【トップインタビュー】現役ドライバーから運営に。立場が変わっても中嶋悟が忘れなかった“正直さ”
日本人F1ドライバーのパイオニアとして、5シーズンに渡って世界最高峰の舞台に身を置いた中嶋悟、その知られざるエピソードを聞くインタビューの第2回。
中嶋悟は5年間にわたるF1グランプリ活動を終えて、日本に帰ってきた。しかし、レーシング・ドライバーとして燃え尽きた彼には、これから先どうやって生きていくか見当さえつかなかった。
ーー1991年のF1最終戦オーストラリアGPが終了して帰国したら、スポンサー関係とかに挨拶にいきますよね。
「行きました。ホンダ、エプソン、PIAAなど、長年僕を支えてくれたスポンサーです。そうすると、この先どうするのって話になりますよね。どうしようかって。全然決めてなかったから。レース界から身を引こうかとも思っていたんだから。でも、そういう関係者と話すうちに、これまで僕の好き放題をやらせてもらって、今度は何をすれば彼らが喜んでくれるかなっていう話になって……そしたらみんなが、レースに関わる方がいいでしょうって」
ーー誰もレースに関係ない中嶋さんは想像できなかったんでしょうね。
「で、考えたんだけど、レースに関わるってやっぱりチームを興してレースに参加することかなぁって。振り返って考えると、生沢徹さんが現役やめて作ったチームに僕が行ったわけでしょ。だから、まあ似た様なことをやるしかないのかなぁって思ったわけ。F1辞めた途端にバイバイって言うわけにも行かなかった。少しぐらい返して行けよ、この業界にってみんなが思ってたんだろうね。そういう話をしたのが11月頃。じゃあ、やるかって腹をくくって準備に取りかかったけど、1992年の全日本F3000の開幕まで半年しかなかった」
ーーでも、中嶋さんは以前から自分のチームを持っていましたよね。
「生沢さんのところをやめてから岡崎に事務所を置いて、その後東京にも事務所を開いて全日本F2選手権に出ていた。僕がF1に行く前はチャンピオン獲っているしね。僕がF1でいない間にも全日本F3000やツーリングカー選手権に出てたんですよ。イタリアのスパゲッティ屋の息子(パオロ・バリラ)が乗ったり、他にもいろんな奴が乗ってた。だから、チームとしてはずっと存在していて、人はいたんです。でも、クルマの準備なんかはヒーローズがやってたから、場所(ガレージ)はなかった。ヒーローズに貸してたから」
ーーどうしたのですか?
「御殿場にポンコツ・ガレージを借りてそこで始めた。その時、F1のときに支えてくれたホンダ、エプソン、PIAAが引き続き応援してくれた。ホンダはエンジンとか車両、エプソン、PIAAは活動費で。突貫工事でいろいろ準備して始めたけど、誰が乗るのみたいな泥縄のスタートだった」
ーー人徳ですね。
「エプソンとPIAAはいまも支援を続けてくれてて、35年を越えてるんだよ。ホンダは40年だし。本当に有り難い。感謝しかない。彼らの援助がなければ何も始められなかった」
Satoru Nakajima, Tyrrell 020 Honda
Photo by: Ercole Colombo
ーー日本に帰ってきて自分のチームの運営に目を光らせるようになって驚いたこと、予想しなかったことはありますか?
「レースにかかる経費が凄く多いことにホント驚いた。えらい金額じゃん。本当にみんなこんな金額でやってるのって思った。何せエンジンは買わなきゃいけない、クルマだってそう。チームを始める最初の年は本当に大変な予算が必要だった。スポンサーから提供いただくんだけど、年初に決まった額が入ってくるとすると、その中でやりくりをしないといけない。クルマにはこれだけかかる、人にはこれだけかかる、これを越えたらどうしよう、っていうことですよ」
ーー予算が足りなくなったらどうしようと思ったんですか?
「俺は昔から自分で走ってるときもそうだったけど、ある種、夢を持ってたんだよね。ヨーロッパのチームのようにレースをやりたいって。だからうちは物を売ったことがない。何もサブのビジネスやってレースの足しにしようなんて一切考えてなかった。かつてのヨーロッパのチームもそうだったと思う。スポンサー費用だけで賄うレース、やるならそれしかないという考えが自分にあった。だからそうやって来たけど、よう続いたよ、35年も。途中色々あったけどね」
ーーそれは自分に正直だったからでしょう。
「やっぱり自分の中にオヤジさん、本田宗一郎さんの教えがあったからだよね。FJ1300で沢山勝ってF3に上がったときも、F1に行くことが決まったときも、『とにかく自分に忠実に正直に生きろよ』といわれた。そのことだけは忘れずにやってきて、いまもやってるつもりなんだ」
ーーこの生き馬の目を抜く世界で。
「俺、あまり頭良くないから駆け引きっていうのはできない。昔、ヨーロッパへレースしに行ったり、F1へ行く前もそうだけど、ホンダにテストしたりする請求書出したら、「お前、これ全部実費だけじゃない。これでお前のところ、どうやって生計立てるの?」って言われた。はぁ?って。俺がやったのはこれだけだからって言ったら、「お前ね、商売っていうのはお前のところの取り分を載せなきゃあかんよ」って教えてくれた。そういえばエプソンの社長も、『自分で働いた分はもらうべきだ』って言ってた。そういうことを教えてくれた。で、ホンダにも請求書出し直したんだ」
ーー欲がないというか何というか……。
「俺はレースでも何でもやることが目的だったからさ、そこで利益生むことを目的としては考えなかったんだよね。1億円かかったところ、8000万円しかもらっていなかったら、2000万円足りないんですって言うよ。でも、最初から計算して1億2000万円くれって言えないんだよ。それをやってたら多分こんなに長く続いていなかったと思う」
ーー中嶋さんのチームには次々と優秀なドライバーが乗りましたね。
「そうね。上手い具合に良いやつが来たよね。トラ(高木虎之介)とか次生(松田次生)とかね」
Tora Takagi, Nakajima Racing
Photo by: Fuji Speedway
ーーその後は自分のチームだけじゃなく、日本のレース界全体に貢献する立場に。
「自分の反省点として、若いドライバーは早く世界に行かなあかんぞというのがあって。自分がF1行ったの34歳でしょ。だから、20代前半でいかないと世界に太刀打ちできんぞっていうの、身体で覚えてたからね。それでスクール(SRS=鈴鹿サーキットレーシングスクール)作った。スクールで早く良いやつ見つけて行かせたかった。実際そうなったのは2〜3年後だけどね」
ーーでも、なかなか世界に通用する日本人ドライバーは出て来ませんね。
「ドライバーひとりだけの力じゃなくて、トータルの力が足りないんだよね、日本のモータースポーツの。例えばホンダが良いドライバーを見つけて応援しようとしたとき活動やめたりとか。(小林)可夢偉と(中嶋)一貴がトヨタ車でF1やるはずだった時にリーマンショックでトヨタが撤退したし。彼らが個人的にF1でやれるバックアップを持っていればいいけど、日本の場合は自動車メーカーでしょ。海外を見ると、メキシコ人が来たりブラジル人が来たりするじゃない。もちろんF1で通用する腕は持っていなきゃ駄目だけど、それをサポートするバックが彼らにはあるんだよね。その点、日本は自動車メーカー以外はモータースポーツに理解が無いのかなあ」
ーー日本人ドライバーで最も成功したのは佐藤琢磨ですかね。F1じゃなくてインディだけど。
「だと思う。インディはあまりクルマの性能差がないよね。クルマはワンメイクだよね。違うのはエンジン。スーパーフォーミュラもそうだけど、戦いは本当に厳しい。そこでインディ500に2度勝つって凄いね」
ーーF1はワンメイクではない分、ドライバーは実力以外のもので勝敗が左右されるのは辛いですね。
「F1はエンジンもシャシーも全部違うわけだから、そこで良いチームに自分の場所を得られるかどうかは大きな問題だね。偶然誰かが乗れないから代わりに乗っていきなり実力見せることだってある。運があればだけど。ハミルトンが走れなかったレースでジョージ・ラッセルが代役で走って素晴らしいところを見せたけど、ああいうことだってある。メルセデスに乗れば誰でもそこそこいけるということが証明されたけど、そこに自分の居場所を持っておけるというのは別問題だから。なぜメルセデスはハミルトンを離さないかというと、メルセデス同様ハミルトンも最高のドライバーだからだよ。角田(裕毅)はアルファタウリと契約できたけど、これから頑張らなきゃいけない」
ーー角田は学校の卒業生ですよね。
「うん、SRSの生徒だよ。でも、僕は昔の校長先生だから、彼のことを本当に細かく見ていたわけじゃないので、F1でどこまでやれるかは僕はわからない。いま言えるのは、ここまで来たら本当に力全部出して頑張れよと言うしかない」
Photo by: Uncredited
ーーホンダがF1撤退する最後の年に乗ることが出来たというのは皮肉というか……。
「ホンダがF1活動続けて行くのだったら、角田もゆっくりF1に来ても良かったかもしれないけど、来年からはホンダはいないしね。だから、まず今年パフォーマンスを見せるしかない。そして彼が本当にF1で通用するグランプリ・ドライバーになれたら、僕がF1に行ってその後何人も若いドライバーが続いたように、また若い子達が彼に続くかもしれない。彼もまだまだ若いけど」
ーー最後に、中嶋さんは公のポジションとしてJRP(日本レースプロモーション)の会長を務めている。いろいろ苦労はあると思いますが。
「JRPはご存じのようにスーパーフォーミュラを運営しているんだけど、僕はこのシリーズに冠スポンサーをくっつけて、参加する人達に少しでも還元したいと思っている。いくらかでも資金の分配をしたい。でも、いまは年間7レースやることが精一杯みたいになってる。日本のモータースポーツが低迷した時があったでしょ。そこから企業になかなか興味を持ってもらえなくなった。ファンの人は凄く多いんだけど、それが伝わっていない」
ーー日本のモータースポーツは自動車メーカーが牽引しているので、潤沢に資金が廻っているんじゃないかとみんな思ってる。
「自動車メーカーは本当によくやってくれてる。スーパーフォーミュラではトヨタとホンダがエンジンも出してくれてる。メーカーが関わり過ぎって声もあるけど、エンジンがなかったらレースできないからね。クルマは買えるけど、エンジンは作れない。加えていろんなイベントやってお客さんを呼んでくれてる。でも、我々はそれに甘えちゃいけない。その上でシリーズに冠スポンサーが着くようにならないと」
ーー冠スポンサーはついていないですが、レースでは賞金とか出しているんですよね。
「やっぱり凄いレースを見せてくれるドライバーには少しでもご褒美を出してあげたいと思うでしょ。(スーパー)GTは出していないけど、我々は少しだけど出してる」
Podium, Tomoki Nojiri, MUGEN, Toshiki Oyu, TCS NAKAJIMA RACING, Nirei Fukuzumi, DOCOMO TEAM DANDELION RACING
Photo by: Masahide Kamio
ーー優勝賞金はいくらですか?
「400万円。でも、本当は1000万円くらいは出してあげたい。5000万円くらいでも良いから冠スポンサーがついてくれたら、賞金を振り分けられるんだけどね。そうすればドライバーももっとやる気になるでしょ」
ーー早くコロナがいなくなって、以前のように大勢の観客に来てもらって、その前で素晴らしいレースをやって欲しいですね。
「それは我々も同じ。そのために現時点では出来ることを精一杯やってる。メディアも応援してよ」
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