『グリップって、何?』複雑で奥深い世界をヨコハマが解説……あなたはどこまで知っている?【タイヤのプロに聞いてみた】
モータースポーツでは当たり前のように用いられる“グリップ”という言葉。その正体は一体何なのだろうか?
写真:: Masahide Kamio
モータースポーツを観る者であれば、幾度となく耳にする単語のひとつに“グリップ”がある。「このタイヤはよくグリップする」「レース後半はグリップが落ちてしまった」などなど……その漠然としたニュアンスは何となく掴めているものの、「グリップとは一体何なのか?」と聞かれて、適切に説明するのは意外と難しいのではないだろうか。
そこで今回は、横浜ゴムのモータースポーツタイヤ開発部 技術開発2グループの高口紀貴氏(以下敬称略)に、グリップにまつわる様々な話を聞いた。
■“グリップ”とは何か?
Sena Sakaguchi, P.MU/CERUMO・INGING
Photo by: Masahide Kamio
まずはインタビューの冒頭から「グリップとは何ですか?」と単刀直入に尋ねてみたが、モータースポーツタイヤのエキスパートである高口にとっては、“グリップ”という言葉自体があまりしっくりきていないという。
「グリップという表現はハッキリ言って抽象的です」
そう語る高口は次のように説明した。
「クルマがある速度でコーナーを曲がれるかどうか、より短い距離で止まれるかどうか……これはタイヤの摩擦力にかかっているんですよね」
「垂直荷重に対して、どの程度の割合でせん断方向に力を出せるか、というのが“グリップ”という言葉の正体だと思います」
つまり、一般的に“グリップ”と言われるものの正体は“摩擦力”だということだ。高口はグリップもとい摩擦力について「タイヤのトレッド面が、どれだけその路面に居続けようとするか」とも表現したが、その力が大きければ大きいほど、コーナリング時の遠心力に打ち勝って、路面をしっかりと捉えたままより速い速度でコーナーを曲がることができる上、制駆動の際もより力強く加減速できる。
例えば、マシンが走行することでそのゴムが路面に付着すると、グリップが向上してタイムが上がるとよく言われる。いわゆる「ラバーがのった」状態だ。高口曰く、スーパーフォーミュラのマシンが走った直後にコース上を歩くと、ラバーがのった路面にはベタベタとした感触があり、歩きにくさを感じるほどだというが、こういった“粘着”も摩擦力を生み出す要素のひとつだ。
高口は、この他にもタイヤの変形や転がり抵抗など様々な要素が関わっているため、摩擦に関して簡潔に説明するのは難しいとしながらも、粘着について接着剤を例にこう話してくれた。
「接着剤がなぜくっつくのかというと、表面の凸凹に接着剤が入り込んで硬化して、くさびのようになっているからなんですよね。柔らかさを活かして表面に入り込むことで粘着力を上げて、その粘着力で摩擦を生み出すという考え方があります」
タイヤに関しても同じことが言える。タイヤが接地している時、表面のゴムが路面の凹凸に入り込むことで、まさにくさびが打ち込まれたような状態となる。摩擦力が高い状態であればあるほど、タイヤは「接地面に対して、そこに居続けようとする」のである。
では、その摩擦力を生み出す要素にはどのようなものがあるのだろうか?
■タイヤが持つ力
Tomoki Nojiri, TEAM MUGEN
Photo by: Masahide Kamio
もちろん、路面に接地するタイヤのトレッド面そのものが持つ摩擦力は非常に重要だ。タイヤは天然ゴムなどのゴムに硫黄やカーボンブラック(炭素)などを配合することで硬化・補強されて作られていく。そのため、その素材や配合次第では全く違った特性のタイヤとなる。
モータースポーツにおいては、“ソフトタイヤ”、“ハードタイヤ”など複数種類のタイヤが持ち込まれることがあり、一般的にはソフトタイヤの方がグリップ力があるとされる。ただ高口曰く、「ソフトタイヤ=柔らかいタイヤ」「柔らかいタイヤ=グリップするタイヤ」という考えは“過去の常識”だという。
「今のスーパーフォーミュラではソフトタイヤと言われるタイヤが使われていますが、比較的低い温度ではミディアムタイヤより硬いんです。ただ、ちょっと熱を入れるだけで溶けていきます」
つまりソフトタイヤがグリップに優れているのは、コンパウンドそのものが柔らかいからではなく、熱が入りやすいからだと言えるだろう。
■路面の状況
#19 WedsSport ADVAN GR Supra
Photo by: Masahide Kamio
摩擦力を確保する上で重要なのはタイヤだけではない。摩擦力というものは、タイヤのトレッド面と路面、接地している二物体の関係で決まるため、例えハイグリップなタイヤを履いていたとしても、路面の状況によっては期待していた性能を発揮できないこともある。これが“グリップ”の世界をより奥深く、難しいものにしている。
モータースポーツ中継などでは「路面のミューが低い」という言葉を耳にすることがあるだろう。このミューとは“摩擦係数”であり、タイヤを“押し付ける力”に対する、タイヤと路面の“居続けようとする力”の割合である。例えば、乾燥した路面と濡れた路面であれば、後者の方がミューが低く、凍結路面となるとさらにミューが下がる……といった具合だ。
「路面の主な材質は、“バインダー”と呼ばれるアスファルトやコールタールと、骨材となる小石です」
「バインダーが樹脂系の硬いものだと、その骨材が表面になかなか出て来ずに、タイヤと骨材ではなくタイヤとバインダーの摩擦になってしまうので、ミューが低くなることもあります」
そう語る高口。一方で、バインダーが削り取られて骨材(小石)が露出するとミューが高くなるとも言えるだろう。
「また小石が採れた場所によっても、ミューは変わります。例えば川の下流で採れた小石はツルツルしていますが、一方で上流で採れたものはゴツゴツしています。ただ、そのゴツゴツしているのも最初だけで、クルマが走ることで骨材も磨かれていき、ミューが下がったりします」
高口の言うゴツゴツとした小石は表面に凹凸が多いため、タイヤのゴムがそこに入り込み、“くさび状態”がより顕著に形作られて高い摩擦力を得られる。一方でツルツルとした小石相手ではそのくさびができにくいことから、タイヤのゴムが“そこに居続ける”ことを困難にする。
前述の通り、タイヤのゴムにはカーボンブラックと呼ばれる炭素が配合されている。タイヤが黒いのもそのためだ。炭素は、熱と圧力がかかるとダイヤモンドになる……つまり非常に硬い素材だ。これが配合されているタイヤも、実は粒子レベルで見れば非常に硬いと言える。そのため、クルマが走ることで路面が“磨かれていく”という側面もある。
この他にも、路面の状況は様々な要因で刻々と変化していく。路面温度の上下による変化はもちろんのこと、ラバーがのることによる変化もある。もっと言えば、セッションのインターバルの間に落ちたホコリすら、タイムに影響を与えるという。
■荷重
Giuliano Alesi, Kuo VANTELIN TEAM TOM’S
Photo by: Masahide Kamio
タイヤと路面、接する二物体が摩擦力を司るのはもちろんのことだが、他にも要素はある。そのひとつが“荷重”だ。
タイヤに垂直な荷重がかかればかかるほど、タイヤと路面には強い摩擦力が働く。マシンを重くすればするほど摩擦力は得られるわけだが、ただ重くすればいいというわけではない。
確かにマシンの重量を増やせば、タイヤにかかる荷重が大きくなるので摩擦力も大きくなる。しかしその分だけマシンの重量が増えてしまっては、遠心力などの慣性力も強くなってしまうため、運動性能としてはむしろマイナスということになる。
そこで重要になってくるのが、ウイングなどの空力パーツなどによって生み出される下向きの力、つまり“ダウンフォース”だ。このダウンフォースを活かせば、車重を増やすことなく荷重を増やすことができ、摩擦力(グリップ)を向上させることができるのだ。
「実際、スーパーフォーミュラでは4G以上(の遠心力)がかかっています。なぜ4G以上で曲がれるかというと、風の力でそれだけタイヤの力を増幅させているということなんです」と高口は言う。
ちなみにスーパーフォーミュラのタイヤはダウンフォースなしの状態では約1.8Gの遠心力に耐えることができるという。
■接地面積
Tyre
Photo by: Motorsport.com / Japan
タイヤは非常に大きなパーツであるためイメージが難しいが、実はその接地面はハガキ1枚分とも言われる。レーシングカーが猛烈なスピードで加速する中でも、トレッド面と路面の相対的な関係は常に一定。回転するタイヤは荷重を支持しながら、トレッド面がハガキ1枚分の大きさで路面に接地している。この接地面を少しでも確保することで、グリップを稼ごうという考え方もある。
しかしコーナリングの際は、横向きの力を受けることで、タイヤはコーナーに対してイン側が浮くような形となり、接地形状がハガキ型から“おむすび型(アウト側の接地幅が広く、イン側の接地幅が狭い)”へと変形する。これにより接地面積が減り、グリップが減少してしまう可能性がある。
では、タイヤの変形が極力起きなくなるような剛性の高いタイヤとすることが、コーナリング性能を高めることに繋がるのか?
「ひとつの手段としては正解です」と言う高口。しかし、特に複数のタイヤメーカーが凌ぎを削るスーパーGTにおいては、様々な設計思想が見られるという。
「もちろん、全く動かなければ接地面積が維持されるので、そういった開発の方向性はあります。一方で柔らかければ柔らかいほど、逆に柔軟性があって面積が維持できるので、両方の方向性があると思います」
#24 リアライズコーポレーション ADVAN GT-R
Photo by: Masahide Kamio
「スーパーGTを見ていると、うまくタイヤの力をいなして接地形状を作り出しているメーカーと、とにかく踏ん張って接地形状を維持するメーカーに分かれますね。これは設計思想の違いです」
このように、“グリップ”を司る要素は実に様々だ。では、そのグリップを高めるためのアプローチは他にどのようなものがあるのか? 次回に続く……。
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