雨中の快進撃4:晴れのち雨、そして涙。バリチェロ悲願の初優勝:2000年ドイツGP
雨のレースでは、マシンの性能よりもドライバーの腕が試されると言われる。ルーベンス・バリチェロがF1初優勝を遂げた2000年のドイツGPは、時には雨に翻弄され、最後には雨を味方につけたレースだった。

1993年にF1デビューを果たし、ジョーダン、スチュワートと中堅チームを渡り歩いたルーベンス・バリチェロは、2000年に晴れてフェラーリのシートを獲得。ミハエル・シューマッハーのチームメイトとなった。マクラーレンと並ぶ当時のベストマシンのひとつを手にしたバリチェロだったが、あと一歩優勝には届かないレースが続いていた。
そして第11戦ドイツGPの予選でバリチェロは不運に見舞われる。雨が降る不安定な天候の下で行なわれたセッションだったが、バリチェロはマシントラブルが発生してストップ。スペアカーはなく、セッション終盤にシューマッハーのマシンを借りてアタックに出たが、その頃には路面コンディションは悪化しており、予選通過の107%ルールをクリアするのがやっとだった。最終的にバリチェロは予選18番手。レースでの優勝は絶望的かに思われた。
迎えた決勝レース。ホッケンハイムリンク上空は明るくドライ路面だが厚い雲が垂れ込めており、コンディション変化が予測しづらい中で45周のレースが始まっていった。
スタート直後のターン1では2番グリッドのシューマッハーがジャンカルロ・フィジケラ(ベネトン)と接触してリタイアする波乱の展開となった。バリチェロはそんな中でオープニングラップを終えて10番手にジャンプアップ。その後5周目にはポイント圏内の6番手に浮上し、15周目には3番手に。ワンツー体制を築くマクラーレンの2台を追いかける格好となった。
バリチェロは17周目、上位陣では一番早く最初のピットストップを行なった。彼は燃料搭載量を軽くして後方から追い上げる必要があったため、セオリーである1ストップ作戦ではなく2ストップ作戦を採ったのだ。
25周目にはコース上に侵入者が現れるハプニングが発生し、セーフティカーが出動した。ここでマクラーレン勢もピットに。チームはミカ・ハッキネンを先にピットに入れたため、デビッド・クルサードは1周遅いピットインを強いられて順位を下げた。29周目、レースはハッキネン、ヤルノ・トゥルーリ(ジョーダン)、バリチェロ、ペドロ・デ・ラ・ロサ(アロウズ)、ハインツ-ハラルド・フレンツェン(ジョーダン)、クルサードというオーダーで再開した。
レースも残り10周前後となった頃、コース上に雨が降り始め、その雨脚は急速に強くなっていった。スピン・コースアウトするマシンが増え始めたため、上位陣は続々とピットに入り、雨用タイヤに交換した。
そんな中フェラーリもピットの準備をしていたが、バリチェロは入らなかった。スタジアムセクションがフルウエットで、マウンテン区間は比較的乾いているという難しいコンディションの中、バリチェロはドライタイヤのまま走り切ることを選択したのだ。
2番手のハッキネンはバリチェロを追い上げるが、思うようにギャップを縮めることができず、バリチェロはドライタイヤで大きな水しぶきを上げながらトップでチェッカーを受けた。
レース後の無線で声にならない声を上げたバリチェロ。ジョーダン、そしてスチュワート時代はポールポジション、そして表彰台を獲得するなど、中堅チームで非凡な速さを見せてきたバリチェロだったが、苦節7年でようやくF1初優勝を挙げた。彼は表彰式でも母国ブラジルの国旗を持ちながら号泣した。

Mika Hakkinen, McLaren 2nd, race winner Rubens Barrichello, Ferrari and David Coulthard, McLaren 3rd
Photo by: Sutton Images
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