「今でも悔しい」小暮卓史が語る、不完全燃焼に終わったバレンシアでの2日間【F1“テスト”経験者の追憶】
F1参戦こそ叶わなかったものの、テストドライブなどでF1を経験したドライバーは数多くいる。今回はテストでホンダF1をドライブした経験を持つ小暮卓史に当時を振り返ってもらった。
写真:: Sutton Images
F1ではこれまで、18人の日本人ドライバーが本戦に出場し、その内10人のドライバーがフル参戦を果たした。現在アルファタウリから参戦している角田裕毅もそのひとりだ。その一方で、F1グランプリへの出走こそ叶わなかったものの、フリー走行といった公式セッションやプライベートテストなどでF1マシンをドライブした日本人ドライバーも多くいる。
現在JLOCからスーパーGTのGT300クラスに参戦する小暮卓史も、2008年1月にバレンシアで開催されたF1合同テストに参加し、ホンダのF1マシンをドライブした経験がある。
この合同テストでは、当時ホンダのレギュラードライバーであったジェンソン・バトンとルーベンス・バリチェロがニューマシンRA108のシェイクダウンを実施。その傍らで小暮もマイク・コンウェイやアレクサンダー・ブルツと共にこのテストに参加し、旧型のRA107を走らせた。ホンダが公開したレポートには、小暮は2日間の走行で77周を走ったという記録が残っている。
Takashi Kogure, Honda RA107
Photo by: Sutton Images
小暮はその前年、2007年シーズンに国内最高峰のフォーミュラ・ニッポン(現在のスーパーフォーミュラ)でチャンピオン争いを展開。最終戦でも圧倒的な速さでトップチェッカーを受け、3戦連続のポールトゥウィンで自身初王座を手にしたかに思われたが、レース後の再車検でスキッドブロックに違反が見つかりまさかの失格。タイトルを逃した。しかし、9戦中5回ポールポジションを獲得した2006年シーズンの活躍も相まって、小暮の速さは誰もが認めるものとなっていた。
「実は、ホンダさんにはずっとテストをさせてくださいとお願いしていました」
小暮はそう切り出した。
「(F1に挑戦したいという思いは)もちろんありました。上を目指したい、もっと上のカテゴリーがあるのならどこまで通用するのか試したいという思いでした」
「ホンダさんは、フォーミュラ・ニッポンのチャンピオンをとったら考えますという風に言ってくださっていました。2007年はチャンピオン争いをして、結果的には最終戦で失格になっちゃってシリーズ3位になりましたが、ホンダさんの厚意でチャンスを与えていただきました」
実際にF1マシンを走らせると、小暮はフォーミュラ・ニッポンのマシンとは異なる機構や感覚に驚きを感じていた。足ではなく、ステアリングのパドルで操作するハンドクラッチ、パワーステアリングが搭載されていることによる「踏ん張りどころがない」感覚……その中でも特に彼が手を焼いたのが“左足ブレーキ”だった。
当時のフォーミュラ・ニッポンやスーパーGTでは、トランスミッションが現在のようなセミオートマではなかったため、変速の際は左足でクラッチを踏む必要があり、したがってブレーキ操作はアクセルと同じ右足で行なうことが基本だった。しかしF1は既にセミオートマが当たり前となっていたため、多くのドライバーが左足でブレーキ、右足でアクセルを操作していたのだ。
Takashi Kogure, Honda RA107
Photo by: Sutton Images
実際にはバリチェロのように右足ブレーキを駆使するF1ドライバーもおり、右足ブレーキ用にペダルをアジャストすることもできたのだが、左足ブレーキが主流だと聞いていた小暮はスーパーGTでもその予行演習をしており、「左でも行ける」との思いから左足ブレーキでテストに臨んだ。
しかし、実際には想像以上に苦戦をすることとなった。
「右(足ブレーキ)でテストすれば良かったなと思います。僕の認識が足りなかった部分もあったと思います」
「F1ってブレーキの入れ方が特殊なんですよ。ものすごい勢いで車速が落ちていくので、(ブレーキを)入れる、抜くという動作をものすごく速くやらないと、少しでもブレーキを残しているとロックしてしまいます」
「ガンッと強く初期踏力を入れないといけませんが、そのまま踏んでいるとロックしますし、そこから減速に応じてダウンフォースも減るので、繊細に抜いていく必要があります」
「慣れ親しんでいた右の方が良かったんですけど、元々僕が左で行くと決めた訳ですし、せっかく与えてもらったチャンスですから、当時は言えなかったですよね。そこはもったいなかったと思っています」
結果的に満足のいくタイムを出すことはできないままテストを終えた小暮。「不完全燃焼でした」と振り返る。
その後ホンダはリーマンショックの影響を受けて2008年を最後にF1から撤退。2009年シーズンのグリッドに並ぶことはなかったため、いかんせんたらればの話にはなってしまうが、小暮がこのテストで印象的なパフォーマンスを見せていれば、その後のF1レギュラーシートに繋がる可能性があったのか……そこが気になるところだ。
「もしかしたら可能性があったかもしれないです。ただ、“そういうところ”からじゃないですか、チャンスって……悔しかったです、正直」
Takashi Kogure
Photo by: Sutton Images
小暮の言う“そういうところ”とは、「数少ないチャンスで確実に結果を残すこと」を指していると思われる。小暮にとっては、F1ドライバーになれなかったという事実よりも、目の前のチャンスに対して100%の実力で応えられなかったことへの後悔が強く残っているように感じられた。
「レーシングドライバーを長くやっているので、そのクルマの能力を出し切れたかどうかってなんとなく分かるんですよね。それを出し切れなかったのが悔しくて。もし出し切っていたら、チャンスに繋がっていたかもしれないですね」
「あの時の僕のパフォーマンスだと、繋がるということはなかったと思います」
自身にとって、バレンシアでのF1テストは「素晴らしい経験」になったと語り、F1の独特なカルチャーに触れられたことへの喜びについて口にした小暮だったが、それでも口をついて出てくるのは今でも残る後悔だった。
「素晴らしい経験でしたし、ホンダさんには感謝しています。でも、一番はやっぱり悔しいです。もっと準備できたこともあったと思います」
「今まで、僕はああいったオーディション形式のものでいきなり乗って力を出すことには自信がありました。でも、F1マシンは想像以上にパフォーマンスが高く、フォーミュラ・ニッポンのイメージが強いままでした。そこは僕の至らなかったところでもあります」
「でもF1のカルチャーに触れられて衝撃でした。テストなのにここまで人員や時間、お金をかけるのかと思いましたし、国内のレースとは雰囲気が違いました。スペインという土地柄もあったかもしれませんが、当時(フェルナンド)アロンソとライバルだった(ルイス)ハミルトンが走るとブーイングが上がったり、ファンの熱狂具合がすごかったです。それをドライバーとして体験できる人はそう多くありません」
「ただチャンスは一度しかないので。それを活かせなかったことは、すごく残念……残念という言葉では言い表せないくらい、今でも悔しいです」
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