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世代交代の瞬間、シューマッハーとアロンソによる極上バトル:2005年サンマリノGP

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世代交代の瞬間、シューマッハーとアロンソによる極上バトル:2005年サンマリノGP
執筆:
2020/04/26 3:02

2005年4月24日、F1サンマリノGP。フェルナンド・アロンソは7度のワールドチャンピオンであるミハエル・シューマッハーとの一騎討ちを制し、トップでチェッカーを受けた。これはF1史に残る世代交代の瞬間として、今も人々の記憶に残っている。

 F1はこれまでに幾多の世代交代を繰り返しながら歴史を紡いできたが、フェルナンド・アロンソがミハエル・シューマッハーを抑えて優勝した2005年のF1サンマリノGPは、当時の世代交代を象徴する一戦であると言えるだろう。

 前年まではフェラーリとシューマッハーが5年連続でダブルタイトルを獲得しており、誰も彼らを止めることができずにいた。特にフェラーリは1999年から長年に渡ってタイヤサプライヤーであるブリヂストンと緊密な関係を続けており、それが強さの秘訣でもあった。シューマッハーと当時の戦略家であったロス・ブラウンが得意としていたのは、レース中に複数回のタイヤ交換を行ない、その度に全開でプッシュしてマージンを築くというものだった。

 しかしながらF1は2005年シーズンからレース中のタイヤ交換を禁止し、予選・決勝共に同じセットのタイヤで戦うことを義務付けた。これにより上記のような作戦を封じられてしまったフェラーリとシューマッハーは、一転して苦戦。これはブリヂストンとミシュランによるタイヤ戦争にも大きな影響を与え、ルノーのアロンソとマクラーレンのキミ・ライコネンという若手同士によるタイトル争いとなっていったのだ。

 アロンソは“シューマッハー王朝”の時代から徐々に頭角を現しつつあった。2003年のハンガリーGPで史上最年少優勝(当時)を飾ると、翌2004年は優勝こそなかったものの安定して上位を走行する走りを見せ、ランキング4位となっていた。

 そして2005年シーズン、ルノーは開幕ダッシュを決めた。開幕戦オーストラリアGPではジャンカルロ・フィジケラが優勝し、アロンソは13番手スタートから3位表彰台。第2戦マレーシアと第3戦バーレーンGPはアロンソが制した。

Fernando Alonso

Fernando Alonso

Photo by: Motorsport Images

 一方でシューマッハーは最初の3レースでわずか2ポイントしか獲得することができなかった。前年圧倒的な速さを見せた『F2004』の改良型『F2004M』で開幕2レースに臨んだフェラーリだったが、開幕戦でルーベンス・バリチェロが2位に入ったものの、これまでと違って苦戦しているのは明らかであった。

「僕たちは(開幕戦の)メルボルンに旧型のマシンでやってきたから、そこで優勝を争えないことは明らかだった」

 シーズンを終えたシューマッハーはそう語っていた。

「少なくとも僕の期待しているレベルではなかった。もちろん、予選で不運があったりしたから理想的なレース展開ではなかったけど、正直シーズンが始まる前からこのシーズンは厳しいものになると思っていた」

 また第3戦バーレーンGPから投入された『F2005』については次のように語っていた。

「それは大きな一歩を意味することは分かっていた。同時に僕たちも一歩を踏み出す必要があると思っていた」

「ただテストの段階からそのマシンを走らせていて、色々と問題があることも分かっていた」

 『F2005』投入2戦目となった第4戦サンマリノGP。当時は知られていなかったが、サンマリノGPはその年の新たなタイヤ規則に苦しめられていたフェラーリにとって、珍しく調子の良いレースだった。

 ここで当時の予選方式を説明しておく。当時は1周のアタックを土曜午後と日曜午前にそれぞれ行ない、その合算タイムでグリッドを決めるというもので、日曜のセッションでは決勝レースに向けて多くの燃料を搭載する必要があった。また、同じエンジンを2レース続けて使用する必要があり、チームは走行距離を厳重に管理していた。

 シューマッハーは初日の予選で3番手につけて好調ぶりを見せていたが、2日目にリバッツァでコースオフしてタイムをロス。13番グリッドに沈んでしまった。一方でポールポジションを獲得したのはキミ・ライコネン(マクラーレン)で、アロンソは2番手につけた。

 アロンソは大きなハンディキャップを背負っていた。彼のエンジンは前戦バーレーンGPの猛暑で酷使されており、イモラでのサンマリノGPをペナルティなしで乗り切るには走行距離を抑える必要があり、完璧なセッティングをすることができなかった。

 ルノーのテクニカルディレクターを務めていたパット・シモンズは次のように語っていた。

「プラクティスでは多くの周回を重ねることができなかった」

「フェルナンドのエンジンはバーレーンでダメージを受けていた。(サンマリノでは)週末を通して全開という訳にはいかなかった。それほど大きいものではなかったが、タイムにはある程度影響があった」

「予選でフェルナンドが記録したラップは、この週末で彼が記録した11番目に速いラップだった。つまり、このウィークエンドではいつも通りの準備ができていた訳ではないんだ」

 そして迎えた決勝レース。ライコネンはポールから飛び出してリードを広げていたが、9周目にドライブシャフトの故障によってリタイアした。前述の理由からも、ライコネンにトラブルが起こっていなければ、レースを制したのは間違いなくライコネンだっただろう。

 これでレースをリードするのはアロンソとなった。優勝争いに絡むことは難しいと考えられていたシューマッハーだったが、順調に順位を上げていった。途中トヨタのヤルノ・トゥルーリによる“トゥルーリ・トレイン”が形成されていたことも手伝って、1回目の給油のためのピットストップが終わった時に彼はアロンソ、ジェンソン・バトン(B.A.R.ホンダ)に次ぐ3番手に浮上していた。

Michael Schumacher, Ferrari F2005

Michael Schumacher, Ferrari F2005

Photo by: Steve Etherington / Motorsport Images

 フェラーリの地元レースでもあるイモラで、シューマッハーはティフォシたちの声援をバックに驚異的な走りを見せる。アロンソが42周目に先に2度目のピットストップをした後はバトン、シューマッハーのオーダーとなったが、シューマッハーはバトンをあっさりと交わし、ファステストラップを連発しながらマージンを築く。そしてシューマッハーは2度目のピットストップを終えると、アロンソのすぐ後ろでコースに復帰した。

 残る12周はアロンソとシューマッハーのマッチレースとなった。追うシューマッハーの方がペースが速く、エンジンを労りながら走るアロンソはあらゆる手段を使って首位を守らなければいけなかった。

「我々は(エンジン設定に)リミットを設ける必要があり、それを変更することはできなかった」とシモンズは語った。

「我々にはマイケル(シューマッハー)に匹敵するペースがなかった」

 そんな中でシューマッハーは執拗にプレッシャーをかけるが、アロンソはうまくコースを塞ぎ、彼を前に行かせなかった。特にルノーのマシンは低速コーナーでのトラクションに優れていたので、7度の王者であるシューマッハーですらアロンソを攻略することはできず、0.2秒差でアロンソがトップチェッカーを受けた。

 シモンズはレース直後にこう振り返った。

「そこにはレース戦術の全てが詰まっていたと思わないか? 今のF1ではオーバーテイクが少ないと言われるけど、今日ほどオーバーテイクがないことを喜んだ日はないよ!」

 シモンズは2005年シーズンのF1が開幕した直後、フェラーリがイモラでこれほどの競争力を発揮するとは思っていなかったと語った。

「それは驚きだった。全くの予想外だった」

「彼らは(ニューマシン投入で)強くなると言ってきたが、これほどのパフォーマンスの発揮するとは予想していなかった。でもイモラは少し特殊なサーキットだ」

「確かに誰でも浮き沈みがあるのは確かだ。フェルナンドが2003年のハンガリーで優勝した時、フェラーリは(上位に)どこにもいなかった。そして今日のレースでは、彼らのマシンがとても機能した。非常に速かった」

Race winner Fernando Alonso, Renault shakes hands with second place finisher Michael Schumacher, Ferrari

Race winner Fernando Alonso, Renault shakes hands with second place finisher Michael Schumacher, Ferrari

Photo by: Motorsport Images

 最終的に2005年シーズンのドライバーズチャンピオンに輝いたアロンソは、シーズンを終えてイモラでの優勝を振り返り、次のように語った。

「サンマリノでフェラーリは、マシンが完璧に機能する特別な条件を見つけ出したんだと思う」

「ひとつのマシンが他のマシンと比べてあそこまで速いというのは、普通のことではない」

「イモラは2台のマシンによる僅差のフィニッシュになり、シーズンの中でもベストレースのひとつだった。そのレースではタイヤとエンジンに問題があったので、レース終盤はかなりペースが落ちていた。でもマイケルは僕をオーバーテイクすることはできなかったので、この結果には満足している」

「フェラーリが前年のように支配的なポジションにつけるかと思っていた。でも最初の4レース全てを僕たちが制したことで、2005年シーズンが僕たちにとってチャンスであると確信した。でもマクラーレンがその後速くなり始めたので、タイトルが決まるまで油断できなかった」

 シューマッハーが苦戦したことについて、アロンソは次のようにコメントした。

「フェラーリが適切なタイヤを持っていなかったことは、僕には関係のないことだ。前の年は僕たちの方が適切なタイヤを持てていなかったし、そのことについては誰も話さなかった。他のチームのことは気にしない。競争であることには変わりないし、今年の僕たちが誰よりも優れていたんだ」

 シューマッハーはこの年、わずか1勝に終わった。それもミシュランユーザー14台が棄権したアメリカGPでの勝利だった。そんなシューマッハーも、イモラでのレースがシーズンのハイライトであると認め、次のように話した。

「それはフェルナンドとの素晴らしいレースだった」

「彼はシーズンを通して、非常に強いメンタルを持って走っていた。僕が彼の後ろで出来ることは、彼が少しでもミスをするようにプレッシャーをかけ続けることだった」

「しかし彼は僕に有利なことはしなかった。少しの弱みも見せなかったんだ。でもとても楽しいレースだったし、それは彼も同じだったと思う」

「僕たちにとって、この奇妙なシーズンのハイライトは間違いなくイモラだった」

 翌2006年にはタイヤルールが変更され、タイヤ交換が復活。その影響もあってか、シューマッハーは輝きを取り戻し終盤まで激しいタイトル争いを演じた。この年のサンマリノGPでは、逆にシューマッハーがアロンソを翻弄。前年のお返しとばかりに、勝利を収めた。ただ、最終的にはアロンソがタイトル2連覇を達成することになる。そして同年限りで、シューマッハーは1度目の引退をすることになる。

 

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Photo by: Motorsport Images

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執筆者 Adam Cooper