【MotoGPキーパーソン】上田昇と組み日本ファンにもおなじみ、ルーチョ・チェッキネロ。LCR代表の日本人的”まめさ”が光る

2022年現在、日本人ファンからは中上貴晶の所属するLCRホンダのチーム代表として知られているだろう、ルーチョ・チェッキネロ。かつては自身もライダーとして上田昇と共にグランプリで競い合った人物の、チームボスとしての素顔や姿に迫った。【もっと知りたいMotoGPキーパーソン】連載第4回。

【MotoGPキーパーソン】上田昇と組み日本ファンにもおなじみ、ルーチョ・チェッキネロ。LCR代表の日本人的”まめさ”が光る
Listen to this article

 MotoGPファンであっても、ライダー以外についてはあまり知らない人も多い……motorsport.comではMotoGPパドックのスタッフ達がどんな人物なのか、そこにスポットライトを当てることにした。

Read Also:

 【もっと知りたいMotoGPキーパーソン】連載第4回は、2022年現在、Team LCRのオーナー/代表を務めるルーチョ・チェッキネロだ。


 いつも忙しなく動き回っているか、誰かと打ち合わせをしているか、そうでなければ電話で話している、という印象がある。たとえば、何か聞きたいことがあってピットボックスやオフィスに彼を訪ねてみたときなどは、たいてい携帯電話を片手に誰かと話すか、そうでなければテキストメッセージを送信するかしている。近年では、ガレージの奥でPCを置いた机の前に座ってオンラインミーティングの最中、という場合もある。

 それくらい、スポンサーや関係者対応のきめが細かく連絡を絶やさない人物、というイメージが強い。この気配りと丁寧さは、彼が125ccクラスに参戦していた現役時代に、LCR(ルーチョ・チェッキネロ・レーシング)という自らの名前を冠したチームを立ち上げてプレイングマネージャーを務めていた時代から、おそらくずっとそうなのだろう。

 そしてこの人、ルーチョ・チェッキネロといえば、古株のファンなら上田昇との親交を思い浮かべる人も多いだろう。

 上田が4年目のシーズンを迎えた1994年に、チェッキネロ自身はグランプリ2年目で、ふたりはこの年にホンダ系のプライベートチームGivi Racingのチームメイトになった。チェッキネロは96年にLCRを結成し、そこへ上田が98年に合流する。小さな所帯でチェッキネロ自身がチームオーナーゆえに、スポンサーの営業活動からメーカーとの話し合いに至るまで、何もかも自分たちふたりで対応しなければならない。

現役時代のチェッキネロ(4),41番は宇井陽一

現役時代のチェッキネロ(4),41番は宇井陽一

Photo by: Gold and Goose / Motorsport Images

 そのため、この時期のふたりは、スポンサー獲得や営業活動等で、サーキット外でも常に行動をともにしていたようだ。後から思い出せばすべて笑い話、といった風情で「そういえば、スポンサー訪問であるホテルに泊まったときにルーチョが……」とか、「ノビーといえば、ふたりで一緒にチームをやってた時代にレンタカーを借りたときのことなんだけど……」と、様々なアクシデントや予想外のトラブルなどを、それぞれに面白おかしく開陳するのを何度か聞かせてもらったことがある。そんなエピソードの端々からも、彼らふたりの友情の篤さがしみじみとよく伝わってきた。

 気心の知れた友人同士のふたりだが、2001年シーズンに上田はLCRを離れて別のチームへ移る。

「ルーチョは勝てる体制を作りたかった。だから、アプリリア陣営になった。でも、オレはやっぱりホンダのバイクで走ることにこだわりたかった。それならば、別々の道を行くことにしよう、ということになった」

 親友のチームを離れた事情について、上田はそんなふうに説明をした。

 2002年のLCRは、チェッキネロ自身が125ccクラスに参戦し、新たに所帯を広げた250ccクラスではケーシー・ストーナーというオーストラリアの若手選手を抜擢した。その背景にはアルベルト・プーチの紹介と尽力があったことは、プーチの回に記したとおりだ。

 チェッキネロは2003年限りで現役から退き、以後はチームオーナーに専従。125ccと250ccクラスの参戦を経て、2006年からはMotoGPクラスにステップアップし、最高峰での活動に専念するようになった。

 この当時、ホンダ陣営にはいくつもの有力チームや古参チームがあり、新参のLCRはサテライト勢の中でもプライオリティはけっして高くなかったようだ。2006年はストーナーの活躍で注目を集めたが、2014年まではずっとライダーひとり体制の運営が続いた。ふたり体制のチームになったのは、2015年シーズンだ。この年は、カル・クラッチローがファクトリーマシンのRC213V、Moto3からステップアップしてきたジャック・ミラーがRC213V-RSという陣容だった。

2011年のチェッキネロ。ハンサム具合は今と変わらず

2011年のチェッキネロ。ハンサム具合は今と変わらず

Photo by: LCR Honda MotoGP Team

 翌2016年と17年はふたたびクラッチローひとりの陣容になったが、2018年から日本人選手の中上貴晶が加入。以後、現在までライダーふたり体制が続いているのは周知のとおりだ。クラッチロー在籍時代には、優勝の瞬間に感極まってピットウォールに設営したコンソールの椅子からずり落ち、感情を抑えきれず涙顔で路面に仰向けになったこともあった。あの場面は、日本でも多くの人々に共感と微笑みを持って受け止められたようだ。彼のなんともいえない愛嬌が、非常によく現れているシーンでもある。

Read Also:

 また、LCRのチーム員は、PR活動のマネージャーやバックエンドを支えるコーディネーターたちを含め、チーム結成初期からずっと活動をともにしてきた人々が多い。これは多くのサテライトチームに共通することなのだろうが、やはりチームオーナーの人柄や魅力が共に働くスタッフをはじめ、出資するスポンサーたちをも惹きつけるのだろう。

 そしてそれは、彼の緻密な営業力の賜物でもあるのだろう。冒頭でも軽く触れたとおり、チェッキネロのスポンサーに対するケアは非常に細やかだ。その様子は、『まめ』という日本語の表現がじつにぴったりくるほどだ。

 じつは縁あって、過去に数回ほどチーム広報資料作りを少しだけ手伝ったことがあるのだが、その内容には感心した。

 各国別の記事掲載数やメディア露出時間、累計アクセス数等々、企業広報ツールとしてLCRを使用する価値や有用性が、様々な指標を用いて定量的かつ一目瞭然の明快なデータにまとめられていた。このような資料作りは普通の企業社会だと当然のことだろうが、スポーツ関連の世界では、ともすればどんぶり勘定で、このような効果測定はないがしろにされることもある。出資をしてくれた企業に対して、その出資に見あう価値を明記した資料をしっかりと作成するのは、現役時代からスポンサー活動に苦労してきた彼の経験から得た教訓なのだろう。

Read Also:

 この仕事作りの手伝いは話のなりゆきで請け負ったもので、事前に報酬等を交渉していたわけではなかった。ごく簡単な作業とはいえ、こちらも多少の時間と労力を割いているので、無料奉仕というわけにもいかない。では、ギャラはどうしよう、と相談する段に及んだとき、

「現金払いでもいいし、ホスピタリティの食事数回分、というのでも別にいいけど」

 冗談交じりにそう言ってみた。すると、チェッキネロは急に真顔になって小声で暗算を始めた。用意している食材の余裕を計算しているのか、それとも想定していた報酬額と食事の値打ちを換算しているのか。どちらの結論になったのか、今となっては忘れてしまったが、意外なところに苦労人の一端が現れるものなのだな、と思ったことは、とても印象深く憶えている。

 
Read Also:

シェア
コメント
ドゥカティ”向け”コースは過去の概念! 進化したデスモセディチGP、ツイスティな場所でも隙は無しか
前の記事

ドゥカティ”向け”コースは過去の概念! 進化したデスモセディチGP、ツイスティな場所でも隙は無しか

次の記事

MotoGP、2023年開幕戦はポルトガルGPに決定。ヨーロッパでのシーズン開幕は2006年以来

MotoGP、2023年開幕戦はポルトガルGPに決定。ヨーロッパでのシーズン開幕は2006年以来