千代勝正が”かつての職場”で語る、プロになる決意を固めた日【連載|ドライバーと食べながら話そう】
現役ドライバーがかつてアルバイトをしたレストランで、ドライバーの本音を聞くこのシリーズ。1回目は、千代勝正選手に話を聞いた。
写真:: 奥宮 誠次
新しく始まった「食べながら話そう」シリーズ、国内レースを戦う若手から中堅ドライバーに本音を聞くシリーズだ。ゆっくり話を聞くには食事でもしながらという発想だが、実は駆け出しの頃、飲食店でアルバイトをしていたドライバーが多いと聞いて、彼らが昔働いていた店で今回は客として食事しながら話を聞こうというところから、この企画が始まった。
第一回目はスーパーGTで活躍するNISMO契約の千代勝正選手。彼には銀座の料理屋「かいど」で話を聞いた。実はこの店、かつては「かこみ」という名前で、ミハエル・シューマッハー、ジャン・トッドなども顔を出したという名店。15年前、その「かいど」の厨房で千代が勉強してきたことは……。
■千代勝正がプロになろうと決意した日
千代勝正と食べながら話そう
Photo by: 奥宮 誠次
千代勝正は2006年の全日本カート選手権最終戦で素晴らしい走りをし、そのレースを見に来ていたニスモ関係者の目に止まってオーディションに誘われた。
「それまではカートに参戦するのに精一杯で、フォーミュラの経験がほとんどなく、正直準備不足でした。しかし、ニスモのオーディションの前にトヨタのFTRSを受講していたこともあり、なんとか合格をいただきました。次の年からニッサン・ドライバー・デベロップメント・プログラム(NDDP)の育成メンバーに加えてもらい、FCJに参戦させてもらいました」
オーディションに受かってからも、レースのない日はアルバイトに精を出した。2007年、FCJを戦いながら片山右京事務所でアルバイトをした。何勝かしたが、タイトルには届かなかった。その合間に参加したカートレースで銀座の料亭「かいど」(当時は「かこみ」)の谷口彰史に会い、「うちにもアルバイトに来ないか? うちに来たらいろんな人に会えるよ」と誘われた。
「かこみ」でアルバイトを始めると、実際にいろんな人に知り合えて、応援をしてもらえるようになった。実はこの店、ミハエル・シューマッハーを始めジャン・トッド、ロス・ブラウンなど当時のフェラーリのトップが訪れたこともある店だった。その頃から、千代のレーシングドライバー人生は少しずつ坂を登り始めた。
幼い頃からクルマ好きで、運転免許を取るのが待ち遠しくて、15歳の時に自分のカートを手に入れ、高校1年生の時にレースに参加した。グランツーリスモで鍛えたので自信たっぷりだったが、一緒に走った子供達の後塵を浴びた。その時千代を負かした子供達は千代より一回り若いが、いま日本のレース界で活躍するドライバーに成長している。子供達にカートで負けた千代は、生来の負けん気が頭をもたげ、レースで勝つために出来ることをすべて行なった。練習時間を捻出するために普通高校を辞めて定時制に移った。家族はこの千代の行動を応援こそすれ、反対はまったくしなかった。父親の正行はフリーのミュージシャンだったので、息子が進んで自らの道を切り開く姿を見て、自分の若い頃を思い出していた。いまでは押しも押されもせぬ我が国随一のスタジオ・ミュージシャンの父だが、若い頃は息子と同じように我が道を突っ走った。
「父は多くの作曲・編曲や有名歌手のギター演奏などをやって、大晦日は必ず紅白に出ていました。有名なのは『山口さんちのツトムくん』の編曲で、小さい頃から自慢の父でした」
しかし、千代は父親の辿った道は歩まず、音楽の道には進まなかった。
レースではFCJ、F3と戦い、2011年に全日本F3選手権Nクラスのチャンピオンになった。15歳でカートを始め、ニッサンのオーディションに受かったのが20歳。しかし、ニッサンの育成メンバーになったとは言え、様々な面で活動資金は必要。その資金集めをするとトレーニングの時間が取れない。苦労の日々だった。そして心に決めた。25歳までに結果が出なければレースは諦めて、違う道で生きていこう。そして運命の2011年F3最終戦。千代は奇跡の大逆転でチャンピオンを獲得した。優勝、ファステストラップが必須。加えてタイトル争いをしていた野尻智紀が4位以下という条件だった。それを千代はすべてクリアした。
「この時、野尻君がポールポジション、僕が4番手からのスタートでした。さすがに駄目かもしれないと思ったのですが、最後のレースになるかもしれないからとにかくベストを尽くそうと無心で走りました。その結果、すべてが僕に転がり込んできたんです。諦めなくて良かったと思いました。泣いちゃいましたよ」
その日、「よし、プロでやっていこう!」と、千代は決心した。
■千代勝正が目指すレーシングドライバーのカタチ
#35 NISMO Athlete Global Team Nissan GT-R NISMO GT3: 2015年バサースト12時間
Photo by: Paul Tippins
翌2012年、ニッサンは千代をスーパーGTの300クラスのドライバーに起用した。しかし、プロになった千代は再び茨の道を歩むことになる。
「300では結構苦労しました。1年目は環境に慣れるのに時間がかかりましたし、2年目は、プライベートチームからの参戦になりました」
ところがそこで終わらないのが千代勝正である。彼は日本でシートを失った2014年、ニッサンから海外のレース参戦を勧められヨーロッパへ飛び立つのだ。ヨーロッパでは2年間レース漬けの日々を過ごした。この2年間は千代にとれば何ものにも代え難い貴重な時間だった。
「素晴らしい経験でした」と千代は言う。
「ヨーロッパではGT3のレースに出たんですが、とにかく速いドライバーが大勢いるんです。レースは日本のGTレースの3倍くらいのエントリーで、ドライバーは日本のトップクラスレベルがうじゃうじゃいた。世界には速いドライバーがこんなにいるんだと知りました。日本のレースで優勝して鼻高々になっていた自分が恥ずかしくて。ヨーロッパで会ったドライバーは走りで力を示し、自分の価値を評価してもらい、チームやメーカーと契約しています」
千代はそういうドライバーにならないといけないと思った。GTレースをやりにヨーロッパに行く日本人ドライバーはほとんどいない。千代はヨーロッパのGTレースを経験して自分の成長を認識できた。
「ヨーロッパのレースから多くのことを学ばせて頂きました。ドライバーは新しいコースに行ってもいきなりそのコースを攻略して凄いタイムを出す。ヨーロッパの選手が日本に来ていきなり速い理由は分かりました。そのことを学べたのは貴重な経験でした」
ヨーロッパから帰り、2015年、オーストラリアのバサースト12時間レースに挑戦して事故と優勝を経験し、また一回り大きくなった。この年にはGT300クラスでチームタイトルを獲得、ヨーロッパではブランパン耐久シリーズにも参戦して見事日本人初のチャンピオンに輝いている。そして2016年、ニッサンからGT500のシートを与えられて、いよいよ我が国最高峰のレースに出場することになった。しかし、初年度の開幕戦で3位表彰台を得た後は長いトンネルに迷い込み、苦悩する日が続いた。クルマにトラブルが発生した時もあったが、自身のミスでレースを失ったときもあった。千代はとにかく考えすぎてしまい、自分にプレッシャーを掛けてしまうドライバーだった。
「考えすぎるところはありましたね。ここで結果をださなければと思うから、頑張りすぎて、それが失敗に繋がってしまいました。誰よりもレースに人生を懸けてきた思いがあったので、それがむしろコース上でのパフォーマンスを邪魔していました。そのことに気づいた後は、吹っ切れました。考えても考えなくてもやることは決まっているので。結果がどっちに転んでも自分で受け入れる覚悟が出来たら、自然と持ち前の力が出せるようになりました」
千代勝正の考え詰める性格は、現在のように押しも押されもせぬトップドライバーになっても変わらないが、人間の性格はそう簡単には変わらない。
「僕はオーディションのような評価される場所で、人と比べられるのが大嫌いなんです。そういう場所に行くと自分をよく見せようとして変な力が入ってしまう。僕が好きなのはみんなと一緒に頑張って結果を出し、達成感をみんなで喜ぶ時です。僕個人が評価されようがされまいがどうでもよくて、チームで戦って結果が出たときの達成感です」
チームがドライバー選考をする場面も大嫌いだ。来年誰を走らせる? 彼を走らせてみようか? というような場面はいたたまれないという。もちろん、それがなければそのドライバーは来期のレースでは走れないのだけれど……。
それはさておき、千代には現在のドライバーとしての立場をもっと有効に使いたいという考えがある。ポジションを得るために必死に藻掻いていたときには思いもつかなかったことだが、いつからか精神的な余裕ができたのか、考えるようになった。
「レーシングドライバーの役割は、コース上で速く走ることだけではなく、社会のためにできることがもっとたくさんあると考えています。僕のパーソナルスポンサー企業が日産のEV『サクラ』導入を決めてくださいました。これはモータースポーツを通じて企業が繋がった証です。それに、EVに興味を持っていただいたということは、社会全体のCO2削減も考えていただいていると言うことです。またモータースポーツは地方遠征がほとんどです。僕は別府市の観光大使をやらせて頂いていますが、モータースポーツ関係者、ファンの皆様がレースをきっかけにその地に足を運ぶことで、地域の活性化や観光業へ貢献できると考えています」
短絡的な考えかもしれないが、他にも交通(安全)問題に関する活動ではドライバーは力を発揮出来るはずだ。千代には活動を始めてもらいたいし、彼のような考えを持つドライバーにもっと出て来てもらいたい。自動車メーカーももっとドライバーにレース以外の社会活動に携わる機会を与えよう。これまで彼らを育て上げたお返しを、レース以外で返してもらおう。
■タイヤ内圧0.05気圧、車高調整0.5ミリの戦い
#3 CRAFTSPORTS MOTUL Z
Photo by: Masahide Kamio
本業のレースでは、今年千代はいくつかドラマを経験した。まず、ニッサンが今年から投入したZの性能が高く、これは嬉しいニュースだった。千代がGT500にデビューした当時のクルマはGT-R。今年初めてGT-R以外のクルマでレースに臨んだ。Zは直線スピードが改善され、ダウンフォースも必要な所では満足に手に入った。SUPER GTのレギュレーション下では、GT-Rはボディ形状で空力的に限界があったが、Zではそれが改善された。現在Zを走らせるニッサンチームは4チームあり、その4チームが一丸となって開発した結果が出たと千代は考えている。
「ドライバーの意見を取り入れて開発してくれたのが結果として表れたと思っています」
とはいえ、GT-RとZは駆動系や足回りは基本的に変わっていない。ボディ形状が変わったところが空力性能向上に寄与していると言える。運転はしやすくなっているところもそうでないところもあるが、速くなって好タイムが出るのは運転していて気持ちが良かった。
そのZで臨んだスーパーGT第2戦富士ではチームメイトの高星明誠が大クラッシュ、Zはわずか2戦でスクラップと化した。高星に怪我はなく、千代の最大の懸念は杞憂に終わったが、事故の激しさを見ると高星は本当に幸運だったと千代は思った。そして、これこそドラマだが、次戦の鈴鹿でのレースで新しく作りあげられたZを駆った千代は高星と共に劇的な優勝を飾ったのだ。なにより、激しい事故の後遺症もなく力を発揮した高星に千代は感心した。
現代のレースは様々な要素が絡まり、それをひとつひとつ解いていきながらゴールを迎える。最初から上手く解くことが出来ればゴール時点で上位に付けることが出来、優勝が手に入ることがある。ところが絡まった糸が解け難いように、レースを構成する要素も簡単にはほどけない。もちろんドライバーだけで対応出来るものではないが、ドライバーは重要な役割を担う。例えば2人のドライバーが組んで走るスーパーGTでは、ドライブする順番ひとつ取っても勝敗に影響することがある。千代は大抵のレースでスタートを任される。その理由を千代はこう説明する。
「僕もスタートが好きな訳ではありません。ただ任されるようになってから自分なりに研究をして、順位を上げる場面をいくつか作れているので、任せてもらえるのかなと。何度かぶつかったりもしましたが、最近は安心して見てもらえるようになったと思います(笑)」
スタートはリスクが高い。混雑する第1コーナーでは他車と接触する可能性も高い。だから、スタートを好むドライバーは少ない。もちろん後半を担当するドライバーにリスクがないとは言わないし、前半を走るドライバーとは違った苦労もある。
「いまのGTレースは前半と後半でやる仕事が違うんです。前半はポジション争いをしながら、燃費やタイヤに気を遣います。後半は冷えたタイヤでのアウトラップのスピードが重要ですし、タイヤを最後までマネジメントしながら、コース上では最終の順位を争うことになります。また前半はタイヤの状況を把握して後半どのタイヤを選ぶか伝えなくてはならない。現在は高星君より僕の方がミシュランでの経験が長いので、チームに次はどのタイヤを選んだらいいかアドバイスしやすいという面でも前半担当なのかもしれません」
タイヤの話になったので、興味ある話を続ける。レースではよくタイヤ・マネージメントという言葉が出て来る。あのドライバーはタイヤ・マネージメントが上手いとか。タイヤをマネージするというのは一体どういうことだろう。千代に説明してもらおう。
「例えばフロントタイヤがグレイニングと言ってささくれるような時は、なるべく舵角を少なくしたり、コーナーにも様々な種類のコーナーがあって、それを見極めて抑えるコーナーと頑張るコーナーを分けたりします。またリヤタイヤが熱を持つとブリスターが出来やすくなりますが、それでタイヤがブローしそうだとなれば、コーナーの立ち上がりのトラクションのかけ方を優しくするとか、あるいは横方向の力が入らないように縦にかけるとかします。タイヤを縦で使うのと横で使う割合の配分と、時間とか強さの調整をしていく感じです」
レースをやったことのない人には理解が難しいかもしれないが、とにかくドライバーはレースの間中タイヤのことを考えながら走っているということだ。単純にアクセルを踏んでいるだけではないのである。千代がさらに続ける。
「GT500くらいのパワーがあると、アクセルを踏んだ時にリヤが滑り出すので、グリップの低下は感じます。それに、サーキットは右コーナーと左コーナーの数が違うので、右のタイヤをケアした方がいいのか左なのか少しずつ調整していきます。例えば右コーナーで頑張れなかったらタイムが落ちるので左コーナーを頑張るとか、4本のタイヤを1周の間にどのような配分で使うとかですね。500のライバルと争いながら300をかわしながら色んなことを考えてますね。それで、そのフィーリングを交替する後半のドライバーに伝えるんです」
タイヤの使い方がこれほどレースの流れに影響を与えだしたのはいつだろう。かつてはタイヤの話よりクルマの操縦性などに話が及ぶことが多かった。アンダーステアだオーバーステアだ、という話だ。しかし考えてみると、クルマの操縦性はタイヤの性能に負うところが大きい。アンダーステアやオーバーステアという現象は、そもそもタイヤの性能に拠る現象だ。となると、レースにおけるタイヤの重要性はずっと以前から語られていたということだ。ただ、かつてのタイヤは現在の様に用途に合わせて開発されることは珍しく、今より性能も低く、ドライバーの評価も大雑把だったはず。とにかく現在のレーシングタイヤはとことんまで突き詰めた性能を有し、ドライバーはそのゴムの塊に鞭を入れたり宥めすかしたりしながらクルマを走らせる。それが現在のレースだ。
ここまで来たら、もっと細部に分け入ってみよう。千代の説明は驚くものばかりだ。
「予選の空気圧の設定は、非常に繊細です。決勝では何周も走ってターゲットの内圧を合わせられますが、予選は一発勝負です。その時の路面温度とアタックに入るまでの暖め方、何周目にアタックするかによって空気圧の上がり方も変わります、またスーパーGTはタイヤウォーマーの使用が禁止されているため、走行前の日射によってタイヤを温められている度合いによっても変化します。そのため走行の直前まで0.01単位での調整をしています。鈴鹿のレースでは、その内圧設定がドンピシャリとはまり、最初から最高のグリップで走れました。ミシュランのエンジニアとの長年のトライ&エラーの合わせ技で決まったと思っています」
「車高の調整も非常に重要です。0.5ミリ単位で調整しています。0.5ミリ変わればクルマの挙動が変わります」
こういう話になると終わりが見えない。話す要素はまだまだある。走行中のクルマのバランスの変化、レースが進み燃料を消費して重量が変わってきたときの挙動やタイヤに与える力の変化、予選とレースのクルマやタイヤの使い方の違い……。千代ほどの経験を積んだドライバーでなければ分からない事象が次々と出て来る。
レースはかくも複雑で、タイヤをひとつ例に取っただけで語ることはこれ程までに多い。そして、レースを形成する要素はごまんとある。クルマを見れば部品を止めるネジひとつにも工夫があり、部品点数1万点以上と言われるエンジンには1万点以上のアイデアが詰め込まれている。勝敗を左右するレース戦略は何通りもありチームはそれを臨機応変に使い分け、ドライバーはそれに対応して走りを変える。トップクラスで勝利を重ねるチームやドライバーは、そうしたほとんど極限状態の中で何時間にも及ぶレースを戦う。
千代勝正のプロフェッショナルとしてのレーシングドライバー人生が2006年のニッサンのNDDPオーディションに受かった翌年から始まったとしたら、彼はこの過酷な世界で15年以上生きてきたことになる。いくつもの勝利を経験したが、いくつもの結果に落胆し、いくつも危険な目にも遭ってきた。それでもレーシングドライバーという職業を辞められないのは、レースの世界には答がないからだろう。
今週のレースに勝ってもまた来週レースがあり、そこで勝てる保証はない。求める答はドンドン先に行ってしまう。プレッシャーが両肩に重い。人と比べられるのが大嫌いな千代だが、その最たる世界であるレースという舞台で走り続ける。千代勝正は手に入らない答えを追いかけるのが好きなのかもしれない。
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