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とんでもないレースだ……解説陣も絶句した終盤の大ドタバタ劇:1982年モナコGP

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とんでもないレースだ……解説陣も絶句した終盤の大ドタバタ劇:1982年モナコGP
執筆:
, Grand prix editor
2020/05/24 9:19

F1におけるレース終盤の波乱と言えば、2011年のカナダGPや2019年のブラジルGPを思い出す人も多いだろう。しかしながら、1982年のモナコGPこそ最も“クレイジー”なレースだと言える。

「本当に奇妙なレースだった」

 これは英国オートスポーツ紙のナイジェル・ルーバックが1982年モナコGPのレースレポートに記した言葉だ。まさしくこの混沌のレースに相応しい表現と言える。

 誰もこのレースに勝ちたくないのではないか……まるでそう思ってしまうようなレース展開だった。伝統のモナコGPでの勝利は誰もが切望するものであるはずなのだが……。

 このレースではラスト3周で4回もレースリーダーが変わり、チェッカーフラッグが振られた時点でコース上を走っているマシンはわずか5台だっだ。今回はそんなF1史に残る波乱のレースを振り返っていく。

 F1パドックの面々は、数週間前にジル・ビルヌーブをゾルダーで亡くし、その悲しみが癒えぬままモナコへと到着した。このレースでフェラーリは代役を立てず、ディディエ・ピローニの1台体制でレースに挑んだ。

 この年の予選を席巻していたのは、ターボエンジンを搭載したルノー勢だった。ルノーRE30Bは信頼性こそ低かったもののその速さは驚異的で、16戦中10回のポールポジションを獲得した。このレースでもルネ・アルヌーがPP、アラン・プロストが4番グリッドからスタートすると、序盤からワンツー体制を築いて他を引き離し始めていた。

 しかしトップを独走していたアルヌーは、14周目のプールサイドシケインでコントロールを失いスピン。マシンを降りてしまい、早々に戦線を離脱することとなった。

 代わってプロストがレースリーダーとなり、ブラバムのリカルド・パトレーゼを従えてトップを快走していた。3番手にはピローニがつけていたが、エリオ・デ・アンジェリス(ロータス)を周回遅れにする際に交錯し、フロントセクションを破損。それでも走行を続けることができていたが、プロストとパトレーゼによる優勝争いからは徐々に脱落していった。

Alain Prost, Renault RE30B, leads Riccardo Patrese, Brabham BT49D-Ford

Alain Prost, Renault RE30B, leads Riccardo Patrese, Brabham BT49D-Ford

Photo by: Motorsport Images

 レースは残り30周を切り、首位のプロストは2番手パトレーゼとのギャップを広げていった。いくつかの地点では雨が落ち始めていたが、プロストはブラバムがウエットを苦手としていると知りながらも、そのペースを緩めることはなかった。プロストは最速ラップを連発し、ついにパトレーゼとの差を10秒にまで広げた。

 しかしながら、残り15周ほどになって雨は強くなり始めた。誰もピットに入ってタイヤを交換することはなかったが、各車マシンを壁にぶつけないように必死だった。ウイリアムズのケケ・ロズベルグは4番手を走るアンドレア・デ・チェザリス(アルファロメオ)にプレッシャーをかけ続けていたが、残り11周でウォールにヒットしレースを終えた。ロズベルグに代わって5番手に浮上したミケーレ・アルボレート(ティレル)も、その後サスペンショントラブルでストップした。コース上に留まっているマシンの数は、いよいよ一桁になった。

 これによりレース終盤のオーダーは、プロスト、パトレーゼ、ピローニ、チェザリス、デレック・デイリー(ウイリアムズ)、デ・アンジェリスとなった。5番手のデイリーもバリアにマシンをぶつけてしまっており、あろうことかリヤウイングとミラーがない状態で走行を続けていた。彼はギヤボックスにもダメージを負っており、オイルを撒き散らしてサーキットをスケート場のような状態にしてしまった。

 そしてレースは74周目、残り3周に突入。プロストは勝利を確実にしたかに思われたが、トンネル後のシケインを抜けた直後、突然コントロールを失いウォールにクラッシュした。外れたタイヤが派手にコース上を飛び跳ねる中、プロストはマシンを降りた。彼のモナコ初勝利が幻と消えた瞬間だった。

 パトレーゼはプロストの事故現場を無事に通り抜け、トップに浮上した。しかし彼の天下は1周も続かなかった。パトレーゼは75周目(残り2周)のロウズヘアピン手前で、デイリーが撒いたオイルに乗ってしまいスピン。後ろを向いたままヘアピンまでの下り坂を滑っていった。

 ヘアピンのど真ん中で立ち往生するパトレーゼの横をピローニら後続のマシンが次々とすり抜けていった後、パトレーゼはマーシャルの助けを借りて止まったエンジンを再始動することができた。当時のことをパトレーゼは語っている。

「(押しがけで再発進した為)失格になるという議論もされていたが、マーシャルは僕のマシンが道を塞いでいたから押したんだ」

「そしてマーシャルが離れた後、僕は幸運なことにノーズが下り坂の方に向いていたから、マシンが転がり始めてエンジンを再始動することができたんだ」

Didier Pironi, Ferrari 126C2 leads Andrea de Cesaris, Alfa Romeo 182

Didier Pironi, Ferrari 126C2 leads Andrea de Cesaris, Alfa Romeo 182

Photo by: Motorsport Images

 ともあれパトレーゼは首位から陥落した。最終ラップ突入を前にして、オーダーはピローニ、デ・チェザリス、パトレーゼに変わった。しかしトップに立ったピローニは、明らかにペースがおかしかった。確かにトリッキーなコンディションであること、そしてマシンのダウンフォースが損なわれていることを考慮すれば慎重に走るのも無理はないが、ピローニは最終ラップに突入した時、リヤウイングのないデイリーにも交わされるほど遅かった。

「雨のせいで電気系統に問題が起きたのかと思った」

 レース後にピローニはそう語っていた。

「残り3〜4周でマシンがミスファイアを起こしていたからだ。でも事態はもっと単純だったんだ……」

 ピローニはガス欠を起こしていたのだ。ノロノロと走るピローニ車の燃料タンクは、最終ラップのトンネルで完全に空となった。近くにいた数名のマーシャルがすぐさまストップしたピローニ車に飛び付きマシンを押したが、押しがけ再スタートが失格になることを知っていたピローニは首を横に振り、マシンから降りた。

 これでリーダーはデ・チェザリスとなるはずだった。しかし彼もカジノスクエアで燃料を使い果たし、マシンを止めていたのだ。あと1周燃料を保たせるだけで、デ・チェザリスはフル参戦2年目でのF1初優勝を達成できたのにだ。彼はその後1994年まで現役を続けたが、トップでチェッカーを受けることは1度もなかった。

「勝者がスタート/フィニッシュラインに戻ってくるのを我々がひたすら待つという、とんでもない状況になっている!」

 デイリーがボロボロになったマシンをラスカス手前で止めたとき、1976年のF1ワールドチャンピオンであるジェームス・ハントが解説席でそう叫んだ。

 結果的にトップで帰ってきたのはパトレーゼだった。彼は混乱の中でなんとかトップチェッカーを受け、F1初優勝を挙げた。

Riccardo Patrese, Brabham BT49D Ford

Riccardo Patrese, Brabham BT49D Ford

Photo by: Rainer W. Schlegelmilch

「知らないうちにリードを取り戻していたんだ!」とパトレーゼは振り返る。

「当時は無線が無かったから、ゴールした時に自分が勝っているとは思いもしなかった」

「表彰台の前まで来た時に僕が初優勝したことを知った。とても素晴らしい瞬間だったよ」

 何より異様だったのは、チェッカーまでたどり着けなかったピローニとデ・チェザリスがそれぞれ2位、3位に入ったことだ。この3台は他のドライバーを全て周回遅れにしていたためだ。ロータスのナイジェル・マンセルが4位、僚友デ・アンジェリスが5位、そしてデイリーが6位で1ポイントを獲得した。

 その他でチェッカーを受けたのは、ティレルのブライアン・ヘントンとアロウズのマルク・ズラーだった。ヘントンは4周遅れでプロストに次ぐ8位、ズラーは6周遅れで9位だった。アルボレート含め完走扱いは10台いたが、実際にチェッカーまで生き残ったのはわずか5台だった。

 終盤のどんでん返しで言えば、ジェンソン・バトンが最後尾から追い上げて、最終ラップでセバスチャン・ベッテルの前に立ち優勝した2011年カナダGP、ピエール・ガスリーが波乱に乗じて2番手に浮上し、ルイス・ハミルトンを最後まで抑えきった2019年のブラジルGPなどが記憶に新しいだろう。しかしながら、その混乱具合とドタバタ具合で言えば、1982年のモナコGPの右に出るものはないのではなかろうか。

 

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Photo by: Motorsport Images

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この記事について

シリーズ F1
執筆者 Luke Smith