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そこには男たちの“人間ドラマ”がある……F1ファンの涙を誘った瞬間10選

F1レースを見ていると、世界最速のモンスターマシンを操るF1ドライバーもひとりの人間であると思わされる瞬間がある。今回はF1の歴史の中でファンの涙を誘った感動的、悲劇的な場面を振り返っていく。

Felipe Massa, Williams  Racing, is greeted by his team

写真:: Glenn Dunbar / Motorsport Images

1:「ハッキネン、まさかの凡ミスに号泣」1999年イタリアGP

1999  Italian GP
1999  Italian GP
1999  Italian GP
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 ミハエル・シューマッハー(フェラーリ)の“負傷退場”により、1999年シーズンはミカ・ハッキネン&マクラーレンの独壇場になるかと思われたが、新エースに昇格したエディ・アーバインと代役ミカ・サロの好アシストにより、フェラーリ勢は思いの外マクラーレンを苦しめていた。

 そんな中迎えたイタリアGPで、ハッキネンはトップ快走中の第1シケインでシフトミス。ギヤを1速に入れてしまったことでスピンし、そのままグラベルにマシンを止めてしまった。行き場のない怒りに震えるハッキネンはグローブを地面に叩きつけた後、森の中へと消え、ひとり泣いた。なお最終的にこの年はハッキネンが2ポイント差でアーバインを下してチャンピオンに輝いている。

 

2:「“サイボーグ”が見せた涙」2000年イタリアGP

2000  Italian GP
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 2000年イタリアGPでトップチェッカーを受けたシューマッハーは、ついにアイルトン・セナの勝利数(41勝)に並んだ。レース後の記者会見で「セナに並ぶ41回目の勝利はあなたにとって大きな意味を持つのではないか」と聞かれたシューマッハーは「ああ、僕にとって大きな意味を持つよ……」と答えた後、カメラの前で号泣。ライバルであるハッキネンに慰められるという一幕があった。

 “サイボーグ”とまで呼ばれたシューマッハーがここまで感情的になる場面は珍しく、F1ファンは驚いた。その後シューマッハーはその勝利数を91にまで伸ばしたが、この記録は2019年シーズン終了時点で歴代最多記録となっている。

 

3:「苦労人アレジの最初で最後の勝利」1995年カナダGP

1995 Canadian GP
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 デビュー戦で4位入賞、1990年アメリカGPではティレルのマシンでマクラーレンのアイルトン・セナとドッグファイトを繰り広げるなど、若手時代から大きな期待を背負っていたジャン・アレジ。1991年には名門フェラーリに移籍するも、チームがちょうど低迷期に入ってしまったこともあり、優勝には手が届かずにいた。

 1995年カナダGPでは、アレジはベネトンのシューマッハーに次ぐ2番手を走行していた。そんな中レース終盤にシューマッハーにトラブルが発生。ついに勝利の女神がアレジに微笑んだ。アレジは敬愛するジル・ビルヌーブの名が冠されたサーキットで、31歳の誕生日にF1初優勝を成し遂げたのだ。チェッカー後にはファンがサーキットに雪崩れ込むなど、一帯は歓喜の渦に包まれた。アレジは2001年までF1キャリアを続けたが、優勝はこのレースでの1回のみに終わった。

 

4:「“四つ巴”激戦を制し、ベッテルが初王座」2010年アブダビGP

2010 Abu Dhabi GP
2010 Abu Dhabi GP
2010 Abu Dhabi GP
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 2010年シーズンのチャンピオン争いは、史上稀に見る激戦となった。最終戦アブダビGPを迎えた時点で、フェルナンド・アロンソ(フェラーリ/246点)、マーク・ウェーバー(レッドブル/238点)、セバスチャン・ベッテル(レッドブル/231点)、ルイス・ハミルトン(マクラーレン/222点)の4人にタイトルの権利があるという状況だった。

 予選でポールポジションを獲得したベッテルは、決勝でも快調な走りを見せてトップでチェッカーを受けた。一方4位以内でフィニッシュすれば無条件でタイトルを獲得できたポイントリーダーのアロンソは、ピットアウト後にルノーのヴィタリー・ペトロフに引っかかる形となってしまい、ついには彼を追い越せないまま7位でフィニッシュ。ウェーバーもその後ろ8位に終わり、ベッテルの大逆転タイトルが決定した。史上最年少チャンピオンとなったベッテルは無線で声を震わせ、表彰台でも涙ぐんだ。

 

5:「闘将フランクの復帰戦にウイリアムズが1-2」1986年イギリスGP

1986 British GP
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 ウイリアムズF1チームの創始者であるフランク・ウイリアムズは、1986年に交通事故に遭い、下半身不随の重傷を負った。しかしながらイギリスGPが行なわれるブランズハッチのパドックに車椅子姿で登場し、関係者から暖かく迎えられた。レースではナイジェル・マンセルが優勝し、ネルソン・ピケが2位。ウイリアムズ・ホンダのワンツーフィニッシュとなり、フランクの復帰に花を添えた。

 

6:「アロンソ、母国で会心の勝利!」2012年ヨーロッパGP

2012 European GP
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 スペインのバレンシア市街地コースで行なわれた2012年のヨーロッパGP。母国スペインの期待を背負うフェラーリのアロンソは、予選では11番グリッドに沈んでいた。しかし決勝では驚異的なレースペースを披露。多くのドライバーが追い抜きに苦労するバレンシアでオーバーテイクショーを開演し、1回目のピットストップを終えた段階で事実上の4番手に浮上すると、レース中盤には2番手に。そしてベッテルのトラブルによって34周目についにレースリーダーとなった。

 アロンソはそのまま逃げ切りトップチェッカー。地元ファンの割れんばかりの歓声を浴びながらウイニングラン。表彰式では感極まった姿を見せた。なお2位にはロータスのキミ・ライコネン、3位にはメルセデスのシューマッハーが入り、2000年代前半のF1を沸かせた3人がポディウムに集結した。シューマッハーにとっては、これがキャリア最後の表彰台となった。

 

7:「千載一遇のチャンスが訪れたが……」1999年ヨーロッパGP

1999 European GP
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 首位に立ったドライバーが次々とトラブルやアクシデントに見舞われるという大荒れの展開となった1999年のヨーロッパGP。逆転タイトルがかかっていたハインツ=ハラルド・フレンツェン(ジョーダン)とデビッド・クルサード(マクラーレン)、初優勝目前だったジャンカルロ・フィジケラ(ベネトン)、ラルフ・シューマッハー(ウイリアムズ)など多くのドライバーが涙を吞んだが、一際悲しんだのはルカ・バドエルだった。

 この年最も戦闘力の低いマシンのひとつであるミナルディをドライブしていたバドエルは、波乱に乗じて4番手まで順位を上げていた。キャリア初の入賞が目前に迫っていたが、彼のマシンは無情にも白煙を上げてストップした。マシンを降りたバドエルは人目をはばからず号泣。コースマーシャルに慰められる姿が国際映像に捉えられていた。この年限りでしばらくF1を離れていたバドエルは、2009年にフェリペ・マッサの代役としてフェラーリドライバーに抜擢され2戦を戦ったが、結果を残すことはできず。一度も入賞を果たせないままF1キャリアを終えた。

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8:「マッサ、“1回目”の母国引退レースで感動の一幕」2016年ブラジルGP

2016  Brazilian GP
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 2016年限りでのF1引退を表明していたウイリアムズのマッサは最後の母国凱旋レースに臨んだが、雨が降りしきる中、最終コーナーで単独クラッシュしリタイアとなった。これによりセーフティカーが出動となったが、ピットロードは即席の“マッサ引退セレモニー会場”と化した。

 マシンを降り、ブラジル国旗を背負いながら歩いてピットに向かうマッサの目には涙。そこには家族やウイリアムズのチームスタッフが待ち構えており、熱い抱擁を交わした。さらには古巣フェラーリのスタッフにも出迎えられ、コースマーシャルも涙ぐむなど、マッサの人柄を表すような一幕となった。そんなマッサも、ニコ・ロズベルグの電撃引退を引き金とする一連の騒動によって、自身の引退を撤回することになるとは思ってもみなかっただろう。

 

9:「セナに神が舞い降りた伝説のレース」1991年ブラジルGP

1991  Brazilian GP
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 数あるセナの名レースの中でも、1991年のブラジルGPは特に伝説として語り継がれている一戦である。母国ブラジルでの初勝利が何としても欲しいセナだったが、トップ走行中のレース終盤に致命的なトラブルに見舞われる。使えるギヤがどんどん無くなっていったのだ。最終的にセナはなんと6速だけで走行し、トップでチェッカー。降り始めた雨がセナを祝福する中、彼は無線で絶叫し、コース途中でストップ。自力でマシンを降りられなくなるほどの激走だった。

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10:「バリチェロ、18番手から悲願の初優勝」2000年ドイツGP

2000 German GP
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 ルーベンス・バリチェロの初優勝レースはまさに「雨のバリチェロここにあり」といったレースだった。2000年ドイツGP予選でフェラーリのバリチェロは、トラブルの影響で十分なアタックができず18番手に沈んだ。しかし決勝レースでは挽回を見せ、マクラーレンの2台の後ろ、3番手までポジションを上げていた。

 レース終盤には雨が降り始めたため、各車一斉にピットインしてレインタイヤへと交換していたが、バリチェロは無交換でドライタイヤのまま走り切ることを選択した。確かに森の中は路面が乾いているという状況ではあったが、スタジアムセクションの雨量は多く、リスキーな作戦だった。しかしバリチェロは果敢にアクセルを踏み、この作戦を立派に完遂してトップチェッカーを受けた。参戦125戦目での勝利は、当時最も遅い記録であり、バリチェロは表彰式で号泣。表彰台に登壇したマクラーレンのハッキネンとクルサードに祝福された。

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