特集
F1
F1を失ったサーキット:美しくも、危険すぎたモンジュイック
スペインGPの舞台が現在のカタルニア・サーキットやヘレス・サーキットになる前、同GPはモンジュイック・ストリート・サーキットで行なわれていた。このサーキットは、F1カレンダーの中でも最も恐れられたコースだった。

Filip Cleeren
編集: 2023/04/27 6:57
Copy link
Viberでシェア
Google検索でmotorsport.comをお気に入り登録

現在F1スペインGPの舞台となっているカタルニア・サーキットは、1992年にバルセロナ・オリンピックの準備の一環として建設された。バルセロナの市街地から約30分のところにできたこのコースは、サイクリングのタイムトライアル競技の舞台となった。しかし主な目的は、F1を開催すること。実際には1991年から、同地でF1が開催され、今に至っている。
このオリンピックの施設の多くは、バルセロナでF1が開催されるようになるずっと前にスペインGPの舞台となっていたモンジュイックに建設された。バルセロナの街を見下ろす位置にあるこのモンジュイックは、歴史的にも重要な役割を果たし、要塞としても理想的な場所だった。
このモンジュイックの市街地コースでは、1969年から1975年の間にハラマと交互でスペインGPを開催。合計4回レースが行なわれた。
Bruce McLaren passes the Palacio de la Agricultura, now a theatre, in the 1969 Spanish Grand Prix
コースは全長3.79kmと短くも、歴史ある丘を曲がりくねって進むようにレイアウトされており、素晴らしい光景となっていた。
パドックは、古いオリンピックスタジアムに設けられた。起伏あるストレートエンドで、マシンはマジック・ファウンテンを下り、ギリシャ時代の劇場と、国立美術館の横を通り過ぎる。ポブレ・エスパニョール野外博物館の横を通過する高速セクションを抜けると、メインストレートに戻ってくる。
このように、モンジュイックはモナコを彷彿とさせる、標高変化とキャンバーが存在する、モータースポーツの舞台としては素晴らしい場所だった。しかし、同じように危険も孕んでいた。特にコース後半の高速セクションは、市街地コースとしては速度域が速すぎた。
さらに問題だったのは、ランオフエリアが存在しないことだ。コースの周囲には木々が林立しており、その場凌ぎのガードレールでコースと区別されていた。
Tom Pryce and Arturo Merzario battle it out past one of the 1929 World Fair sites
1975年のレースに先立ち、ドライバーたちは抗議することになった。彼らは、ガードレールのいくつかの部分が適切に取り付けられていないことを指摘したのだ。アメリカGP(ワトキンスグレン)では、ガードレールが緩んでいたことにより、フランソワ・セベールとヘルムート・コイニクが、1973年と74年の2年連続で死亡するという痛ましい事故が起きていた。ドライバーたちはそのことをよく覚えていたのだ。
当時F1を統括していたFISA(国際自動車スポーツ連盟)は、主催者に対してガードレールを直すように指示した。しかしその修理も完璧なモノではなかった。金曜日の最初のフリー走行はキャンセルされ、2回目の走行にも僅かなドライバーしか出走しなかった。
夜間に再び修理が行なわれたが、それでもドライバーたちが満足できるようなモノではなかった。マクラーレンのエマーソン・フィッティパルディは、土曜日に3周しただけでマシンを降り、サーキットを離れた。フィッティパルディは前年のチャンピオンである。しかし彼が不在でも、そして参加者の投票によって否定的な意見が出たとしても、レースが予定通り進められる時代だった。
Montjuic's hairpins and cambered turns were reminiscent of Monaco
決勝レースで、その不安が的中することになった。ロルフ・シュトメレンが走らせていたエンバシー・ヒルのマシンからリヤウイングが脱落してしまい、ガードレールの上を舞ってコース外に飛び出し、観客席に突っ込んでしまったのだ。この事故でカメラマンとファイアーマンを含む5人が亡くなってしまったのだ。シュトメレンも重傷を負った。
この事故により同地でのスペインGPは終焉を迎えた。その後、同グランプリの舞台はハラマ、そしてヘレスへと移動。しかし前述のとおり、カタルニア・サーキットが完成したことにより、1991年にバルセロナ近郊へと戻ってきたのだ。
モンジュイックはそれ以降も、カタルニアの文化の中心的な場所であり続けた。しかしモータースポーツは、ようやく正しい”場所”を見つけたのだ。
Read Also:
- 7月開幕を目指す2020年のF1。2日ごとに新型コロナウイルス検査を義務付けへ
- 魂の走りに心奪われたあの時。ニッポンのファンが選ぶアイルトン・セナのベストレース
- カタルニア・サーキット、今夏のF1開催に意欲的「すぐに準備を整えることができる」
- アイルトン・セナ、初勝利から35年。運を味方に、大雨エストリルを駆け抜けた日
- 雨中の快進撃2:シューマッハー、フェラーリ王朝への第一歩:1996年スペインGP
The start of the ill-fated 1975 Spanish Grand Prix
あなたの意見が聞きたい!
Motorsport.comで何を見たいですか?
5分間のアンケートにご協力ください。
- Motorsport.comチーム
コメントを読んで投稿する
関連ニュース :
記事をシェアもしくは保存
Copy link
Viberでシェア
前の記事 F1とフォーミュラEは将来融合する? FE王者ベルニュ「それが僕の夢」
次の記事 雨中の快進撃4:晴れのち雨、そして涙。バリチェロ悲願の初優勝:2000年ドイツGP
Top Comments
コメントはまだありません。 最初のコメントを投稿しませんか?
View More & Comment

More from
Filip Cleeren

ラッセル、メルセデスのチームプレイ封じたフェルスタッペンの動きに怒り「突然ブレーキを踏まれた」
F1
F1
イタリアGP
15 時間前
ラッセル、メルセデスのチームプレイ封じたフェルスタッペンの動きに怒り「突然ブレーキを踏まれた」

ピエール・ガスリー歓喜の初ポールポジション……6年前に初優勝を手にしたモンツァ「ここは本当に特別な場所だ」
F1
F1
イタリアGP
1 日前
ピエール・ガスリー歓喜の初ポールポジション……6年前に初優勝を手にしたモンツァ「ここは本当に特別な場所だ」

最後尾スタートのアントネッリ、表彰台までリカバリーは難しい? フェラーリが予想以上の難敵か
F1
F1
イタリアGP
1 日前
最後尾スタートのアントネッリ、表彰台までリカバリーは難しい? フェラーリが予想以上の難敵か
最新ニュース

角田裕毅お咎めなし! F1イタリアGPの10位入賞が確定……代役の仕事をキッチリ果たし貴重1ポイントを獲得「停めるグリッドの位置を少し混乱してしまった」
F1
F1 F1
イタリアGP
10 分前
角田裕毅お咎めなし! F1イタリアGPの10位入賞が確定……代役の仕事をキッチリ果たし貴重1ポイントを獲得「停めるグリッドの位置を少し混乱してしまった」

最高速の差は20km/h以上……イタリアGPはアストンマーティン・ホンダにとって過酷な週末。ホンダ折原エンジニア「チームと共に新たな挑戦に挑む」
F1
F1 F1
イタリアGP
1 時間前
最高速の差は20km/h以上……イタリアGPはアストンマーティン・ホンダにとって過酷な週末。ホンダ折原エンジニア「チームと共に新たな挑戦に挑む」

恐るべき18台抜き! アントネッリが60年ぶりイタリア人のイタリアGP制覇達成! 角田裕毅も10位。アストンマーティン・ホンダは全滅に終わる|F1イタリアGP決勝
F1
F1 F1
イタリアGP
3 時間前
恐るべき18台抜き! アントネッリが60年ぶりイタリア人のイタリアGP制覇達成! 角田裕毅も10位。アストンマーティン・ホンダは全滅に終わる|F1イタリアGP決勝

F1イタリアGP決勝速報|アントネッリ、母国優勝! なんと18台抜きの離れ技……イタリア人のイタリアGP優勝は1966年以来。角田裕毅は10番手フィニッシュも審議対象
F1
F1 F1
イタリアGP
3 時間前
F1イタリアGP決勝速報|アントネッリ、母国優勝! なんと18台抜きの離れ技……イタリア人のイタリアGP優勝は1966年以来。角田裕毅は10番手フィニッシュも審議対象
Subscribe and access Motorsport.com with your ad-blocker.
フォーミュラ 1 から MotoGP まで、私たちはパドックから直接報告します。あなたと同じように私たちのスポーツが大好きだからです。 専門的なジャーナリズムを提供し続けるために、当社のウェブサイトでは広告を使用しています。 それでも、広告なしのウェブサイトをお楽しみいただき、引き続き広告ブロッカーをご利用いただける機会を提供したいと考えています。
次の 2 つのオプションがあります。
- サブスクライバーになります。
- 広告ブロッカーを無効にします。
購読中 すでに購読していますか? ここからサインインします
広告ブロッカーを無効にしましたか?
ページをリロード
お知らせの管理
登録