮させてくれた。
2020年、FIA F2参戦初年度ながら、ランキング3位でシーズンを終えた角田裕毅。その活躍により、彼は2021年のアルファタウリ・ホンダのシートを手にし、F1デビューを果たすことになった。彼の活躍には、大きな期待が集まっている。
しかしこれまでの日本人F1ドライバーたちも、日本のF1ファンを興奮させ、魅了してきた。彼ら歴代の日本人F1ドライバーに関する記事をピックアップ。ここに再度掲載する……。
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2004年のF1グランプリを戦った1台のマシン、B.A.R.ホンダ006。このマシンもまた、実に美しいマシンである。
2004年のF1は、フェラーリが圧倒的な強さを見せたシーズンである。皇帝ミハエル・シューマッハーと、その最高の相棒ルーベンス・バリチェロ……このふたりのコンビで、全18戦中15勝。特にシューマッハーは、第13戦ハンガリーGPまで、モナコGPのリタイア以外はすべて優勝……完璧すぎる強さを見せてダブルタイトルを獲得した。
このフェラーリに次ぐ速さを見せたのが、B.A.R.ホンダである。
B.A.R.は、ティレルを引き継ぐ形で1999年からF1に参戦。2000年からはF1復帰を果たしたホンダと組んだ。そして、徐々に戦闘力を向上させ、2004年を迎えた。
この年はシーズン開幕前のテストから速さを発揮。ジェンソン・バトンと佐藤琢磨のコンビで、優勝こそなかったものの11回の表彰台を獲得(バトン10回。佐藤1回)。フェラーリには大差をつけられたものの、ルノーやウイリアムズ、マクラーレンを抑えてコンストラクターズランキング2位を手にした。
日本人にとって印象深いのは、やはり佐藤琢磨の活躍だろう。不運なトラブルが相次いだためにリタイアが多く、結果的にはバトンに差をつけられた格好だ。しかしヨーロッパGPではフロントロウ2番手を獲得したり、アメリカGPでは自身初の3位表彰台(日本人として二人目の表彰台)……最速のフェラーリにも、果敢に挑んでいったシーンが多々あった。
日本からの期待も日に日に高まり、迎えた日本GP。台風の影響により、土曜日の走行が全てキャンセルされるという異例のグランプリとなったが、それでも決勝日の鈴鹿サーキットには、15万6000人と当時としては最多の観客が訪れた(2006年の16万1000人が史上最多)。そしてその誰もが、佐藤が表彰台に上るのを確信、勝利だってあるのでは……との期待を胸にスタート時刻を迎えた。
実は表彰台を期待していたのは、ファンだけではなかった。当の佐藤琢磨も、「表彰台は確実」だと思っていたという。しかしスタートで、戦略が異なるチームメイトのジェンソン・バトンに先行されてしまい、自身の戦略を活かすことができなかった……その結果、4位でフィニッシュ。佐藤本人も、そして鈴鹿に詰めかけたファンも肩を落とした。
最も悔しい”日本人ドライバーの4位”だったと言えるだろう。
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