雨中の快進撃2:シューマッハー、フェラーリ王朝への第一歩:1996年スペインGP
雨のレースでは、マシンの性能よりもドライバーの腕が試されると言われる。低迷していたフェラーリの再建を託されたミハエル・シューマッハーが同チームでの初勝利を挙げたのも、ウエットコンディションの1996年スペインGPだった。
写真:: Rainer W. Schlegelmilch
1994年、1995年と2年連続でF1ワールドチャンピオンに輝いたミハエル・シューマッハー。ベネトンで絶頂期を過ごしていた彼が1996年シーズンの選択肢として選んだのは、長年低迷している名門フェラーリに移籍し、その再建を目指すというものだった。
しかしシューマッハーをもってしても、ウイリアムズ&ルノーの最強タッグを崩すことは簡単ではなかった。開幕から5レース連続でウイリアムズ勢が優勝。抜きどころがないことで知られる第6戦モナコGPではシューマッハーがポールポジションを獲得し、千載一遇のチャンスを手に入れたが、ウエットの路面に足をとられてオープニングラップでリタイアとなってしまった。
そんな中迎えた第7戦スペインGP。予選はドライコンディションで行なわれ、ウイリアムズのデイモン・ヒルとジャック・ビルヌーブがフロントロウを独占。シューマッハーは3番手につけた。
そして決勝レースは雨となった。ドライ路面になれば勝ち目はないと考えていたシューマッハーとフェラーリは、ダウンフォースを最大にしてスプリングを極限まで柔らかくしたフルウエット仕様のセッティングをマシンに施した。そのセッティングでも不安定な挙動を見せるほど、フェラーリF310はトリッキーなマシンだったのだが……。
一方でウイリアムズとベネトンはコンディションが好転した際のことも考え、妥協したセットアップを選択した。そしてレースはスタートしたが、シューマッハーはスタートに失敗。オープニングラップを終えて6番手に後退した。
しかしその後シューマッハーは他のどのドライバーよりも速いペースで周回した。チームメイトのエディー・アーバイン、ウイリアムズのデイモン・ヒルがスピンオフしたことで4番手に浮上したシューマッハーは、ゲルハルト・ベルガーとジャン・アレジのベネトン勢を攻略すると、首位を走るジャック・ビルヌーブ(ウイリアムズ)も料理し、12周目にして首位に立った。
その後も天候が好転することはなかった。シューマッハーはその中で様々なラインを試し、グリップを確保できるラインを探した。フェラーリのV10エンジンが断続的に1〜2気筒を失うというトラブルもあったが、シューマッハーは他を寄せ付けず、2位以下に45秒もの差をつけて優勝した。完走はわずか6台。ほとんどのマシンがスピンやクラッシュによるリタイアだった。
これにはライバルであるウイリアムズのエンジニア、ジェームス・ロビンソンでさえも「フェラーリを見ていて、素晴らしいマシンには見えなかったし、まるで氷の上を走っているようだった。でも彼だけは別次元だった」と舌を巻いた。
英国Autosport紙はこのシューマッハーのパフォーマンスを「雨天における史上最高のドライブのひとつであり、1985年のエストリル、1993年ドニントンでのアイルトン・セナの走りに匹敵する」と評した。
最終的にシューマッハーはこの年3勝を挙げ、ウイリアムズ勢に次ぐランキング3位でフェラーリ初年度を終えた。この後長きにわたって続くことになる“フェラーリ王朝”の第一歩が刻まれたのが、この年のスペインGPだった。
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