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儚くも散った天才、ジル・ビルヌーブの生涯(2):「悲劇の遠因となったイモラの事件」

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儚くも散った天才、ジル・ビルヌーブの生涯(2):「悲劇の遠因となったイモラの事件」
執筆:
2020/05/10 10:40

フェラーリF1のスター、ジル・ビルヌーブがゾルダーで命を落としてから38年が経つ。この特集ではビルヌーブの最後の週末とそれに至るまでの出来事を振り返っていく。今回はその第2回だ。

 5シーズン半という短いキャリアながら、今もなお人々の記憶に残り続けている伝説のF1ドライバー、ジル・ビルヌーブ。そんな彼の半生を振り返る特集の第2回は、彼が事故死を遂げる1982年ベルギーGPの直前に行なわれたサンマリノGPに焦点を当てる。

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 1982年、3年ぶりのタイトル獲得を目指すフェラーリは、大胆な改革に出た。イタリア人がマシンをデザインするという伝統を断ち切り、最新技術を知るイギリス人デザイナーを雇うことにした。フェラーリ創始者のエンツォ・フェラーリも、ドライバーのビルヌーブとディディエ・ピローニに、競争力のあるマシンの提供を約束した。

 ニューマシンのデザイナーとして白羽の矢が立ったのは、ウルフやフィッティパルディで仕事をしていたハーベイ・ポストレスウェイトだった。彼がデザインしたフェラーリ126C2はテストでも好調な走りを見せていたため、ビルヌーブの初タイトルも夢ではないと思われた。

 ビルヌーブは開幕3レースで2度のリタイアと1回の失格という結果に終わったが、予選では開幕戦南アメリカGPで3番手、第2戦ブラジルGPで2番手に入るなど、ピローニを上回るパフォーマンスを見せ、同時に126C2のポテンシャルの高さも証明した。

 第4戦はイタリア・イモラにあるエンツォ・エ・ディーノ・フェラーリ・サーキットを舞台に行なわれたサンマリノGP。エンツォの亡き息子の名前を冠した、フェラーリにとっての地元レースである。ここでビルヌーブの運命を左右する事件が起きることとなる。

■ビルヌーブとピローニの関係に大きな溝を作った、イモラの事件

トップチェッカーを受けるピローニ(写真手前)。ピローニに裏切られたと感じたビルヌーブは憤慨した

トップチェッカーを受けるピローニ(写真手前)。ピローニに裏切られたと感じたビルヌーブは憤慨した

Photo by: Ercole Colombo

 サンマリノGPを前にして、FISA(国際自動車スポーツ連盟)とFOCA(フォーミュラ・ワン・コンストラクターズ・アソシエーション)というふたつの団体による抗争が勃発。いわゆる“水タンク”使用による失格騒動を巡り、処分を受けたブラバム、ウイリアムズらが所属するFOCA側のチームの多くが、サンマリノGPをボイコット。エントリーしたのは、FISA側のチームを中心とした14台のみだった。

 この中で優勝を争うポテンシャルを持つチームは、フェラーリとルノーのみという状況。予選の結果、ルネ・アルヌー、アラン・プロストのルノーが1列目、ビルヌーブ、ピローニのフェラーリが2列目に並んだが、決勝では信頼性に乏しいルノー勢が序盤で脱落し、早々にフェラーリのワンツー体制が完成した。

 フェラーリの2台がランデブー走行で他を寄せ付けず独走する中、チームは燃料消費への懸念から、ふたりのドライバーに『SLOW』と書かれたピットサインを出した。ピローニの前を走るビルヌーブは、これが「フィニッシュまでこの順位を維持すること」を意味すると解釈した。

 ビルヌーブは燃料に気を配りながらペースを緩めていたが、そんな中でピローニが彼の前に立った。最初は驚いたビルヌーブだったが、ピローニは大金を払ってレースを観に来てくれたファンが退屈しないよう、レースを盛り上げるために一時的に前に出たのだと思った。

 しかし、一旦はビルヌーブが前に出たものの、ピローニは再度ビルヌーブをオーバーテイク。そのまま譲らずトップチェッカーを受けてしまったのだ。

 マシンを降りたビルヌーブは、いつになく怒っていた。ピローニに勝利を盗まれたと感じていたからだ。それもフェラーリの本拠地で、多くのファンが見守る中で……。彼は説得された末に表彰台に登壇したが、優勝したピローニを祝福することを拒否した。信頼と敬意を重んじる男だったビルヌーブは、金輪際ピローニと口をきかないと誓った。

■親友シェクターが語る、ビルヌーブの“長所であり短所”

サンマリノGPの表彰式。シャンパンファイトをするピローニを遠目で見つめるビルヌーブが印象的な1枚

サンマリノGPの表彰式。シャンパンファイトをするピローニを遠目で見つめるビルヌーブが印象的な1枚

Photo by: Motorsport Images

 そんな状況の中、ビルヌーブはかつてのチームメイトと話をした。強固な信頼関係を築いていたジョディ・シェクターだ。

「我々は(コンビを解消した後も)個人的なことについて少し話したりしていたが、それからは1年以上会っていなかった」とシェクターは回想する。

「しかしながら、ピローニが彼をオーバーテイクした1982年のイモラの後、彼は私に電話をかけてきて、ふたりでヘリに乗ってモデナまで行った。彼ら(ビルヌーブとピローニ)の関係には議論の余地があると思う。少なくとも私はそう感じた」

「我々はたくさんのことを話した。彼はイモラで起きたことを残念に思っていた。そして我々がいかに良い関係を築いていたかに改めて知った。我々はお互いに裏切ることなく、誠実でオープンな関係だったが、ピローニとはそうではなかった。ただ彼自身もそうなるとは思っていなかっただろう」

「ジルは本当に、心の底から誠実な男だった。ひとつ弱点を挙げるとするならば、彼は誠実であると同時に純粋無垢で馬鹿正直な人間であったということだ」

「彼はピローニを信頼していた。それが大きな影響を与えただろう。正直で純粋すぎる人間は、何かが起こった時にそのショックが大きいんだ。詐欺師はそういうところを利用するのだろう……」

 そしてフェラーリのふたりは大きな遺恨を抱えたまま、ベルギーGPが行なわれるゾルダーへと向かった。イモラでの事件がこの後さらなる悲劇を生む遠因となろうとは、誰も知るよしもなかった。

【第3回(最終回)へ続く】

 

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この記事について

シリーズ F1
ドライバー Gilles Villeneuve
執筆者 Adam Cooper