勝利せずとも……ニュルブルクリンクで印象的な活躍をしたF1ドライバー:2004年佐藤琢磨
今週末、ニュルブルクリンクで久々にF1のレースが行なわれる。2004年、同地で行なわれたF1ヨーロッパGPで印象的な活躍を見せたドライバーがいた。BARホンダ006を駆った佐藤琢磨である。
写真:: Steve Etherington / Motorsport Images
今週末、久々にドイツのニュルブルクリンクでF1世界選手権のレースが行なわれる。同サーキットでグランプリが開催されるのは、2013年以来のこと。今年も当初は開催の予定はなかったが、新型コロナウイルス感染拡大による影響で開催スケジュールが変更されたのに伴い、アイフェルGPとしての実施が決定した。
【ギャラリー】2004年F1ヨーロッパGP(全576枚)
F1黎明期には、現在ニュルブルクリンク24時間レースを開催する、全長30km弱にも及ぶ北コースで開催されていた同地でのF1。1984年以降は、現在のグランプリコースが舞台となった。その間、ドイツGP、ルクセンブルクGP、ヨーロッパGPと様々な名称でグランプリを開催し、今年は4つ目の名称となるアイフェルGP……世界広しといえど、4つの名前のグランプリを開催したコースは、他になかなかないだろう。
そんなニュルブルクリンクのF1では、これまで様々なドライバーが活躍してきた。当然勝利や表彰台を獲得したドライバーたちの名前が挙がるが、最終的には目立った成績ではなくとも、強烈な印象を残したドライバーもいる。
英国のAutosport.comは、ニュルブルクリンクのF1で印象的な活躍をした5人のドライバーの名を挙げた。カール・クリング(1954年)、クリフ・アリソン(1958年)、カルロス・パーチェ(1973年m)、ミカ・ハッキネン(1997年)と共に名が挙がったのが、2004年の佐藤琢磨である……。
佐藤琢磨は同年、BARホンダで活躍。コンスタントに上位を走り、コンストラクターズランキング2位獲得に貢献した。そんな中ニュルでのヨーロッパGPでは、2番グリッドを獲得。日本人ドライバーによるフロントロウ獲得は、これが最初だった。
英国Autosport.comが当時の佐藤をどう評価したのか……お読みいただこう。
■佐藤琢磨(BARホンダ/2004年)
Takuma Sato
Photo by: Honda GP
マシン:B.A.Rホンダ 006
決勝順位:リタイア
2004年シーズン、グリッドの最前列にBARのマシンを見るのは、特に珍しいことではなかった。しかしこのニュルブルクリンクまでは、すべてジェンソン・バトンによるものだった。しかしここでは、佐藤琢磨がミハエル・シューマッハー(フェラーリ)に次ぐ2番グリッドという自己ベストグリッドを獲得した。
スタートでは、ルノーのヤルノ・トゥルーリに一瞬前に出られるも、なんとかポジションを死守。その後ターン3でトゥルーリと接触してしまうが、シューマッハー、キミ・ライコネン(マクラーレン)、フェルナンド・アロンソ(ルノー)の後方4番手でコースに復帰した。
佐藤は前を行くマシンが先にピットストップを行なったことで首位に立ち、2周にわたってリードラップを記録。佐藤が最初のピットストップを終えた時点で、再び2番手に戻ることになった。ただ佐藤にとって脅威だったのは、2ストップと他とは戦略を分けた、フェラーリのルーベンス・バリチェロだった。
佐藤は44周目に3回目のピットストップを行なうと、バリチェロのすぐ後ろでコースに復帰。そして、すぐに攻撃を開始した。
佐藤は続く45周目のターン1で、バリチェロのインに果敢に飛び込む。しかしバリチェロにはこの佐藤の動きが見えていなかったのか、普通にターンインしてしまい両者が接触。佐藤のBAR006のフロントウイングが完全に壊れてしまう。
バリチェロはこの佐藤の仕掛けを「アマチュアだ」と批判。しかしFIAのレースディレクターであったチャーリー・ホワイティングは、次戦カナダGPの際に佐藤に対して、バリチェロに責任があると信じていると語ったという。
Autosportのジョナサン・ノーブルは、このレースについて次のように振り返る。
「彼も当時はそれを感じていなかったかもしれないが、彼がそのシーズンにできた最高のことは、黙って3位を受け入れることではなく、バリチェロに挑むことだった……それが証明されたのかもしれない」
「実際この出来事は、佐藤琢磨というF1ドライバーを定義することになった」
佐藤は壊れたフロントウイングを交換するためにピットイン。それでも5番手でコースに復帰した。ただその直後、彼のホンダエンジンは音を上げ、派手にエンジンブロー……リタイアすることになった。
しかし佐藤はその後、自身の能力を証明していくことになる。2レース後のアメリカGPでは、自身初の表彰台を獲得。結局これが、彼にとってF1で唯一の表彰台ということになったわけだが、後のインディカー・シリーズでの成功の始まりに過ぎなかったのだ。
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