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“一応”優勝はしたけど……決して「速くはなかった」F1マシン10選

F1の歴史の中では、本来は優勝候補ではないチームやドライバーが勝利を飾ることもある。今回はグランプリでの優勝を記録したマシンの中で、戦闘力に乏しかったマシンたちを振り返る。

Giancarlo Fisichella, Jordan Ford EJ13

写真:: Sutton Images

 F1で優勝を飾るというのは特別なことであり、トップでチェッカーを受けられるのは無論、突出した速さを持つマシンたちだ。ただもちろん例外もある。気象条件やレース展開によっては、普段は優勝争いに絡めないようなマシンにチャンスが巡ってくることもあるのだ。

 今回はF1で優勝を記録し歴史に名を刻んだものの、決して戦闘力が高いとは言えなかったマシンたちをピックアップする。

1. フェラーリF60

 

Photo by: Andrew Ferraro / Motorsport Images

優勝:2009年ベルギーGP(キミ・ライコネン)
優勝除く最高成績:2位
コンストラクターズ選手権:4位

 2008年のコンストラクターズチャンピオンに輝いたフェラーリは翌2009年、レギュレーション変更の煽りを受けて大きく戦闘力を落とした。“ダブルディフューザー”を搭載するブラウンGPが圧倒的な強さを見せる一方で、F60は新デバイスのKERSを搭載したことで重量バランスが悪く、開幕から中団に沈んだ。

 そんな中、第12戦ベルギーGPの決勝ではセーフティカー出動にも助けられライコネンが首位争いに加わった。最後はポールポジションスタートとなったフォースインディアのジャンカルロ・フィジケラとの争いとなるが、ライコネンはKERSによるブーストを活かしてフィジケラを振り切り、勝利を収めた。

 ただやはり、F60は非常に扱いづらいマシンであったことは確か。それはフェリペ・マッサの代役として後半戦を走ったルカ・バドエルとフィジケラがポイントすら獲得できなかった事実がそれを物語っている。当時のチームマネージャーであるクリス・ダイヤーも「ダウンフォースも(空力)効率も十分ではなかった。ルカもジャンカルロもKERSを使ってのブレーキングでバランスに苦しんでいた」と語っていた。

2. シャドウDN8

 

Photo by: LAT Photographic

優勝:1977年オーストリアGP(アラン・ジョーンズ)
優勝除く最高成績:3位
コンストラクターズ選手権:7位

 1970年代に中堅チームとして活躍したシャドウが唯一の優勝を記録したマシンがDN8だ。DN8は1977年にアラン・ジョーンズの手によって何度か入賞を記録していたものの、勝てるほどのポテンシャルを持ったマシンではなかった。

 しかしエステルライヒリンク(現レッドブルリンク)でのオーストリアGPでは、ジョーンズが濡れた路面を14番グリッドから好走。レース序盤で2番手まで上がると、首位を走るマクラーレンのジェームス・ハントのトラブルによりトップに立ち、優勝を飾った。

 ジョーンズは後年、自伝の中でこのレースを振り返り「あのマシンで勝てたのは偶然だったと思う。新しいマシンを買わないとどうしようもないことは分かっていた。重量オーバーで、ストレートではとても遅かった」と語っている。

3. トロロッソSTR3

 

Photo by: Glenn Dunbar / Motorsport Images

優勝:2008年イタリアGP(セバスチャン・ベッテル)
優勝除く最高成績:4位
コンストラクターズ選手権:6位

 イタリアのミナルディをレッドブルが買収する形で2006年に誕生したトロロッソは、ミナルディ同様にテールエンダーの位置から脱することができずにいた。しかし2008年の第6戦からSTR3が投入されると、セバスチャン・ベッテルがしばしば入賞圏内に食い込む活躍を見せていた。

 そしてイタリアGPで千載一遇のチャンスが訪れた。ウエットコンディション、ベッテルの技術、フェラーリエンジンのパワー、そしてリヤ寄りの重要配分など様々な要素が味方し、ベッテルは予選でポールポジションを獲得。レースでもそのまま逃げ切り、独走でトップチェッカーを受けたのだった。

 ちなみにその12年後の2020年、アルファタウリと名を変えたチームは大荒れのモンツァで2勝目を飾ることになる。アルファタウリAT01もSTR3と似たようなリザルトを残しているが、中団チームが1戦だけレースウィークを支配したというインパクトではSTR3に軍配が上がる。

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4. ティレル011B

 

Photo by: Motorsport Images

優勝:1983年デトロイトGP(ミケーレ・アルボレート)
優勝除く最高成績:5位
コンストラクターズ選手権:7位

 1983年のF1を戦ったティレル011Bは、前年の011を発展改良し、フラットボトム化に対応したマシン。エンジンは伝統的なフォード・コスワースDFV(シーズン途中にDFYに変更)を搭載したが、ターボ勢が猛威を振るう中で低迷した。

 自然吸気エンジン勢が一矢報いることができるのは、ターボのアドバンテージが少ないタイトな市街地コースだった。アメリカ・デトロイトの市街地コースで行なわれた第7戦デトロイトGPではティレルのミケーレ・アルボレートが予選6番手を獲得し、上位陣を追走。ライバルのトラブルやピットストップに乗じて順位を上げ、トップチェッカーを成し遂げた。

 これ以降011Bは入賞を記録することなく、シーズン途中に012にスイッチ。ちなみにこのアルボレートの勝利は、長くF1界を牽引してきたDFVシリーズの最後の勝利となった。

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5. フェラーリ126CK

 

Photo by: Ercole Colombo

優勝:1981年モナコGP、スペインGP(共にジル・ビルヌーブ)
優勝除く最高成績:3位
コンストラクターズ選手権:5位

 フェラーリ126CKは1981年シーズンに2勝を記録しており、このランキングの中で唯一複数回勝っているマシンである。しかし、優勝2回という成績と本来のポテンシャルが釣り合っているとは言い難い1台だ。

 前年にコンストラクターズランキング10位の大不振に陥ったフェラーリは、長年使用された312Tシリーズに代わり、新たにターボエンジンを搭載した126CKを1981年シーズンに投入した。しかしパワーこそあれど信頼性は低く、ハンドリングにも難があったと言われている。

 しかし意外にも、126CKが勝利を飾ったのはハイパワーサーキットではなく低速のモナコとハラマ(スペイン)だった。モナコGPではジル・ビルヌーブがチームメイトのディディエ・ピローニより2秒以上速い予選タイムで2番グリッドを獲得し、レースでは優勝。続くスペインGPでもビルヌーブが7番手スタートから優勝争いに加わり、トップ5台が1.24秒差でフィニッシュする歴史的大接戦を制して2連勝を収めた。

 しかし2台揃って15回のリタイアを記録するなど苦しんだフェラーリは、最終的にランキング5位でシーズンを終えた。

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6. リジェJS43

 

Photo by: Motorsport Images

優勝:1996年モナコGP(オリビエ・パニス)
優勝除く最高成績:5位
コンストラクターズ選手権:6位

 1996年モナコGPでのオリビエ・パニスの優勝は、今も語り草となっているF1屈指の番狂わせだ。当時のリジェはチャンピオンチームのウイリアムズと比べて平均して2.5%落ちのラップタイムとなっており、データ上は11チーム中7番目のチームであった。

 そんなリジェのパニスは雨のモナコGPで14番手からスタートしたが、次々に脱落する上位陣を尻目に順位を上げ、路面が乾いてスリックタイヤに交換した段階ではウイリアムズのデイモン・ヒル、ベネトンのジャン・アレジに次ぐ3番手につけていた。しかしヒルとアレジが相次いでトラブルに見舞われたことで、パニスに優勝が転がり込んだのであった。

 この勝利はリジェにとっては最後の優勝となった一方、エンジンを供給する無限ホンダにとっては初の優勝であった。

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7. ウイリアムズFW09

 

Photo by: Motorsport Images

優勝:1984年ダラスGP(ケケ・ロズベルグ)
優勝除く最高成績:2位
コンストラクターズ選手権:6位

 エンジンサプライヤーとしてF1第2期活動を開始したばかりだったホンダは、1983年末からウイリアムズと手を組んだ。ホンダエンジン搭載のFW09はウイリアムズ初のターボカーであったが、ターボラグへの対処など熟成には手を焼いた。

 そんなFW09が挙げた唯一の勝利は猛暑のダラス。ケケ・ロズベルグは水冷式のデバイスで頭部を冷やすなど暑さ対策は万全であり、7番手スタートから順位を上げていった。

 ロータスの2台を交わしてトップに立ったロズベルグだったが、マクラーレンのアラン・プロストに交わされ2番手に後退。しかしプロストが市街地特有のバンピーな路面に足を取られてパンクしたことでリタイア。ロズベルグがホンダ第2期の初勝利を挙げた。

 以降のレースをほとんどリタイアで終えたFW09だったが、翌年のFW10からは優勝争いの常連に。ホンダエンジンの黄金期が始まっていくことになる。

8. ロータス43

 

Photo by: Motorsport Images

優勝:1966年アメリカGP(ジム・クラーク)
優勝除く最高成績:なし
コンストラクターズ選手権:5位

 1966年〜1967年の5レースに出走し、1勝を記録しているロータス43。特筆すべきは、このマシンは優勝したレースを除けば一度も完走していないという点だ。

 本稿は「速くはなかったマシン集」と題してはいるが、チャンピオンマシンである25、33の後継機として生み出された43は、純粋な速さという面では申し分なかった。実際、クラークは43で毎回のように予選トップ3に入っていた。

 ワトキンスグレンでの1966年アメリカGPでは、クラークが2番手からスタートし、ライバルのトラブルにも助けられて独走で優勝。しかしその他のレースではことごとくエンジントラブルやギヤボックストラブルに見舞われた。特にBRM製のH型16気筒エンジンは重くて信頼性が低い一方でパワーもそれほどだったのだ。

 しかしロータス43はあくまで“繋ぎ”のマシンであり、1967年シーズン途中からは新開発のフォード・コスワースDFVエンジンを搭載した49が登場。ロータスは再び成功を収めることとなる。 

9. ウイリアムズFW34

 

Photo by: Andrew Hone / Motorsport Images

優勝:2012年スペインGP(パストール・マルドナド)
優勝除く最高成績:5位
コンストラクターズ選手権:8位

 F1の歴史では、中団以下のチームが波乱のレースを制して1勝を挙げたケースはいくつかあるが、2012年のウイリアムズFW34に関しては明らかな中団チームであるにもかかわらず、波乱の要素なくしてポールトゥウィンを達成したという稀有な例である。

 2012年のウイリアムズは開幕から予選・決勝ともにトップ10圏内に入れるかどうかというレースが続いていたが、第5戦スペインGPでパストール・マルドナドが予選2番手タイムをマーク。マクラーレンのルイス・ハミルトンが予選失格となったことで、ポールポジションを手にした。

 決勝ではスタートでフェラーリのフェルナンド・アロンソに先行されるも、マルドナドは負けず劣らずのペースで食らいつき、2番手を走行。ピット戦略でアロンソを逆転すると、そのままトップでチェッカーを受けたのだった。

 しかしその後のマルドナドは9戦連続でノーポイントに終わるなど精彩を欠いた。予選では何度かトップ3に入り見せ場を作ったが、トラブルやアクシデント、ペナルティなどでことごとく結果に繋がらなかった。チームメイトのブルーノ・セナも最高位7位に終わり、ウイリアムズはコンストラクターズランキング8位でシーズンを終えた。

関連ニュース:

10. ジョーダンEJ13

 

Photo by: Motorsport Images

優勝:2003年ブラジルGP(ジャンカルロ・フィジケラ)
優勝除く最高成績:7位
コンストラクターズ選手権:9位

 ここまで紹介したチームはそのほとんどが“中団”と言える立ち位置であったが、ジョーダンEJ13に関しては完全なバックマーカーであった。しかし2003年のブラジルGPで奇跡的な優勝を収め、F1優勝マシンとして歴史に名を刻むこととなったのだ。

 スポンサー不足から資金繰りが悪化したジョーダンは、前年のホンダエンジンから型落ちのフォード・コスワースエンジンにスイッチ。シャシーもダウンフォースが不足し、おまけに信頼性も足りない……とてもグランプリで勝てるマシンではなかった。

 しかし第3戦ブラジルGPは雨で大荒れのレースとなった。このレースで8番グリッドを獲得していたフィジケラだったが、セーフティカーランでレースがスタートされると早々にピットインし燃料を補給。この作戦が功を奏し、その後各車がスピンアウトしたりピットインしていく内にフィジケラはみるみる順位を上げていった。

 フィジケラがマクラーレンのキミ・ライコネンを交わしてトップに立った直後、ホームストレートでジャガーのマーク・ウェーバーがクラッシュし、その残骸に巻き込まれてルノーのフェルナンド・アロンソもクラッシュするという大事故が発生。レースは赤旗が振られて終了となったが、レースはどの周回の順位を適用するかで混乱が生じた。当初はライコネン優勝とされたが、のちにフィジケラ優勝に訂正された。

 
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