【F1特集】全てはここから始まった。ロータス78……グラウンドエフェクトカー時代の原点と結末を今振り返る

2022年からグラウンドエフェクトカーが復活したF1。その始まりは革命的なロータス『78』にある。そしてその原点を振り返るには、これほどの好機はないだろう。

【F1特集】全てはここから始まった。ロータス78……グラウンドエフェクトカー時代の原点と結末を今振り返る
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 コリン・チャップマン率いるロータスは、1960年代から70年代初頭にかけて、F1に『25』や『33』、そして美しい『49』、『72』といったマシンを投入し、グランプリシーンを席巻した。特に1968年の『49B』では、F1に初めてウイングの概念を持ちこみ、一時代を築いた。

 しかし1974年以降、72や新しく投入した『76』や『77』は思い描くパフォーマンスを発揮せず、チャップマンやチームメンバーを悩ませるようになった。トップへ返り咲くためには“全く新しいマシン”が必要であり、チャップマンは次期型の『78』が全く別のマシンになると信じて疑わなかった。

グラウンドエフェクトカーの誕生と昇華

 チャップマンは、第二次世界大戦中にイギリス空軍で使用されたデ・ハヴィランドの戦闘爆撃機『モスキート』の主翼下部に設けられたラジエターを研究し、そこから吹き出す熱風が揚力を生み出すことを発見した。これをF1マシンに転用すれば、ダウンフォースを高められると踏んだのだ。

 このプロジェクトを、チャップマンは技術責任者のトニー・ラッドへ託し、ラッドはチーフデザイナーのラルフ・ベラミーや空力の”スペシャリスト”ピーター・ライトらと共に研究開発チームを組んだ。

 ライトは、様々な形状の縮尺モデルをイギリスのインペリアル・カレッジの風洞に持ち込んだ。そして排熱の有効活用に関する実験を続ける中で、偶然にもあるモノを発見した。

 ラジエターを装備したサイドポッドに前傾を付けた縮尺モデルを風洞で走らせていると、サイドポッドハウジングが路面へ吸い付けられたのだ。速度が上がるに連れてその力は強まっていき、下面の気密性を高める厚紙をマシン側面に貼ると、ダウンフォース量は急増した。

 下面の逆翼構造により、そこを流れる空気が圧縮され、流速が上昇し低圧部が生まれる。マシン上面との気圧差により、ダウンフォースが発生したのだ(これをベンチュリ効果という)。そして、搭載されるサイドスカートにより外気をシャットアウトすることで、さらにダウンフォース量は増加した。加えて、マシン下面で多くのダウンフォース量を稼ぎ上げることから、空気抵抗にもなりうる巨大なフロントウイングやリヤウイングの必要性は減り、ストレートスピード向上にも寄与することになる。

 この時グラウンドエフェクトカーが“産声”を上げたのだ。

Lotus 78 1977 detailed overview
Lotus 78 1977 detailed overview

Photo by: Giorgio Piola

 とは言え、グラウンドエフェクトに繋がるマシン下面の空力利用というのは、F1では全く新しいアイデアではない。ラッドはこのコンセプトをBRMでテストしたことがあり、脚光を浴びることはなかったものの、ライトはマーチ『701』のサイドポッドに逆翼型の燃料タンクを装備させていた。

 ライトから風洞実験の結果を聞いたチャップマンは、このプロジェクトにゴーサインを出した。デザインとエンジニアリングの両面で推敲を行ない、再び風洞実験を重ねた後、投入に向けて開発が既に進められていた78のデザインに組み込んだ。くさび型のマシン形状と内部レイアウトは旧型モデルを踏襲したものの、新型の78はより頑丈でスリムなモノコックを採用。ボディワークには軽量のファイバーグラスが用いられ、シャシーにはアルミニウム・ハニカムが使用された。

 ロングホイールベースに、マシン重量分配の改善、細部の空力パーツの改善も施されたが、マシン下面が78の全てだと言えよう。

 加えて78では、モスキートに着想を得て設置されたラジエターからの排熱により、マシン上部を温かい空気が通り、下面との気圧差が増幅。ダウンフォースがさらに大きくなることでグリップ力が高まり、コーナリングスピードは向上していった。また下面の低圧状態を確保するサイドスカートには、テストや77へ試験投入したマシンではブラシが使用されていたものの、実戦では気密性と耐久性の高いセラミックを接地面に使用した可動式の樹脂板に変更された。

「ジョン・プレイヤー・スペシャル・マーク3」と呼称される78は5台が製造され、1976年半ばにはレースへ出られるまでの完成度に至っていた。この時既に、チームは「自分たちは何か特別なモノを生み出した」と確信していたという。

 当時ロータスのエースドライバーを務めたマリオ・アンドレッティは、イギリス・ノーフォークにあるヘセルのテストコースで78の走行を重ね、まるで「地面に絵を描いている」かのようだったと78でのドライブを表現した。

 78の出来に感銘を受けたアンドレッティは、78を1976年シーズン中に投入するようチャップマンに迫ったが、ロータスがその年のタイトルからは遠く離れていることを理解していたチャップマンは、スカートをつけた不思議なマシンの手の内を隠したいと考え、78の初陣は1977年シーズンの開幕戦アルゼンチンGPまでお預けとなった。

 その予選ではアンドレッティが8番手、チームメイトのグンナー・ニルソンが10番手。決勝レース前のウォームアップ走行でマシンに搭載されていた消化器が爆発したアンドレッティは、ニルソンからマシンを借りてひとり決勝グリッドに並んだ。ただそのアンドレッティもレース残り2周というところでリヤホイールのベアリングにトラブルが発生し、5位完走扱いのリタイアとなった。

Gunnar Nilsson, Lotus 78 Ford
Gunnar Nilsson, Lotus 78 Ford

Photo by: LAT Images

 第2戦ブラジルGPでは、ニルソンが5位入賞。アンドレッティは第2戦と続く第3戦南アフリカGPでもリタイアとなったが、ロングビーチを舞台に行なわれる第4戦アメリカ西GPでは、予選2番手から78の初勝利をチームにもたらした。

 ただそのレース大半を支配していたのは、ウルフのジョディー・シェクター。シェクターのタイヤが残り2周というところでスローパンクチャーを起こしたことで、2番手走行中のアンドレッティに勝利が転がり込んできたのだ。

 続くスペインではアンドレッティがポール・トゥ・ウィン。雨のゾルダーで行なわれた第7戦ベルギーGPではニルソンが優勝し、第9戦フランスGPでアンドレッティが再び表彰台の頂点に立った。

 しかし勝ち星が4に増えたこの時も、78は解決すべき問題を抱えていた。低圧部を作り出すマシン下部のベンチュリトンネルがマシンのかなり前方部に配置されていたため、空力バランスを取るための巨大なリアウイングが装備されていた。ダウンフォースを必要としない高速サーキットでは、大きなウイングは空気抵抗以外の何物でもなかったのだ。特定のサーキットでは苦戦を強いられるも、小さいウイングが開発されるとアンドレッティがモンツァでのイタリアGPでシーズン4勝目を飾った。

 78に搭載されていたフォード・コスワースDFVのV8は、ニキ・ラウダが駆るフェラーリ『312T2』搭載の水平対向12気筒よりも信頼性では勝っていたものの、パワー面では後れを取っていた。そこでフォードはスピードを追求しようとするも、結果として信頼性がトレードオフとなり、アンドレッティはシーズン中に5度のエンジントラブルに見舞われることとなった。結果として、アンドレッティはラウダよりも多い7回のポールポジションと4勝を挙げながらも、この年にタイトルを獲得することは出来なかった。

 それでもアンドレッティはこの78を愛していた。

もし「完璧なグラウンドエフェクトマシン」を選べと言われたら、(正常進化型の)ロータス『79』ではなく78を取るだろうね

マリオ・アンドレッティ

 他チームもシーズン最速の78に追従すべくコピーを試みるも、マシン下部に隠された”秘密”を隠すスカートと、ロータスの秘密主義がそれを難しくした。ロータスは1978年も同じ78でシーズンを迎えたが、アンドレッティと新加入のロニー・ピーターソンは開幕3戦で2勝を挙げるほどの強さを誇った。

Mario Andretti Lotus 78 Ford leads James Hunt McLaren M26 Ford, Gunnar Nilsson Lotus 78 Ford, Jochen Mass McLaren M26 Ford and Alan Jones Shadow DN8 Ford at the start
Mario Andretti Lotus 78 Ford leads James Hunt McLaren M26 Ford

Photo by: LAT Images

 1978年はメキシコ人のヘクトール・レバークが、78をロータスから購入して自チームで走らせていたが、ワークスチームとして使用した78のポディウムは、ピーターソンが第6戦ベルギーGPで獲得した2位が最後。ロータスは、グラウンドエフェクト面で飛躍的に進化を遂げた新型の79を、時を同じくして本格投入し、アンドレッティがポール・トゥ・ウィンを飾った。

 新しい79では、燃料タンクがコックピット後ろにまとめられ、両サイドのポッドに完全な逆翼形状を持ち、エキゾーストは上方排気へと変更。78で学んだモノを、79で昇華させた。もちろん、問題がゼロだった訳ではなく、増加したダウンフォース量と比較して、アルミのシャシーは明らかな剛性不足だったとも言われている。

 悲劇にも、第14戦イタリアGPのフリー走行で79を破損させたピーターソンは、旧型の78で決勝レースに臨み、スタート直後のクラッシュに巻き込まれる形で重症を負い、後日息を引き取った。

 アンドレッティはこの年、計6勝を挙げドライバーズタイトルを獲得。ピーターソンの2勝を合わせ、ロータスが16戦中8勝、ポールポジションは11回と暴れまわり、コンストラクターズタイトルにも輝いた。

グラウンドエフェクト時代の到来と幕切れ

 ロータスは78、79でF1で再び王座に返り咲いたが、その”帝国”は長くは続かなかった。”本家”ロータスはさらにグラウンドエフェクトを追求した『80』を手懐けることに苦戦している間に、ロータスのマシン下部に隠された”秘密”を知った他のチームがグラウンドエフェクトカーで追従を開始したのだ。

 1979年にはフェラーリがこれまでのマシンをグラウンドエフェクトカーへ改良した『312T4』、ウイリアムズが79を模倣した『FW07』を投入。この年を皮切りに、F1はグラウンドエフェクト時代へと突入する。

 各チームは、マシン中央のスリムな高剛性シャシーにコックピットと燃料タンク、そしてエンジンを縦に配置し、マシン左右にベンチュリトンネルと可変式スカートを設けたマシンを次々投入。様々な形状を持つマシンがグリッドを彩り、フロントウイングでは空気抵抗を減らしグラウンドエフェクトを最大化するために、ウイングレスを選択するチームも少なくなかった。

Start: Nelson Piquet, Brabham BT49C leads

Start: Nelson Piquet, Brabham BT49C leads

Photo by: Motorsport Images

 1980年シーズン終盤には、グラウンドエフェクトカーの飛躍的な進化により、人間の限界を越えてしまう可能性を示唆する声も大きくなり、翌1981年シーズンからは可変式スカートが禁止され、最低地上高は60mmと定められた。しかし、この規定には大きな抜け穴が存在した。コース上に出てしまえば最低地上高を測る術がないことに気がついたブラバムのゴードン・マレーは、規定変更にいち早く対応し、油圧と空気圧で車高を10mmまで下げる車高調整装置を『BT49C』に搭載。1978年のファンカーこと『BT46B』に続いてブラバムは奇策を取り、ネルソン・ピケが3勝を挙げ初のタイトルに輝いた。

 グラウンドエフェクトによりコーナリングスピードが格段に上がったことで、ラップ毎の平均速度も飛躍的に向上。同時にドライバーたちは、凄まじい横Gに苦慮することになった。

 何らかの理由により下面の気密性を保つスカートが破損すれば急激にダウンフォースが抜け、スピンを喫しマシン後方から大量の空気が流入するとマシンは文字通り舞い上がる。そして、マシンそのものやコースサイドの安全性は現代のように担保されていなかった。

 またスカートが固定化されてからは、失われたダウンフォースを取り戻すべく、コース上でのサスペンションストロークを最小限に設定するチームも少なくなかった。ドライバーは、地面からほぼそのまま伝わる激しい振動を、身体ひとつで受け止めることになったのだ。加えて、パワーステアリングを持たない当時のマシンのステアリングは非常に重く、ダウンフォースの出る高速セクションでは回避行動を取ることすら困難だったという。

 グラウンドエフェクトカーに続いて本格的な1.5リッターターボ時代へと突入する中で、1982年シーズン開幕を迎えても、F1は高速化が止まらないマシンたちの歯止めをかけられないでいた。1980年にはテスト中にパトリック・ドゥパイエ(アルファロメオ)が亡くなり、1982年のベルギーGP予選ではジル・ビルヌーブ(フェラーリ)がクラッシュにより命を落とした。その他にも重大事故が相次ぎ、F1内部での政治的な対立も一因ではあるが、1982年限りでのグラウンドエフェクトカー廃止が決定した。

F1に第2期グラウンドエフェクト時代到来

 翌1983年シーズンからF1にはフラットボトム規定が導入され、78から始まった短いグラウンドエフェクト時代は一旦幕を閉じたが、2022年に再びF1にグラウンドエフェクトカーが帰ってきた。無論、ディフューザーなどといった形でのマシン下面の空力利用は常にF1で見られていたモノではあるが、2022年のF1マシンには”れっきとした”ベンチュリトンネルが設けられる。第2期グラウンドエフェクト時代の到来と言っても過言ではないだろう。

Sergio Perez, Red Bull Racing RB18

Sergio Perez, Red Bull Racing RB18

Photo by: Alessio Morgese

 フロントウイングやリヤウイングなどの空力パーツでダウンフォースを稼ぐコンセプトを続けてきたF1は、それらによって引き起こされる後方乱気流(ダーティエアー)に長年頭を悩ませてきた。前車から発生するダーティエアーの中をかき分け進む後続マシンは、コーナリングで必要なダウンフォースを十分に得られずオーバーテイクが難しくなるからだ。

 F1はDRS(ドラッグ・リダクション・システム)の導入を筆頭に、これまでも様々なレギュレーション変更でオーバーテイクの増加を試みてきたが、目に見える成果は出ないでいた。そこで後方乱気流を生み出す空力パーツを削減しながらも、充分なダウンフォースを稼ぐことができるグラウンドエフェクトカーに白羽の矢が立ったという寸法だ。

 かつてのグラウンドエフェクトカーと現代のモノの相関性はゼロではなく、例えば排熱を利用するという動きには似たモノを感じる。かつては上方排気によってマシン下面との気圧差を増幅していたが、アストンマーチンの2022年マシン『AMR22』を筆頭に、サイドポット上部に備え付けられた無数のルーバーは整流効果の他にも、排熱利用によってグラウンドエフェクトを高める効果も望めるはずだ。

 ただ物理法則は今も昔も変わらず、スピンを喫した際のエアボーンクラッシュという一抹の不安を拭いきれないのも確かではあり、ハロのついた現代のF1マシンは安全性が高まった反面、ひっくり返ってしまうとドライバーひとりでは脱出できない。また、2022年マシンにかつてのスカートはないが、スカートの役目を果たすボルテックスジェネレーターやフロアが破損すれば、急激なダウンフォース喪失を招きかねない。

 ステアリングが重いというかつての問題は、パワーステアリングを持つ2022年マシンを駆るドライバーからは無論聞こえてこないが、グラウンドエフェクトカー特有の現象として予期できた、ポーポイズ現象がスペインはカタルニア・サーキットで行われたプレシーズンテストでは発生していた。

 イルカが海面を上下に跳ねながら泳ぐことに由来するポーポイズ現象は、グラウンドエフェクトのダウンフォースによってマシンが地面に接触するところまで押さえつけられると、下面に空気の通り道がなくなることでダウンフォースがストール状態に陥る。そしてダウンフォースが抜けたことで車高が戻る。これが高速で繰り返されることで、マシンが激しい縦揺れ(ピッチング)を起こすことを指している。ロータスもマシン下面全体をベンチュリトンネルにした80でこの現象に苦しめられており、1999年のル・マン24時間でメルセデス『CLR』がこの現象によって宙を舞ったのは有名な話である(CLRはフラットボトムカーではあるが)。

 今年からはヒーブサスペンション(ピッチコントローラー)の使用が禁止され、サスペンションシステムが簡素化されることもありピッチングの低減は困難に。激しい振動によってドライバーの身体への負担やミス増加の潜在的可能性に加え、サスペンションアセンブリの疲弊にも繋がるだろう。

 上記の問題やマシンの高速化はあるものの、ドライバーの身体的レベルやマシンやコースなどの総合的な安全性は飛躍的な進歩を遂げている。これまでとはコンセプトが大きく異なるマシンに不安は残るものの、開幕戦まで実情は見えてこないのがF1の常。さて、第2期グラウンドエフェクト時代のF1は、どのようなレースで我々を楽しませてくれるのだろうか。

 
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