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最速から最後尾へ……ウイリアムズの”ジェットコースター”のようなF1キャリア

ここ数年はグリッド最後列を争うなど、厳しい戦いが続いているウイリアムズ。しかしかつてこのチームは、F1を席巻し、言うならば今のメルセデスのように”最強”の名をほしいままにしていた。しかし浮き沈みが多かったのも事実……その歴史を振り返る。

Riccardo Patrese, Williams FW14B Renault, leads Nigel Mansell, Williams FW14B Renault

写真:: LAT Images

 近年は苦戦のシーズンが続いているウイリアムズ。しかしこのチームは、依然としてF1の偉大な名前のひとつであり、勝利数の面で言えば4番目に成功したチームである。しかも昨年終盤にメルセデスに抜かれるまで、その勝利数”114勝”は、F1史上3番目に多い数だった。

 ポールポジションの数で言えば、128回でフェラーリ、マクラーレンに次ぐ3番目。コンストラクターズタイトルはこれまで9回獲得しており、フェラーリ(16回)に次いで2番目に多い数字である。

 ただウイリアムズは、1997年を最後にタイトルを獲得できておらず、114勝のうち103勝は、チームが創設されてから20年の間に記録されたもの。言い換えれば、1980年や1990年の支配的な時代を目撃した人々からすれば、現在の惨憺たる状況は、考えられないモノであろう。

 今回はそのウイリアムズが40年以上の歴史でどのような浮き沈みを経験してきたか、それを振り返ってみる。この分析には、週末で最も速かったラップタイムを元に算出する”スーパーラップ”方式を採用。最速が100%であり、数字が大きいほど遅い……ということになる。

 ただ週末で最も速いラップタイムが計測されるのは予選である場合が大きく、レースペースやその安定性、信頼性という観点までは考慮されていないという点をご理解いただきたい。とはいえ当該シーズンに、そのマシンがどれほどのパフォーマンスを持っていたのかを判断するひとつの指標にはなるはずだ。

 

 ウイリアムズの歴史の最初がどこなのか、それは実は少し難しい話だ。フランク・ウイリアムズは、1969年に初めてF1でクルマを走らせ、フランク・ウイリアムズ・レーシングとして1976年まで参戦。そして1977年にパトリック・ヘッドと共に、現在のチームの元であるウイリアムズ・グランプリ・エンジニアリングを設立する。ただ同年は、マーチ製のマシンを走らせた。

 このウイリアムズ・グランプリ・エンジニアリングが最初にマシンを製造したのは、1978年のこと。よって今回の分析は、この1978年からスタートすることにした。

 同年のこのチームのマシンFW06はかなりまともなマシンであり、サウジアラビア航空がスポンサード。アラン・ジョーンズの手により速さを発揮したものの、信頼性が十分ではなく、レースに勝つことができなかった。

 シーズンを平均してみれば、FW06は8番目に速いマシンであり、グラウンド・エフェクトカーである78と79を走らせたロータスから1.9%遅れだった。2020年に置き換えるならば、アルファタウリとアルファロメオの間ということになる。なお2020年のウイリアムズは、最速のメルセデスから約2.8%の遅れだった。

 ただ第15戦アメリカ東GPでは2位表彰台を獲得するなど、1年目としては十分すぎる成績だったとも言えよう。

 1979年、それまでグラウンドエフェクト効果でライバルに差をつけていたロータスは、さらなる一歩を踏み出そうと画策する。しかしこれが大失敗。迷走することとなり、ライバルとの差が一気に縮まった。その間にウイリアムズは、FW07を登場させる。

 このFW07は、準備の遅れにより第5戦から登場。シーズン平均のスーパータイムでは、序盤4戦にFW06を使ったことが響いて首位から0.277%遅れの3番手となるが、この4戦を除けばウイリアムズFW07は最速だったことになる。しかも2位のフェラーリに0.538%もの差をつける圧倒的な速さだった。

 FW07はデビュー2戦こそリタイアだったが、第7戦モナコでクレイ・レガッツォーニが2位に入ると、第9戦イギリスGPでは優勝。チームはオリジナルマシン2年目で勝利を手にすることになる。チームメイトのジョーンズも、第10戦ドイツGPから第12戦オランダGPまで3連勝。その後も1勝を重ね、チームは合計5勝を挙げることになった。

 ただ、信頼性が高くペースも安定していたフェラーリがダブルタイトルを獲得。ウイリアムズはコンストラクターズランキング2位だった。

 1980年はFW07の改良版であるFW07Bで挑戦。ジョーンズが5勝、新加入のカルロス・ロイテマンも1勝を挙げ、2位リジェにダブルポイント近い差をつけて、チーム史上初のコンストラクターズチャンピオンを獲得することになった。この年、スーパーラップではウイリアムズ、リジェ、ルノー、ブラバムの4チームが0.271%の中にひしめいていたが、ウイリアムズは一貫して首位の座に君臨。獲得ポイントでは前述の通り大きな差をつけた。

 なおジョーンズも、1980年にドライバーズタイトルを獲得している。

 そのジョーンズは、1981年も力強い戦いぶりを披露。しかし運がなかった。結局2勝に終わり、ランキング3位。同じく2勝を挙げたチームメイトのロイテマン(2位)にも先行された。チャンピオンはブラバムのネルソン・ピケが手にした。

 ただウイリアムズはふたり揃ってポイントを獲得したのが功を奏し、2年連続のコンストラクターズタイトル獲得を決めている。

Keke Rosberg, Williams

Keke Rosberg, Williams

Photo by: Williams F1

 1982年は、F1にターボ革命が到来。ターボエンジンを手にしたルノー、フェラーリ、ブラバムがシーズンを支配した。ウイリアムズは最速のルノーに1.727%もの差をつけられる位置まで後退してしまう。この差は、2020年にアルファタウリがメルセデスにつけられたよりも大きな差だ。

 ただひとつ注意しなければならないのは、ターボのブースト圧が予選では上げられていたという点だ。これにより前述の3チームは予選では圧倒的な速さを発揮したものの、レースではそれほどのペースを披露できず……ウイリアムズは自然吸気のコスワースDFVを使っていたものの、レースでは上位に接近するペースで走った。

 さらにルノーとブラバムは信頼性に乏しく、フェラーリはジル・ビルヌーブとディディエ・ピローニがいずれも悲劇に見舞われた。結局わずか1勝ながら、安定してポイントを獲得したウイリアムズのケケ・ロズベルグがドライバーズタイトル獲得を決めた。

 1983年、ウイリアムズは引き続きコスワースDFVを使った。ただ、ターボエンジンの威力は圧倒的であり、スーパーラップではタイトルを獲得したフェラーリに大きく差をつけられた。ロズベルグがモナコで勝ったものの、チームの勝利はそれが唯一であり、コンストラクターズランキングでは4位となった。

 この年の最終戦、ウイリアムズは遂にターボエンジンを獲得する。それが、ホンダエンジンである。1984年用マシンFW09を先行投入し、ロズベルグがいきなり5位入賞。そのポテンシャルの片鱗を見せた。

 ただ本格投入した1984年は、信頼性が欠如。ロズベルグがアメリカGPで優勝したものの、コンストラクターズランキングでは6位に終わった。ただスーパーラップでは上位との差が縮まり、1985年のFW10は2番目に速いマシンとなった(1985年は3勝)。

 ホンダパワーが開花したのは、1986年だった。ロータス・ルノーのアイルトン・セナが予選で圧倒的な速さを披露したため、スーパーラップでは2番手に甘んじたが、ウイリアムズFW11・ホンダは、この年最高のレースカーであったことは間違いない。ネルソン・ピケとナイジェル・マンセルは16レース中9レースで優勝し、チームはコンストラクターズタイトルを獲得した。ただピケとマンセルのライバル関係が激しく、その隙にドライバーズタイトルは、マクラーレンのアラン・プロストに拐われてしまった。

Race winner Nigel Mansell with Team Boss Frank Williams and team-mate Nelson Piquet

Race winner Nigel Mansell with Team Boss Frank Williams and team-mate Nelson Piquet

Photo by: Sutton Images

 1987年、マクラーレンはポルシェとの関係が終焉を迎えつつあり、ロータスはセナと共にアクティブサスペンションに開発に注力した。そしてフェラーリも回復傾向を見せ始めたが、シーズンを支配したのはウイリアムズだった。

 FW11Bのスーパーラップでのアドバンテージは1.331%。これは1950年にF1が始まって以来、最大の差だった。ピケはサンマリノGP金曜日に大クラッシュを喫し、決勝レースを欠場したもの、ウイリアムズは前半14レース中9レースで優勝。マンセルとピケはチーム内での激しいタイトル争いを繰り広げたが、鈴鹿サーキットで初開催となった日本GPでマンセルが金曜予選の際に大クラッシュ。レース欠場が決まり、この時点でピケがタイトルを手にすることになった。

 ダブルタイトルを獲得したウイリアムズだったが、大きな懸念を抱えていた。彼らはこの年限りで、ホンダエンジンを失うことが決まっていたのだ。

 そのホンダV6ターボは、翌年からマクラーレンのマシンに搭載されることになった。そのマシンMP4/4は、セナとプロストのコンビも相まって圧倒的な強さを披露。16戦15勝を記録した。

 ウイリアムズは結局、自然吸気のジャッドV8エンジンを採用。マンセルのチームメイトにリカルド・パトレーゼと迎え、シーズンを戦った。しかしターボエンジンを使うマクラーレンやフェラーリ、そしてロータスに差をつけられただけでなく、同じ自然吸気エンジンを使うベネトンにも先行されてしまった。その上信頼性も低く、ルノーV10を獲得するまでの繋ぎでしかなかった。

 そのルノーV10を獲得した1989年、スーパーラップでの差は1988年の2.894%から1.771%に縮まり、新加入のティエリー・ブーツェンがカナダとオーストラリアで優勝。パトレーゼも6回の表彰台を獲得する活躍を見せた。しかしマクラーレン・ホンダには太刀打ちできず、ダブルスコア近い差をつけられコンストラクターズランキング2位に終わった。翌1990年は1.278%まで遅れを縮めたものの、マクラーレンとフェラーリに差をつけられ、さらにまたもベネトンにまで先行された。

Nigel Mansell, Williams Renault FW14

Nigel Mansell, Williams Renault FW14

Photo by: Sutton Images

 1991年のウイリアムズは、躍進への第一歩となった。マンセルが、2年間のブランクを経てチームに復帰。パトレーゼと再びコンビを組んだ。また空力の奇才として今ではレッドブルで手腕を振るうエイドリアン・ニューウェイがチームに加入。FW14は、そのニューウェイが初めて手がけたウイリアムズのマシンだった。

 シーズンを通してみれば、マクラーレン・ホンダ+セナの前に、スーパーラップでは0.269%の遅れとなったが、中盤ではウイリアムズが先行するシーンもあった。ただFW14の信頼性の欠如、そしてセナのキャリア上最高とも言える戦いぶりにより、マクラーレンがダブルタイトルを獲得することになった。

 この数年前にマクラーレンが圧倒的強さを発揮していた頃、ウイリアムズは将来の技術に対して先行投資していた。その代表的な例がアクティブサスペンションであり、トラクションコントロールであった。これらが完成し、実戦投入されたのが1992年。そのマシンFW14Bは、圧倒的な強さでライバルを蹴散らした。

 同年のスーパーラップでは、1.492%のリード。そしてFW14Bを特に乗りこなしたのがマンセルで、16戦中11戦目に組まれていた真夏のハンガリーGPで、早々と同年のタイトルを確定させてしまった。

 ハイテクデバイスは、翌1993年にさらに熟成され、FW15Cに搭載された。ドライバーラインアップはプロストとデイモン・ヒルに一新されたが、スーパーラップでの2位との差は1.706%へと拡大した。ただチームのオペレーションミス、そしてマクラーレンMP4/8を駆るセナの活躍の前に、6レースを失うことになった。それでもプロストが7勝、ヒルが3勝……ダブルタイトルを獲得するには十分だった。

 1994年から、F1ではアクティブサスペンションなどのハイテクデバイスの使用が禁止されることになる。そんな年にチームに加入したのがセナだった。

 ただ同年のマシンFW16はドライブするのが難しかった。そして一気にライバルにのし上がったのが、ベネトン・フォードを駆るミハエル・シューマッハーだった。セナは予選では速さを見せ、連続してポールポジションを獲得。しかし決勝ではシューマッハーが連勝していった。そしてサンマリノでセナが事故死。チームはエースドライバーを失うことになったが、チームはなんとか立て直しを図り、ヒルもセナの後を継いでチームリーダーの役割を果たした。

 スーパーラップでは0.092%のリードに減少したものの、デビッド・クルサードとマンセルがセナの代役を果たし、コンストラクターズタイトルの防衛に成功。ただ、ドライバーズタイトルはシューマッハーに獲られてしまうことになった。

 1995年のFW17は、スーパーラップで0.184%の差をつけて最速だった。しかしシューマッハーが、ウイリアムズと同じルノーエンジンを獲得したベネトンと共にレースでは強さを発揮し、ドライバーズタイトルを獲得することになった。

Winner Damon Hill, Williams, Adrian Newey, Williams, second place Michael Schumacher, Ferrari, third place Mika Hakkinen, McLaren

Winner Damon Hill, Williams, Adrian Newey, Williams, second place Michael Schumacher, Ferrari, third place Mika Hakkinen, McLaren

Photo by: Motorsport Images

 フェラーリはここまでの数年、大いに苦戦していた。そのため、再建を目指してチャンピオンのシューマッハーを獲得。1996年のフェラーリは、前年よりも良い成績を残したものの、FW18を登場させたウイリアムズは、ヒルが8勝。予選でも他に0.548%の差をつける速さで、ダブルタイトル奪還に成功した。翌1997年のFW19も力強いマシンであり、ジャック・ビルヌーブがチャンピオンに輝くことになった。

 ただこの年は、ウイリアムズにとって転機だった。それまで毎年のようにチャンピオンマシンを生み出してきたニューウェイが、マクラーレンへと移籍。FW19はニューウェイの影響が残る最後のマシンとなった。しかも、ルノーがワークス参戦を終了させ、メカクロームのバッジをつけたルノーエンジンでの参戦となった。

 これらによって、チームの状況は一変。FW20は一気に速さを増したマクラーレンに1.364%の差をつけられ、3番手に後退してしまったのだ。

 1999年にはチームの状況はさらに悪化。CARTで圧倒的な強さを発揮してF1に復帰したアレッサンドロ・ザナルディは1ポイントも獲得できず、スーパーラップでも首位から1.559%遅れの5番手となった。

 ただ2000年、ウイリアムズはBMWエンジンを獲得。チームの復活を後押しした。その1年目は1.097%遅れの4番手だったものの、2001年にはこれが改善し、0.378%遅れの2番手になった。

 その後ウイリアムズは、トップ3圏内に留まったが、当時はフェラーリが圧倒的な強さを見せていた時代。タイトル獲得は叶わなかった。

 フェラーリが使っていたブリヂストンタイヤは、ウイリアムズが使っていたミシュランよりもレースペースに優れている傾向にあった。事実、2002年にはファン-パブロ・モントーヤがウイリアムズに7回のポールポジションをもたらしたが、レースに勝ったのはラルフ・シューマッハーのマレーシアGPのみであった。

 ただ関係悪化に伴い、2005年限りでウイリアムズとBMWは袂を分つことになった。そのため2006年にはコスワースエンジンを使用、2007年からはトヨタエンジンを使うことになった。ただチームは低迷の一途を辿り、2006年には1.078%、2007年は1.294%の遅れとなった。2008年にはやや持ち直し、フェラーリから1.001%の遅れへと縮まったが、それでも8番目に速いチームという状況だった。

Nico Rosberg, Williams FW31 Toyota

Nico Rosberg, Williams FW31 Toyota

Photo by: Glenn Dunbar / Motorsport Images

 2009年はレギュレーションが大変更、空力パーツが簡素化され、さらにKERS(運動エネルギー回生システム)の使用が解禁されることになった。これによって勢力図も一変。前年まで上位を争っていたフェラーリ、マクラーレン、BMWザウバーなどが軒並み失速することとなった。

 ウイリアムズは、シーズン当初からダブルディフューザーを搭載。開幕時にこのデバイスを持っていたのは、他にブラウンGPとトヨタだけだった。これによりウイリアムズは、最速マシンから0.394%遅れの4番目となった。ただ同年は、全チームのパフォーマンス差が最も小さいシーズンでもあった。

 ただマシンは速かったものの、中嶋一貴は数々の不運もありノーポイントに終わってしまう。ニコ・ロズベルグは34.5ポイントを獲得したものの、コンストラクターズランキングは7位に終わった。

 翌年からはコスワースエンジンに切り替えたウイリアムズ。しかしチームのパフォーマンスは低迷し、2012年からはルノーエンジンに切り替えることになった。ウイリアムズ・ルノーの復活ということもあり話題になった同年、各チームはピレリタイヤを使いこなすのに苦しみ、大混戦のシーズンとなった。

 ウイリアムズのFW34はまずまずのペースを発揮し、首位から0.74%の遅れ。そしてそんな中、スペインGPではパストール・マルドナドがポールポジションを獲得し、決勝レースでもトップチェッカーを受けた。

 ただ同年のウイリアムズは安定性に欠いた。マルドナドは優勝したスペインGPの後、9戦連続でノーポイント。チームメイトのブルーノ・セナは定期的に入賞を果たしたものの、結局コンストラクターズランキングは8位だった。翌年はランキング9位……しかし2014年、チームは進歩を遂げることになった。

 この年はレギュレーション変更により、現行のパワーユニット(PU/V6ターボエンジン+運動&熱エネルギー回生システム)が導入されたシーズン。ウイリアムズは同年のチャンピオンとなるメルセデスのパワーユニットを獲得した。またマルティニがメインスポンサーとなり、カラーリングも一新された。

 メルセデス製PUの恩恵も大きかったが、同年のウイリアムズは、本家メルセデスに次ぐ2番目に速いマシンへと前進。その差は0.881%だった。

 この年のFW36はダウンフォースは少なかったが、メルセデスPUの効果で高速サーキットで速さを発揮。フェリペ・マッサは、オーストリアGPでポールポジションを獲得した。これは同年メルセデスがポールポジションを逃した唯一のレースとなった。しかもチームが優勝争いをすることに慣れていれば、そのままトップチェッカーを受けることもできたかもしれない。

 同年、メルセデスは圧倒的な強さを見せた。メルセデス以外で勝利を収めたのはレッドブルだけであり、ダニエル・リカルドが3勝。これによりレッドブルがコンストラクターズランキングで2位となり、ウイリアムズはそれに次ぐ3位となった。

Felipe Massa, Williams FW36 Mercedes, leads Valtteri Bottas, Williams FW36 Mercedes

Felipe Massa, Williams FW36 Mercedes, leads Valtteri Bottas, Williams FW36 Mercedes

Photo by: Steve Etherington / Motorsport Images

 ただ翌年以降、他のメーカーのPUが進歩。ウイリアムズの優位性も失われていった。2015年にはランキングでは3位を維持したものの、スーパーラップでは4位に。しかもメルセデスとの差は1.473%と前年のほぼ倍になった。

 2016年にはスーパーラップで4番目(メルセデスから1.698%遅れ)へと浮上したが、セルジオ・ペレスとニコ・ヒュルケンベルグ擁するフォースインディアがランキング4位となり、ウイリアムズは5位となった。

 ただその後は年々パフォーマンスが下落。資金的にも厳しくなり、2017年には2.439%、2018年には3.488%遅れとなり、ついに最下位まで落ちてしまった。2019年はニューマシンの完成が遅れて最初のテストを欠場。ダウンフォース不足も顕著で、先頭から4.122%遅れとなってしまった。

 ただ2020年シーズン、FW43は先頭との差を2.787%にまで縮めている。これはチームの歴史を見ても前年比という意味では非常に優れた数値であり、近い将来に向けポジティブなデータであると言えよう。しかもチームは、現在の若手ドライバーの中でも特に評価の高い、ジョージ・ラッセルを起用。ピットストップなど、マシンのパフォーマンス以外の部分はトップレベルと言っていい。

 また2020年中盤には、ドリルトン・キャピタルがチームを買収。これによって、財政面での安定化も期待される。

 メルセデスやフェラーリといった、”巨人”を相手にするのは、いつの時代でも簡単なことではない。しかし2021年シーズンから導入されるファイナンシャル・レギュレーションにより、チーム間の格差が縮まることが期待されている。もしこれが狙われているような効果を発揮し、ウイリアムズが再び上位争いに戻るようなことがあれば、F1にとっては良いことであると言えるかもしれない。

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