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インタビュー

言葉で表現できないほど“想いが詰まった1台”……土屋武士が語る25号車MCとは

2019シーズンいっぱいでスーパーGTの舞台から姿を消すことになったつちやエンジニアリングの25号車マザーシャシー。チームオーナーでありドライバー、監督、エンジニアとしてこのクルマに携わった土屋武士が想いを語った。

#25 HOPPY 86 MC

写真:: 吉田知弘

 スーパーGT(GT300クラス)の舞台で5シーズンに渡って活躍し、多くのファンを魅了する走りを見せてきたつちやエンジニアリングの25号車マザーシャシー。しかし、FIA GT3主導という時代の流れもあり、チームは苦渋の決断の末に2019シーズンいっぱいで同マシンの使用を終了することを発表した。

”若い職人を育てる”ことをテーマに掲げているつちやエンジニアリングで、若いメカニックだけでなく、ドライバーたちもこの1台に携わって成長を遂げてきた。

【連載】25号車マザーシャシーで成長したドライバーたち:(5)松井孝允

 しかし、チームを引っ張る存在である土屋武士自身も、このクルマから多くのことを教わり、学んだという。

 マザーシャシーの使用を終了する発表をした1週間後、スーパー耐久の現場に来ていた土屋武士に話を訊くと、第一声はこのようなものだった。

「本当にたくさんのことがありましたね。あのクルマとは……」

 現在は同チームのチーム監督兼エンジニアとして定着しているが、25号車マザーシャシーがデビューした2015年当時はドライバーも務め、2016年にはシーズン2勝を挙げてシリーズチャンピオンを獲得。奇しくも同年いっぱいで第一線を退く決意をしていた土屋武士にとっては、最後のシーズンで初めてスーパーGT王者という栄冠を掴んだ。

 そんな土屋武士だが、25号車マザーシャシーを語る上で最も熱が入っていたのが2017年だ。自身の父であり、つちやエンジニアリングの創始者である土屋春雄氏が病に倒れた時が“ひとつの転機”だったという。

「特に2017年なんて、親父が(病気で)倒れてからオートポリスで勝つまでの間は、本当に1日も休まずにあのクルマに向き合いました。毎日ずっと何か触って、あのクルマのことを考え続けてきましたね」

 そう語った土屋武士。ガレージの大黒柱であった父が現場から離れなければならないという状況で、まず考えたことが“親父を安心させたい”という想いだった。

「親父が倒れたというところが一番のきっかけでした。『親父だったら(25号車に対して)何をやるかな?』というのを考えて、思いついたことを全部やろうと考えていました」

「あの年はとにかく親父を安心させようとしていたのが一番でした。やっぱり色んなことが不安になると思うので『コイツらに任せておけば安心だな』と思ってもらえるように、まずは自分がやろうと決めました」

 土屋武士は毎日このマシンと向き合い、知恵を振り絞り0.001秒を削り取るために必要なことをこのマシンに投入。これにより25号車マザーシャシーは覚醒を遂げ、これまでにはなかったパフォーマンスを発揮し始めた。それが他陣営が「マザーシャシーが速い!」と嫉妬するほどの快進撃を見せた2017シーズンだった。

 それだけではなく、毎日コツコツとマシンと向き合い、数mmにも満たない僅かな“変化”も見逃さず、ひとつひとつ丁寧に対応していくことの重要さを再認識したという土屋武士。この2017シーズンを終えた時に「親父が見えていた景色が分かった気がする」と、何か自身に満ちた表情をしていたのが印象的だった。

 この25号車マザーシャシーは5シーズンにわたって戦い“若いドライバーたち”、“若い職人たち”を育ててきた。ただ、こうして振り返るとチームを引っ張っていく立場の土屋武士自身も、このマシンから教わった事はたくさんあったのかもしれない……。

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 しかし2018シーズン、速さが際立つマザーシャシーを抑制しようという動きが起き始めた。GT300クラスに参戦するマザーシャシー勢に対して最低重量プラス50kgというBoPが課せられたのだ。

「2017年は全く1日も休まず仕事に没頭しましたが、そこでやったことは誇りに思っています。でも、その“栄光”は潰されてしまいました」

「頑張っても頑張っても、全部……潰されてしまいました。やっぱり、なんだかんだ言っても人間なので、頑張ったことに対して肯定されなくても、潰されてしまうと……やっていけないですよね。2018年の頭は本当にそういう気持ちになりました」

「でも、このままだとつちやエンジニアリングはまた消されてしまうので、なんとか消えないように踏ん張ろうと模索したのが2018シーズンでした」

 実際に2018シーズンはモチベーションを維持するのも困難なくらい“どん底状態”だったという土屋武士。そんな彼に手を差し伸べたのが、この活動を理解し常に応援してくれる仲間たちだった。

「仲間のみんなが後押しをしてくれて、気持ち的にもなんとかやれるようになって……だからこそ、みんなのためにリザルトが欲しいと思って戦ったのが2019シーズンでした」

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 その他にも、ここでは語り切れないほどの思い出があるという土屋。自身のレースキャリアの中で携わったマシンは数多くあるのだが、その中でも25号車マザーシャシーは表現する言葉が見つからないほど、思い入れが深い1台だという。

「自分のレース史上の中で圧倒的に1番ですね。(25号車マザーシャシーでの参戦終了を)感情として何かに例えるなら……16年間一緒にいた家の猫が死んじゃった時の感情、これ以外に比べられるものがなかったです」

「あまりにも(想いが)詰まりすぎていて……こんなクルマは他にはないですよね。本当に『ありがとう!』という一言に尽きるし、感謝の気持ちしかありません」

ー 完 ー

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Photo by: Tomohiro Yoshita

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