特集

急遽延期となった“もうひとつ”のF1レース:1985年ベルギーGP

セッション開始直前で中止となった2020年のF1オーストラリアGPだが、F1の歴史では過去に一度だけ、決勝を前に急遽開催を延期したレースがあった……。

Marshals attend to the track as it keeps breaking up

Marshals attend to the track as it keeps breaking up

Ercole Colombo

 2020年のF1開幕戦オーストラリアGPは、パドック内で新型コロナウイルス感染者が確認されたことを受け、フリー走行1回目開始直前にキャンセルとなった。1950年から始まったF1世界選手権の歴史上、全チームが1周もせずにサーキットを去ったのは初めてのことだった。 

 ただし過去に一度だけ、サーキットに関係者が集まりながらも急遽決勝レースが開催されず、延期となった事例がある。1985年のベルギーGPだ。しかしこのレースは、2020年オーストラリアGPとは決定的な違いがある。それは、土曜日の予選まで通常通りセッションが行なわれていたということだ。

 ではなぜ、1985年のベルギーGPは決勝を前にして延期となったのか? それは、舞台であるスパ・フランコルシャンの再舗装したばかりの路面が、マシンが走行したことによって剥がれてしまい、決勝レースを開催できる状態ではなくなったからだ。最終的に路面は再び補修され、レースは3ヵ月後に滞りなく実施された。

 1950年から1970年までスパ・フランコルシャンで開催されていたF1ベルギーGPは、その後ゾルダーへと舞台を移していたが、1983年にはスパが大幅にコースレイアウトを短縮する形で復活。1年ゾルダーでのレースを挟み、1985年には再びスパが舞台となり、6月2日決勝でF1開催スケジュールに組み込まれた。

 1983年に現在に近いコースレイアウトとなったスパだが、バスストップシケインにわずかなバンプがあることを除けば、関係者からの評判は概ね好評だった。そして改修後2度目の開催となる1985年のベルギーGPに向けてオーガナイザーたちは、レインコンディションでのグリップを向上させるべく、新素材を用いてトラックを再舗装することを決定した。

 当時のF1の運営団体であるFISAは、トラックの再舗装に時間がかかることを十分認識していた。1984年当時のレギュレーションでは、イベント開催まで60日を切った場合はいかなる作業も行なえないことになっていたが、FISA側はそのルールが守られるだろうと考えていた。

■なんとか完了した路面再舗装。しかし……

The race was cancelled after practice when the newly-laid track broke up due to the heat

The race was cancelled after practice when the newly-laid track broke up due to the heat

Photo by: Motorsport Images

 しかし、作業は思いがけず遅延していくこととなる。まず作業に取り掛かる前に煩雑な諸手続きに苦労し、それからは4月いっぱいまで雪が降るという厳冬に苦しめられた。

 こうして作業は5月まで続き、レースウィークエンドがどんどん近付いていく。レース前のF1テストセッションがキャンセルされた時、主催者側はその理由をトラックの“修正”だとしたが、FISAはまさか再舗装が完了していないなど露ほども思っていなかった。

 最終的にこれらの作業はベルギーGPの週末がスタートする10日前に完了したとされている。FISAのトラック検査官であるデレック・オンガロは、レースウィークエンドにスパに到着するまで、これらの進捗を一切知らなかった。

 仮にこの週末に雨が降っていたら、オーガナイザーは水はけが良くグリップのある路面にしたことを称賛されていたかもしれない。しかしながら、ベルギーGPの週末は快晴となった。

 加えて、1985年当時のF1はターボ全盛時代。ハイパワーなエンジンとハイグリップなタイヤを備えたマシンがトラックを疾走する……路面には必然的に大きな負荷がかかった。

 最初のセッションでのラップタイムは驚異的なものだった。フェラーリのミケーレ・アルボレートが金曜日にマークしたトップタイムは、2年前にアラン・プロストが記録したポールタイムより約8秒も速かったのだ。新しい路面はそれほどに高いグリップを誇っていた。

 結果的に高い気温とパワフルなマシンは路面を傷付け、金曜日のセッション終了時には3つのコーナーの路面に問題があることが発覚した。

 ダラス市街地コースの荒れた路面によって多くのマシンがクラッシュした前年のアメリカGPは、まだ人々の記憶に新しかった。そしてダラスよりも圧倒的にハイスピードなスパにおいては、さらに状況は深刻であった。路面から剥がれた石によってネルソン・ピケのヘルメットはバイザーにヒビが入り、ナイジェル・マンセルのタイヤはパンクした。

 当時ブラバムチームを運営していたバーニー・エクレストンはベルギーGPのプロモーターも務めており、ベルギーGPは“彼のレース”のひとつだった。再舗装に関する運営責任がエクレストンにないにしても、彼にとってこの問題は頭痛の種となった。

 緊急の修復作業は金曜日に夜通し行なわれ、ダメージの兆候がなかったコーナーも含めていくつかのコーナーが修復された。

■土曜日に緊急会議「このトラックではF1マシンは走れない」

Ayrton Senna, Lotus 97T Renault

Ayrton Senna, Lotus 97T Renault

Photo by: Motorsport Images

 そして土曜日を迎え、午前のプラクティスセッションが行なわれたが、ドライバーたちは皆走る意味がないことに気付き、開始25分でサーキットは静まり返ってしまった。その時点でのトップタイムはロータスのエリオ・デ・アンジェリスだったが、そのタイムが前日のベストタイムから23秒も遅いものだったことからも、ドライバーたちが真剣に走行をしていなかったことが容易にうかがえる。彼らは皆、このコンディションで走行することは不可能だという見解で一致したため、ここから一連の会議が始まっていくこととなる。

 その会議の中で挙がったのは、F1の予選やF3000のレースなど土曜日の走行セッションを全てキャンセルし、日曜日のウォームアップ走行も取り止めてそのままレースを開催する、という案だった。

 しかし16時40分、何者かがルノー・アルピーヌによるサポートレースのドライバーたちに練習走行を許可してしまう。その後、何人かのF1ドライバーたちはトラックの状況を確認するためにコースへと向かった。

 そして17時50分には、観客らに日曜日の走行が予定通り行なわれるとアナウンスされた。しかしながら、話し合いは水面下で進んでいた。

 F1の“OB”としてそのレースを見ていたジャッキー・スチュワートは、当時のことと2020年のオーストラリアGPとを重ね合わせながら、次のように語った。

「誰かがイエスかノーか、決断を下す勇気を持っていなければならない」

「(1985年ベルギーGPの場合)それはFISAの誰かでなければいけなかった。ドライバーにそういった決断をさせてはいけない。というよりも不可能だ」

 話をスパでの出来事に戻そう。F1関係者による話し合いが続く中、土曜の午後に予定されていたF3000のレースは時間通りにスタートしなかった。しかしF3000の選手、関係者たちは、エクレストンがサポートレース用パドックにチーム代表を集めて話をするまで、何が起こっているのかほとんど分かっていなかった。

 エクレストンはF3000のチーム代表たちに、F3000レースを日曜日に行ないたいと話した。仮にF1が開催されなかった場合、F3000がこの週末のメインイベントになるからだ。テレビに取り上げられることが約束されていたため、彼らはこのまま様子を見ることに賛成した。ただ土曜の夜に家路につく予定だった彼らは、もう一泊する場所を探さなければいけなかった。

 F1パドックの関係者による話し合いが続けられ、ドライバー代表としてマクラーレンのニキ・ラウダが出席した。そして19時30分、ついにF1レースが行なわれないことが決定した。その後FISAのレーススチュワードから公式声明が出され、このトラックは「F1マシンには不向き」であることから「安全上の理由で」レースが延期されることが発表された。

■前代未聞の珍事が教訓に

Bernie Ecclestone and Alain Prost in coversation at the drivers meeting

Bernie Ecclestone and Alain Prost in coversation at the drivers meeting

Photo by: Motorsport Images

 これは大きな決断であった。それまでにもF1は何度も安全上の懸念や政治的な闘争によって、開催が危ぶまれてきた。しかし最終的にはドライバーたちはグリッドにつき、レースをしていたのだ。

 これにより、スパに残り続けた観客にとって、日曜のメインイベントはF3000レースとなった。急遽補修されたトラックでは、12時30分からウォームアップ走行が行なわれたが、F3000のドライバーたちはまるでウエット路面を走っているかのように感じたという。そんな中でもレースは行なわれ、多くのマシンがスピンアウトする中でマイク・サックウェルが勝利を収めた。なお、前述のルノー・アルピーヌのレースも実施された。

 FISA会長のジャン-マリー・バレストルは現地にはいなかったものの、電話で連絡を取り続けており、無論活発に動いていた。バレストルはベルギーGPのオーガナイザーたちに「重大な過失について説明させる」ために、6月24日にパリで行なわれたFISA理事会に召喚した。その中で彼は、オーガナイザーの対応が「非常に重い制裁の対象となる」と述べた。

 最終的に主催者側が「F1世界選手権の名誉を毀損した」として請求された金額は、たったの1万ドル。当時の価値で約250万円だ。それに加えて10万ドル(約2500万円)の保証金も要求されたが、これはレースがリスケジュールされた場合には返金されるものだった。

 一方でエクレストンは、延期されたレースの開催日程を調整しなければいけなかった。1985年のF1レースカレンダーは、2020年ほどではないもののかなり流動的であった。当初ローマとニューヨークでレース開催が計画されていたが御破算となり、急遽ブランズハッチでのヨーロッパGPが終盤戦に組み込まれていた。

 結局ベルギーGPは、ヨーロッパGPの1週間前である9月15日に行なわれることとなったが、6週で5レース開催という過密日程にチームが反対したことで、ブランズハッチ戦は10月に移動となった。

 スパの路面は9月までに再再舗装された。F1ベルギーGPの前には、9月1日にWECの1000kmレースが開催されている(ステファン・ベロフが亡くなる悲しい事故が起こったレースだ)。

 そして9月にスパに戻ってきた1985年のF1ベルギーGPは、3日間のスケジュールで滞りなく行なわれ、雨のレースでロータスのアイルトン・セナがキャリア2勝目を飾った。

 あれから35年、スパはこの年の経験を教訓とし、レース開催地として高い評判を得た。F1グランプリにおいて同じ過ちを二度と起こさないためにも、運営組織はトラックの調査と承認を適切な手順をもって行なわなければならない。

 

Read Also:

The race was cancelled after practice

The race was cancelled after practice

Photo by: Motorsport Images

Be part of Motorsport community

Join the conversation
前の記事 事件は表彰台裏の控え室で起きていた! F1クールダウンルーム名場面集
次の記事 ガスリー、ホンダを信頼「トップレベルに返り咲くことを、疑ったことはない」

Top Comments

コメントはまだありません。 最初のコメントを投稿しませんか?

最新ニュース

ホンダのeVTOLには、F1由来の技術が満載! 地上最速のマシンで培われた技術が空を飛ぶ

ホンダのeVTOLには、F1由来の技術が満載! 地上最速のマシンで培われた技術が空を飛ぶ

F1 F1
ホンダのeVTOLには、F1由来の技術が満載! 地上最速のマシンで培われた技術が空を飛ぶ ホンダのeVTOLには、F1由来の技術が満載! 地上最速のマシンで培われた技術が空を飛ぶ
熾烈な入賞争い、下位5チームに必要なのは“奇策”。サウジでブロック作戦成功のハースF1ヒュルケンベルグ「常識を超えなければ」

熾烈な入賞争い、下位5チームに必要なのは“奇策”。サウジでブロック作戦成功のハースF1ヒュルケンベルグ「常識を超えなければ」

F1 F1
熾烈な入賞争い、下位5チームに必要なのは“奇策”。サウジでブロック作戦成功のハースF1ヒュルケンベルグ「常識を超えなければ」 熾烈な入賞争い、下位5チームに必要なのは“奇策”。サウジでブロック作戦成功のハースF1ヒュルケンベルグ「常識を超えなければ」
岩佐歩夢が、SF開幕戦で無線交信に英語を使っていた理由「日本語での交信に違和感」 レポートも日本語と英語が混在……まるで”ルー”?

岩佐歩夢が、SF開幕戦で無線交信に英語を使っていた理由「日本語での交信に違和感」 レポートも日本語と英語が混在……まるで”ルー”?

SF スーパーフォーミュラ
第1戦:鈴鹿
岩佐歩夢が、SF開幕戦で無線交信に英語を使っていた理由「日本語での交信に違和感」 レポートも日本語と英語が混在……まるで”ルー”? 岩佐歩夢が、SF開幕戦で無線交信に英語を使っていた理由「日本語での交信に違和感」 レポートも日本語と英語が混在……まるで”ルー”?
レッドブルの今季マシンRB20、次世代2026年見据えた「大勝負」だったとチーフエンジニア

レッドブルの今季マシンRB20、次世代2026年見据えた「大勝負」だったとチーフエンジニア

F1 F1
レッドブルの今季マシンRB20、次世代2026年見据えた「大勝負」だったとチーフエンジニア レッドブルの今季マシンRB20、次世代2026年見据えた「大勝負」だったとチーフエンジニア

Sign up for free

  • Get quick access to your favorite articles

  • Manage alerts on breaking news and favorite drivers

  • Make your voice heard with article commenting.

Motorsport prime

Discover premium content
登録

エディション

日本