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【特集】年間最多PPながらタイトル逃したドライバーはどのくらいいる? “最速男”達の末路を振り返る

2022年のF1では、シャルル・ルクレールがここまでほとんどのレースでポールポジションを獲得していながら、選手権をリードできずにいる。今回は歴代シーズンの“最速男”、つまり最多ポールポジション獲得者がどのような成績を残してきたか、振り返る。

Ayrton Senna, McLaren MP4/5

 2022年のF1はここまで8レースを消化。まだシーズンの3分の1を過ぎたばかりではあるが、ひとつ特徴として浮き彫りになっているのは、予選と決勝とで勢力図が異なっているという点だ。

 今季の予選は、フェラーリのシャルル・ルクレールが圧倒的なまでの速さを見せている。先日行なわれたアゼルバイジャンGPでも、僅差となった予選でひとり抜け出しポールポジションを獲得。ここまで8戦中6ポールと圧倒的強さだ。

 そんなルクレールだが、決勝では歯車の噛み合わないレースが続いている。マシントラブル、チームの戦略ミス、または自身のミス、そしてタイヤに厳しいマシン特性……様々な形で勝利には届かず、現在は116ポイントのランキング3番手。その一方で、レッドブルのマックス・フェルスタッペンは今季ポールポジションは1回だけだが、既に5勝150ポイントを挙げてポイントリーダーとなっている。この段階でシーズンの結末を予想するのはあまりに早計だが、この流れが続くようだと、ルクレールは今季最速のドライバーであることを証明しながらもタイトルを逃すことになってしまう。

 もちろん、70年を超えるF1の歴史の中で、必ずしも“最速”のドライバーがチャンピオンに輝いてきた訳ではない。では、最速のドライバーがタイトルを逃すケースはどのくらいあったのか? 今回は、歴代の『年間最多ポールポジション獲得ドライバー』たちの戦績を振り返っていく。

1950年代

最多ポールポジション PP獲得回数/年間レース数 タイトル獲得可否 年間ランキング 
1950 ファン・マヌエル・ファンジオ 4回/8戦 × 2位
1951 ファン・マヌエル・ファンジオ 4回/8戦 1位

1952

アルベルト・アスカリ 5回/8戦 1位
1953 アルベルト・アスカリ 6回/9戦 1位
1954 ファン・マヌエル・ファンジオ 5回/9戦 1位
1955 ファン・マヌエル・ファンジオ 3回/7戦 1位
1956 ファン・マヌエル・ファンジオ 6回/8戦 1位
1957 ファン・マヌエル・ファンジオ 4回/8戦 1位
1958 マイク・ホーソーン 4回/11戦 1位
1959 スターリング・モス 4回/9戦 × 3位

 1950年代のデータを見ると、“最速男”がタイトルを逃したのは2例だけ。F1黎明期は「予選で速いドライバーは決勝でも速い」という結果となっている。ファンジオやアスカリなど、特定のドライバーがシーズンを制圧するケースが多かったことも、要因のひとつか。

Juan Manuel Fangio, Mercedes-Benz W 196 R

Juan Manuel Fangio, Mercedes-Benz W 196 R

Photo by: Daimler AG

1960年代

最多ポールポジション PP獲得回数/年間レース数 タイトル獲得可否 年間ランキング 
1960 スターリング・モス 4回/10戦 × 3位
1961 フィル・ヒル 5回/8戦 1位

1962

ジム・クラーク 6回/9戦 × 2位
1963 ジム・クラーク 7回/10戦 1位
1964 ジム・クラーク 5回/10戦 × 3位
1965 ジム・クラーク 6回/10戦 1位
1966 ジャック・ブラバム 3回/9戦 1位
1967 ジム・クラーク 6回/11戦 × 3位
1968 クリス・エイモン 3回/12戦 × 10位
1969 ヨッヘン・リント 5回/11戦 × 4位

 1960年代に入ると、予選で速くとも信頼性等の問題でタイトルに届かないというケースが増えるようになった。その代表格がジム・クラーク。1968年に事故死したクラークは、8年と少しという短いF1キャリアの中で5回も“最速男”に。ただ信頼性不足に苦しむシーズンも多く、その内3度タイトルを逃した。クラークの生涯戦績は、優勝25回(ポールトゥウィン15回)、2位1回、3位4回という極端なものであり、いかに「勝つか、クルマが壊れるか」という展開だったかがうかがい知れる。

Jim Clark, Lotus 49 Ford

Jim Clark, Lotus 49 Ford

Photo by: Motorsport Images

1970年代

最多ポールポジション PP獲得回数/年間レース数 タイトル獲得可否 年間ランキング 
1970 ジャッキー・イクス、ジャッキ・スチュワート 4回/13戦 ×

イクス2位、スチュワート5位

1971 ジャッキ・スチュワート 6回/11戦 1位

1972

ジャッキー・イクス 4回/12戦 × 4位
1973 ロニー・ピーターソン 9回/15戦 × 3位
1974 ニキ・ラウダ 9回/15戦 × 4位
1975 ニキ・ラウダ 9回/14戦 1位
1976 ジェームス・ハント 8回/16戦 1位
1977 マリオ・アンドレッティ 7回/17戦 × 3位
1978 マリオ・アンドレッティ 8回/16戦 1位
1979 ジャック・ラフィット、ジャン-ピエール・ジャブイーユ 4回/15戦 × ラフィット4位、ジャブイーユ13位

 1970年代も、技術の進歩が急速に進んでいった影響もあってか各車の信頼性にバラつきがあり、“最速男”がタイトルにありついたケースは半数以下となっている。

 1979年には、F1に登場したばかりで発展途上だったターボエンジンを搭載するルノーのジャブイーユが最多の4PPを記録しポールトゥウィンも飾るが、リタイアは10回を数え入賞もその1度きりに終わったため、ランキングは13位。今回の統計において、最終的なランキングが最も低いケースとなっている。

Jean-Pierre Jabouille, Renault

Jean-Pierre Jabouille, Renault

Photo by: David Phipps

1980年代

最多ポールポジション PP獲得回数/年間レース数 タイトル獲得可否 年間ランキング 
1980 アラン・ジョーンズ、ルネ・アルヌー 4回/13戦

ジョーンズ1位、アルヌー4位

1981 ネルソン・ピケ、ルネ・アルヌー 4回/15戦 ピケ1位、アルヌー9位

1982

アラン・プロスト、ルネ・アルヌー 5回/16戦 × プロスト4位、アルヌー6位
1983 ルネ・アルヌー、パトリック・タンベイ 4回/15戦 × アルヌー3位、タンベイ4位
1984 ネルソン・ピケ 9回/16戦 × 5位
1985 アイルトン・セナ 7回/16戦 × 4位
1986 アイルトン・セナ 8回/16戦 × 4位
1987 ナイジェル・マンセル 8回/16戦 × 2位
1988 アイルトン・セナ 13回/16戦 1位
1989 アイルトン・セナ 13回/16戦 × 2位

 ターボエンジンが猛威を振るいはじめた1980年代前半は、ルノーをはじめとするターボエンジン勢がフロントロウの常連となり、決勝はNA勢も含めた群雄割拠となる状況が続いた。特にアルヌーはルノーとフェラーリで4年連続の“最速男”となったが、フェラーリ時代の1983年のランキング3位がキャリア最高成績となった。ある意味F1で最も“予選番長”だったドライバーとも言えるかもしれない。

 そしてその後は、セナがデビュー2年目から予選を制圧するようになった。1989年に関しては、16戦中13PPを記録しながらも、マクラーレンのチームメイトであるプロストに敗れた。13PPでの“V逸”は後にも先にもこれが最後となっている。

Ayrton Senna, McLaren MP4-5 Honda, leads Alain Prost, McLaren MP4-5 Honda

Ayrton Senna, McLaren MP4-5 Honda, leads Alain Prost, McLaren MP4-5 Honda

Photo by: Ercole Colombo

1990年代

最多ポールポジション PP獲得回数/年間レース数 タイトル獲得可否 年間ランキング 
1990 アイルトン・セナ 10回/16戦

1位

1991 アイルトン・セナ 8回/16戦 1位

1992

ナイジェル・マンセル 14回/16戦 1位
1993 アラン・プロスト 13回/16戦 1位
1994 ミハエル・シューマッハー 6回/16戦 1位
1995 デイモン・ヒル 7回/17戦 × 2位
1996 デイモン・ヒル 9回/16戦 1位
1997 ジャック・ビルヌーブ 10回/17戦 1位
1998 ミカ・ハッキネン 9回/16戦 1位
1999 ミカ・ハッキネン 11回/16戦 1位

 “予選番長”ターボエンジンの時代も終わりを告げ、1990年代はそれまでの傾向から一転して「速くて強いマシン」を手にしたドライバーが勝つというシーズンが続いた。この年代では1995年以外は全て最多PPのドライバーがそのままチャンピオンに輝いている。

 特筆すべきは1999年。この年ハッキネンは16戦11PPと、速さの面では圧倒的なパフォーマンスを見せていたものの、マシントラブルやピットワークのミス、そして自身の凡ミスなどが重なり、最終戦を迎えた時点ではPP0回のエディ・アーバインに選手権でリードを許してしまっていた。2ポイント差で辛くもタイトルを獲得したハッキネンだが、これも今季のルクレールに近い境遇と言える。

Mika Hakkinen, McLaren

Mika Hakkinen, McLaren

Photo by: Motorsport Images

2000年代

最多ポールポジション PP獲得回数/年間レース数 タイトル獲得可否 年間ランキング 
2000 ミハエル・シューマッハー 9回/17戦

1位

2001 ミハエル・シューマッハー 11回/17戦 1位

2002

ミハエル・シューマッハー、ファン・パブロ・モントーヤ 7回/17戦 シューマッハー1位、モントーヤ3位
2003 ミハエル・シューマッハー 5回/16戦 1位
2004 ミハエル・シューマッハー 8回/18戦 1位
2005 フェルナンド・アロンソ 6回/19戦 1位
2006 フェルナンド・アロンソ 6回/18戦 1位
2007 ルイス・ハミルトン、フェリペ・マッサ 6回/17戦 × ハミルトン2位、マッサ4位
2008 ルイス・ハミルトン 7回/18戦 1位
2009 ジェンソン・バトン、セバスチャン・ベッテル、ルイス・ハミルトン 4回/17戦 バトン1位、ベッテル2位、ハミルトン5位

 21世紀に突入しても、最多PPのドライバーがチャンピオンに輝くという構図は続いた。そんな中でも予選で存在感を示したのが、ウイリアムズ時代のモントーヤと、フェラーリ時代初期のマッサ。マッサの通算16PPは、無冠のドライバーの中ではバルテリ・ボッタス(20回)、アルヌー(18回)に次ぎ、モスと同数の歴代3位タイだ。

Felipe Massa, Ferrari F2007

Felipe Massa, Ferrari F2007

Photo by: Andrew Ferraro / Motorsport Images

2010年代〜

最多ポールポジション PP獲得回数/年間レース数 タイトル獲得可否 年間ランキング 
2010 セバスチャン・ベッテル 10回/19戦

1位

2011 セバスチャン・ベッテル 15回/19戦 1位

2012

ルイス・ハミルトン 7回/20戦 × 4位
2013 セバスチャン・ベッテル 9回/19戦 1位
2014 ニコ・ロズベルグ 11回/19戦 × 2位
2015 ルイス・ハミルトン 11回/19戦 1位
2016 ルイス・ハミルトン 12回/21戦 × 2位
2017 ルイス・ハミルトン 11回/20戦 1位
2018 ルイス・ハミルトン 11回/21戦 1位
2019 シャルル・ルクレール 7回/21戦 × 4位
2020 ルイス・ハミルトン 10回/17戦 1位
2021 マックス・フェルスタッペン 10回/22戦 1位
2022 シャルル・ルクレール 6回/8戦※ 4番手※

※第8戦アゼルバイジャンGP終了時

 2010年代以降のデータを見てみると、意外にも“最速男”がタイトルを逃したケースが散見される。記憶に新しいのは、2019年のルクレール。フェラーリ移籍1年目のルクレールは、2戦目となるバーレーンGPでPPを獲得し首位を快走したが、マシントラブルに泣き3位。その後6度のポールを獲得して2勝を挙げたが、メルセデス勢に追随するほどの高水準の安定感は持ち合わせていなかった。ルクレールは今年こそ初タイトルが狙えるシーズンだと強く意識しているに違いないが、果たしてその結末は……?

 
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