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ロス・ブラウンはまさに救世主だった……ジェンソン・バトンが語るホンダF1苦悩の2年間「彼が来て、雰囲気が変わったのを感じた」

ジェンソン・バトンは、2007年末にロス・ブラウンがチーム代表に就任したことで、チームの雰囲気がガラリと変わったと明かした。

Jenson Button, Honda RA107

Jenson Button, Honda RA107

写真:: Edd Hartley / Motorsport Images

 ジェンソン・バトンは、F1のポッドキャスト『Beyond The Grid』に登場した際、ホンダF1に所属していた2007年〜2008年の頃を振り返り、ロス・ブラウンが加入したことがいかに大きかったかを語った。

 ホンダはBARを買収する形で、2006年からF1にフルワークス参戦。同年のハンガリーGPではバトンの手によって優勝を遂げ、その後更なる上昇気流に乗っていくものと見られた。

 しかし2007年、ホンダF1は大いに苦しんだ。”アースカラー”としても知られるRA107は、2020年代には主流となったダウンウォッシュに似たコンセプトをいち早く取り入れた意欲的なマシンだったが、そのコントロールがうまくいかずにパフォーマンスは低迷。バトンは入賞わずか3回のみ、チームメイトのルーベンス・バリチェロに至っては、一度も入賞できないままシーズンを終えた。

 バトンはこの2007年シーズンを「まさに惨事だった」と表現した。

「2007年には大きな期待を抱いていたのに、結果は惨憺たるものだった」

 そうバトンは語った。

「本当にそうだったんだ。ホンダのジュニアチームであるスーパーアグリは、2006年に僕らが走らせたマシンを使っていた。それで、僕らを圧倒したんだ。あのマシンでは1勝を挙げたのに、僕らは入賞圏内にも入れないマシンで走っていたんだ」

 しかし年末、ロス・ブラウンがチーム代表としてホンダF1に加わったことで、大きな変化がもたらされたという。ブラウンはそれ以前にベネトンやフェラーリで活躍。この2チームでミハエル・シューマッハーらと組み、大成功を収めた。

 その手腕が、ホンダでも活きたという。

「あの年は厳しかった。でも、2007年末にロスがチームにやってきた時、状況は好転した。『ああ、これは良くなるぞ』という瞬間だったんだ」

 そうバトンは語った。

「そしてチームの雰囲気が変わったのも感じられた。レースで優勝したチームが、2007年に突然ひどく落ち込んでしまい、そこから抜け出すには起爆剤が必要だったんだ」

 ブラウンはホンダF1にどんなものをもたらしたのか? そう尋ねられたバトンは、こう語った。

「まず第一に、彼の存在そのもので十分だったと思う。彼が部屋に入ってきただけで十分だった。まるで朝礼みたいだったのを覚えている。ファクトリーの全員が同じ部屋に集まった。それまで、ロスがやってくることは誰にも知らされなかったんだ。そして、その時初めて発表された」

「彼は中央の通路を歩いてきて、一番前に立っていた。まるで救世主のようだった。2007年の大惨敗から、我々を救ってくれる人物がやってきたんだ」

「彼の存在そのものも大きなきっかけだったが、それだけじゃなかった。彼のリーダーシップ、チームがどう協力し合うべきかという理解……チーム内にあった責任転嫁の文化をなくし、メンバーがもっと自由に、そして斬新なアイデアを出せるようにしたんだ」

「時にはうまくいかないこともあるけど、リスクを取らなければ決して成功は掴めない。ロスがいた頃は、本当に良い雰囲気だった」

 2008年のホンダも、バリチェロがイギリスGPで3位に入ったことはあったものの、基本的には戦闘力は低迷したままであった。しかし裏では、飛躍のための準備が進められていた。

 ただリーマンショックの影響もあり、ホンダは2008年シーズン終了後に、同シーズン限りでF1を撤退することを突如発表。ホンダF1チームの面々は帰路に立たされた。

 しかしブラウンがチームを引き継ぎ、メルセデスからのエンジン供給を取り付けて、2009年に新生”ブラウンGP”として参戦。RA109として準備されていたマシンは、ブラウンGP BGP001として日の目を見ることになった。

 そしてそのBGP001は、2009年シーズンが開幕すると連戦連勝。ジェンソン・バトンがドライバーズタイトルを獲得し、チームもコンストラクターズチャンピオンを獲得した。

 そしてそのブラウンGPを買収したのがメルセデスで、それが今のメルセデスまで連綿と続いている。

 参戦僅か1シーズン限りでF1チャンピオンに輝いたのは、後にも先にもこのブラウンGP以外には存在しない。

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